家族の可能性が大きく広がった 約4年間のタイ駐在生活【前編】
2025年2月10日
家族/クロスカルチャー

家族の可能性が大きく広がった 約4年間のタイ駐在生活【前編】

自動車業界で働くハルオは、タイのバンコク近郊で約6年間の駐在生活を経験した。その間の約4年間は、妻ナツコ、長女ヒナも現地に呼び寄せて一緒に生活していた。家族との海外生活にあたり、気になったのは長女ヒナの教育環境と、日本で飼っている猫をどうするかについて。小学校5年生だったヒナは、特別支援学級に通っていた。現地の学校にはどのような選択肢があるのか、飼っていた猫も連れて行けるのか? 手探りのままスタートしたタイでの現地生活を支えてくれたのは、タイ人たちの「マイペンライ(大丈夫、なんとかなる)」精神だった。(仮名)

(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)

特別支援学級に通う娘を連れて海外へ

タイの首都バンコクから東南方向に約120km離れた場所に、シラチャという街がある。ここは、日系メーカー企業の工場が集まる場所として知られており、日本食レストランや日本食材スーパーなどが集まっているほか、日本人学校もある。ハルオのタイ赴任がスタートしたのは、2015年4月のこと。勤務先は、そのシラチャだった。

家族の可能性が大きく広がった 約4年間のタイ駐在生活【前編】

 「2015年当時、私は39歳でちょうど現場の管理職を任されたタイミングでした。その前年くらいからタイ工場に新しい生産ラインを立ち上げる計画があり、現場マネージャーとして、赴任することになりました。タイ赴任が決まったとき、妻に相談すると『私も行くよ』と即答してくれました。そこから地元小学校の特別支援学級に通っていた娘の現地での学校探しがスタートしました」(ハルオ)

 

「タイ赴任の話を聞き、私は行く気満々でした。しかし、娘の主治医に相談すると『行かないほうがいい。環境を変えると、これまでできたことまでできなくなることがあるよ』との返事。さらに、当時2歳だった愛猫を連れて行くのも難しいとアドバイスされました。それでもせっかくのチャンスだと思い、周囲の意見はシャットアウトして、一緒にタイに行く方向で準備をしました。治安面、食事面の不安はありましたが、娘も『パパ大好き』だったので、家族が一緒にいることを最優先に考えました」(ナツコ)

 

イギリス系インターナショナルスクールが運営する特別支援学校へ

家族に先立って現地入りしたハルオは、仕事の傍ら小学校5年生になるヒナの受け入れ先となる学校を探した。タイはバンコクとシラチャに、それぞれ日本人学校がある。しかし当時、バンコク校には特別支援学級があったものの、シラチャ校にはないことがわかる。学校側は「これを機に受け入れたい」と言ってくれたが、受け入れ可能なのは両校とも小学校6年生までだった。中学生になると受け入れが難しいと言われていた。そこで、ナツコと共にインターネットで検索してみると、シラチャの南方の街パタヤ周辺のイギリス系私立インターナショナルスクールに特別支援学級があることがわかった。

特別支援学校での様子
特別支援学校での様子

「会社の通訳さんにお願いして、パタヤの学校を見学に行きました。するとイギリス人の先生から『特別支援学級に入るより、系列の特別支援学校に入ったほうがいい』とアドバイスされました。見学に行ったイギリス系私立校は、まるでハリーポッターのセットのような伝統的で荘厳な雰囲気だったのですが、案内された特別支援学校は、郊外の静かな場所にひっそりと佇む一軒家のような感じ……。それでも小規模でアットホームな雰囲気が娘には合っているかもと思い、そこに入学することに決めました」(ハルオ)

バンコク近郊のリゾート・パタヤで新生活スタート 

受け入れ先の学校が決まり、2015年8月からナツコとヒナをタイに呼び寄せた。駐在中の拠点として選んだのは、ヒナが入学する特別支援学校にも近い、バンコク近郊のビーチリゾート、パタヤ。シラチャからも近く、日本人の駐在員も数多く住んでいた。さらに、欧米系の移住者も多く、インターナショナルな雰囲気だったのも気に入ったという。

 

