韓国・ソウルでの6年間、ドイツ・フランクフルトでの3年間を経て、家族がたどり着いたのは第3の赴任先インドネシア・ジャカルタ。言語や文化の違いと向き合いながら成長した4姉妹は、それぞれが選んだ進路を歩んでいくこととなる。今回は、インタビューに同席してくれた三女アンズと四女ユズコにも、当時を振り返ってもらい、海外での生活について話を聞いた。(仮名)
商社で働く夫・ナオキと妻・イズミは、駐在先である韓国、ドイツ、インドネシアで4姉妹の子育て経験をした。ナオキの海外赴任が決まり、韓国・ソウルへと渡った1995年。異国の地でのイズミの子育てが始まる。そして、次の赴任先となるドイツ・フランクフルトでは、4人の子どもを育てながら、文化も言葉も異なる環境のなかで暮らしをまるごと切り盛りする、めまぐるしい3年間を過ごす。第3の赴任先インドネシア・ジャカルタでは、心がほどけるような毎日を家族でゆっくりと重ねていった。それぞれ異なる国や文化の中で過ごした4姉妹を、どのように育て上げたのか。イズミにこれまでの歩みをたっぷり聞いた。
国際開発の仕事に従事するかよ&けんじ夫妻は、長男のひかる、次男のつばさ、長女のかおると約15年に及ぶ海外生活を経験した。ケニア、ミャンマー、南米ガイアナ、ガーナを経て、家族は再びミャンマーで生活することになる。長男が小学校に通う年齢になり、現地での生活にも変化が出てくる。子どもたちが通ったインターナショナルスクールの様子、さらに、日本に帰国してからの生活などについて詳しく聞いた。
国際開発の仕事に従事するかよ&けんじ夫妻は、長男ひかる、次男つばさ、長女かおると約15年に及ぶ海外生活を経験した。場所は、ケニア、ガーナ、ミャンマーなど。日系企業の駐在員が少ない地域だ。かよは、ケニアで長男と次男の出産を経験。夫婦共働きで子育てをしながら、所属する組織のリーダー職をこなしてきた。仕事との両立は大変だったが、開発途上国での子育ては、欧米圏での異文化体験とはまた違う面白さがあったという。家族5人の海外生活について聞いた。
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。自動車業界で働くハルオは、タイのバンコク近郊で約5年半の駐在生活を経験した。その間の約4年間は、妻ナツコ、長女ヒナも現地に呼び寄せて一緒に生活していた。バンコク近郊の街パタヤの特別支援学校に入学したヒナは、次第に学校生活に慣れていき、リラックスした日々が過ぎていく。出国前にヒナの主治医からタイ行きを止められたが、「家族一緒にいるのが正解だった」と振り返るナツコ。後編では、ヒナの学校生活や家族がタイ駐在で得たものなどを聞いた。(仮名)
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。動車業界で働くハルオは、タイのバンコク近郊で約6年間の駐在生活を経験した。その間の約4年間は、妻ナツコ、長女ヒナも現地に呼び寄せて一緒に生活していた。家族との海外生活にあたり、気になったのは長女ヒナの教育環境と、日本で飼っている猫をどうするかについて。小学校5年生だったヒナは、特別支援学級に通っていた。現地の学校にはどのような選択肢があるのか、飼っていた猫も連れて行けるのか? 手探りのままスタートしたタイでの現地生活を支えてくれたのは、タイ人たちの「マイペンライ(大丈夫、なんとかなる)」精神だった。
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。医療系メーカーに勤務する父タケシと母ルイは、長女マキ、長男コウジ、次男ケンジと共にタイ・バンコクで3年5カ月に及ぶ駐在生活を経験した。渡航したのは、双子の長男・次男が生後8カ月、長女は2歳前のタイミング。現地の医療水準を心配しながらの駐在スタートとなった。その後、現地で次男が自閉症と診断され、受け入れ先の幼稚園を転々とすることに。そして、長男にも発達障害の症状が見られるようになる。その過程で、現地の日本人コミュニティに助けられながら、家族5人の生活スタイルを見つけて行った。マラソンが趣味のアクティブ夫婦が向き合ったバンコク駐在生活はいよいよ終盤へ。
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。医療系メーカーに勤務する父タケシと母ルイは、長女マキ、長男コウジ、次男ケンジと共にタイ・バンコクで3年5カ月に及ぶ駐在生活を経験した。渡航したのは、双子の長男・次男が生後8カ月のタイミング。未熟児で出産したこともあり、現地の医療水準にも不安を抱えながらのスタートとなった。さらに、バンコク駐在中に次男に障がいがあることが発覚。異国の地でどのような教育を受けさせるべきか迷う中で、日本人コミュニティの存在やタイ人のやさしさに助けられたという。家族5人で乗り越えたバンコク駐在生活について詳しく聞いた。(仮名)
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。金融系企業に勤務するタカシと妻のマイは、長男ケイタ、次男ユウタと共にフランス・パリで4年9か月に及ぶ駐在生活を経験した。日仏文化学院パリ日本人学校でスタートした2人の子どもたちの学校生活だったが、家族で話し合った末、中学校から現地のインターナショナルスクールへ通うことに。子どもたちは、海外生活で何を学び、どのような力を身につけたのか。社会人になったケイタ・ユウタからのコメントとともに紹介しよう。(仮名)
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。金融系企業に勤務するタカシと妻のマイは、長男ケイタ、次男ユウタと共にフランス・パリで4年9カ月に及ぶ駐在生活を経験した。通学する学校の選択肢は現地校、インターナショナルスクール、日本人学校の3択。英語圏ではないヨーロッパの都市という環境で、ファミリーはどのような判断をしたのか。また、子どもたちは、現地でどのように友達の輪を広げ、何を学んだのか。子どもたちが小学校から中学校に上げる重要な時期に経験した長期に渡るパリ駐在生活について詳しく聞いた。(仮名)
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。幼少期に海外生活を経験したことがあるヒロムとレナは、2019年から2022年までコロナ禍のアメリカで駐在生活を経験した。通学はもちろん、外出もままならない時期は次男タイタロウ、長女マイコとともに家族でスキーやキャンプをして休日を楽しんだ。ただ、同時期のアメリカではBLM(ブラックライブズマター)運動が活発化するなど、社会情勢は複雑化していた。そんななか、子どもたちは現地校で多様性に順応してたくましく成長していく。レナもアップデートされたアメリカ社会で多くの発見をする。さまざまな経験をしたコロナ禍の駐在生活で家族は何を得たのか?
海外赴任を経験した様々な家族のストーリーを紹介します。金融機関に勤務するヒロムと、レナの夫妻は、長男ケイジロウ、次男タイタロウ、長女マイコの3人と一緒にアメリカ東海岸のペンシルバニア州フィラデルフィアで3年間の駐在生活を経験した。時期は、2019年から2022年。ちょうど新型コロナウイルスが世界各地で猛威をふるっているタイミングだった。いずれも駐在ファミリーとして、幼少期に海外生活を経験していたヒロムとレナは、この難局をどう乗り越えたのか? また、子どもたちはどのように現地の仲間をつくっていったのか? コロナ禍という非日常のなかで、奮闘した3年間の海外駐在生活について、詳しく聞いた。