滞在先は、8階建ての「コンドミニアム」。これは、タイでいう家具付きマンションのことで、週2回のクリーニングサービスも付いていた。パタヤビーチや繁華街から1.5kmほど離れた閑静なエリアにあり、入居者の7割は日本人だったという。

 

「コンドミニアムは快適だったのですが、周辺の路地裏には野良犬が多くて、日没以降はほとんど外出できませんでした。そもそも、会社から安全上トゥクトゥクの利用(タイの3輪タクシー)なども控えることと言われていたので、娘と私は赴任当初は、ほぼ家に軟禁状態でしたね(笑)」(ナツコ)

 

それでもナツコは、持ち前の行動力を生かして、次第にヒナと一緒に習い事に通い始める。ひとつは「伝統音楽」。パタヤで有名なタイ舞踊チームの教室に通い、ヒナと一緒に「キム」という伝統楽器に挑戦した。さらに、ムエタイのジムやズンバ(ダンス系エクササイズ)の教室にも通い、現地のネットワークを増やしていった。

親子でタイの伝統楽器「キム」を習う
親子でタイの伝統楽器「キム」を習う

 

「パタヤの教室は、いずれも西洋系やタイのローカルの人たちがメインで、ここで現地の情報を得ることもできました。これはタイ全土で言えることですが、現地の人々が本当に親日的で、常に『日本人であること』はメリットになりました。これは、中国やアメリカ駐在とは違う肌感覚だと思いますね」(ナツコ)

パタヤには日本食レストランや日本食材が買えるスーパーも

タイでの生活を始めるにあたり、心配だったのはやはり食事だ。何しろ何をどこで買えばいいのかわからない。ネットで調べると野菜や肉に抗菌剤や添加物が使われているという情報を目にすることも多かった。それもあり、最初は外国人向けのレストランなどで食事をしていた。しかし、次第に周囲の駐在ファミリーなどから「ここで買えば安心だよ」という情報が集まるようになり、普段の食材選びに困ることはなくなったという。

 

日本人も多く住んでいるパタヤには、日本食レストランや日本食材が手に入るスーパーもあった。しかし、本格的に日本の野菜や調味料を探す場合は、シラチャやバンコクまで買い出しに行く必要があった。それでも自炊で日本食風の料理をつくるのに苦労することはなく、食事の面でストレスを感じることはなかったという。

 

「最初は娘がタイ料理を受け付けなくて、この先どうなるか不安でした。ところが、通っていた学校の給食がタイ料理だったので、次第に慣れて、好きなメニューもいくつかできたようでした。最終的には、日本人の大人でも苦手な人が多い、豚の血を固めたスープを使う麺料理を『おいしい』と言って食べていたのには驚きましたね」(ハルオ)

ヒナが一番好きになったピリ辛トムヤムヌードル
ヒナが一番好きになったピリ辛トムヤムヌードル  

パタヤは欧米系の移住者が多いだけでなく、世界中の観光客も集まるリゾートなので、食のバリエーションが豊富なのも魅力だったとハルオは振り返る。日本食だけでなく、中国料理、韓国料理のレストランも多数あり、本格的な窯焼きピザを出すイタリアンや、トルコやレバノン料理を出すレストランなどもあり、週に一度はファミリーで外食を楽しんでいたという。

「郷に入っては郷に従え」でタイ文化を体験  

ほかにも休日には、家族でタイの寺院巡りなどを楽しんだ。2018年にタイのプミポン前国王が亡くなり、国葬が行われた際には、パタヤの仏教寺院で弔問をしたりもした。

日本から遊びにきた祖父母と一緒に寺院巡り
日本から遊びにきた祖父母と一緒に寺院巡り

「『郷に入っては郷に従え』の思いで、駐在中は、できるだけタイの文化を尊重して生活するように心がけました。プミポン前国王が亡くなったときは、全国の仏教寺院で弔問が行われていて、私もドライバーさんと一緒に朝から深夜まで並んで弔問しましたが、多くの人が暑い中長い時間、列をなして静かに待っていることに、タイ人の国王への深い敬愛を感じ驚かされました。こうした日々の出来事からもタイの文化やタイ人のことをいろいろ学びましたね」(ハルオ)

 

後編では、イギリス系の私立インターナショナルスクールが運営する特別支援学校でのヒナの様子や、家族がタイ駐在で得たものなどについて聞く(2025年3月10日公開予定)。