異文化のなかで育った少年が、世界の最前線でリーダーになるまで ―次世代を担う後輩たちへのメッセージ―
2025年9月16日
特集

異文化のなかで育った少年が、世界の最前線でリーダーになるまで ―次世代を担う後輩たちへのメッセージ―

 

ソニーのV字回復をけん引した元最高経営責任者(CEO)であり、現在は一般社団法人プロジェクト希望の代表理事を務める平井一夫氏は、まだ「帰国子女」が珍しかった1960~70 年代に、アメリカ・ニューヨークで小学1年から4年生まで、カナダ・トロントで中学時代を過ごした元帰国子女。当時の異文化体験は、その後の人生や考え方に大きな影響を与えているという。
 

このたび、公益財団法人海外子女教育振興財団理事長の綿引宏行がホストとなり、「異文化で育つとはどういうことなのか」について、お話を伺った。

 

 

<プロフィール>
 

平井 一夫(ひらい かずお)
 

1960年東京生まれ。幼少時代に父の転勤で海外生活を送る。㈱CBS・ソニー(現 ㈱ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。95年にソニー・コンピュータエンタテインメント・アメリカに転身、同社の北米プレイステーション事業を大きく拡大させる。その後、同社や㈱ソニー・コンピューターエンタテインメント(SCEI、現 ソニー・インタラクティブエンタテインメント)、ソニー㈱(現ソニーグループ㈱)にてトップを担う。代表執行役社長兼CEO、取締役を経て18年に会長。19年より24年までソニーグループシニアアドバイザーを歴任。21年、子どもたちの未来創造のきっかけとなる「感動体験」をつくるプロジェクトを始動し、(一社)プロジェクト希望を設立、代表理事を務める。

 

 

綿引 宏行(わたびき ひろゆき)
 

1957年東京・浅草生まれ。旧東京海上火災保険㈱(現・東京海上日動火災保険㈱))に入社し、情報産業や国家プロジェクトを担当。13年より同社常務取締役、16年退任、19年まで東京海上日動HRA(Human Resources Academy)社長。2009年から米国東京海上に社長として赴任し、ニューヨーク教育審議会副会長も務めた。19年に(公財)海外子女教育振興財団の理事、20年から理事長。現在、中央教育審議会臨時委員、横浜市教育委員会委員を務める。

 

 

大人の責任

綿引 平井さんのメッセージを読んでもらいたい人たちは、日本人の子どもたちをはじめ世界中にいます。

日本人学校や補習授業校に行っている子どもがおよそ4万人、現地校やインターナショナルスクールに通っている子どもが23万人ぐらい、そのうちの半分ぐらいは日本人学校や補習授業校があるのに行っていないという子どもたちで、日本人学校や補習授業校がないから通えないという子どもは約5・6万人いるのではないでしょうか。

 平井さんはアメリカで幼少期を過ごされていますが、親の立場でもアメリカでの生活を経験されていらっしゃいますね。

 

平井 最初に家族を連れてアメリカ行ったのは1990年代で、当然、日本に帰るつもりでいたのですが、結局、私は永住権、妻と子どもたちはアメリカ国籍を取って、基本的にアメリカに永住するということになりました。

 子どもたちは、はじめは補習授業校に通っていたのですが、途中でドロップアウトしてしまいましたね。

我が家は駐在員家庭だったのですが、特に娘は2歳の時に行っていますから、授業が日本に帰国する子どもたちを前提にしたものだと難しかったですね。 

1990年代のニューヨーク

綿引 先生のクラスマネジメントは重要ですよね。いまのお話を日本におきかえて考えると、日本に来た外国の子どもたちを包摂的に日本の学校で受け入れられないということになってしまう。

日本から海外に研修で派遣されている先生方には、失敗を恐れずに、いろんなことにトライしてマネジメント力を鍛えていただけたら、と思いますね。

 

平井 私の周りにも、日本の普通の公立小学校に通っている外国人の方が結構いて、いろんな人種の子どもたちがランドセルを背負って通っていますよ。親御さんが「現地校に入れる」という主義でやっているのでしょうね。

 

綿引 ラグビーのワールドカップの日本チームのような社会になるといいですよね。多様性の中で暮らしている在外の子どもたちを応援する意味はそこにあるんじゃないかと思っています。 

 

平井 そうですね。あとは 、日本が二重国籍をいまだに認めないというのは結構大きいと思います。きちんと「認める」ということをしないと、「日本人」を選んでくれなくなる可能性もあります。そう考えると、残念なことですよね。親御さんからしてみたら心配ですよ。

 

綿引 そうですね。子どもも親も「社会から応援してもらっている」という気持ちを持てることが大事だと思います。

我々は2022年に日本人学校と補習授業校に関する法律を議員立法で作ってもらったんですよ。日本の駐在員の子どもだけじゃなく、日本のことを勉強したいという子どもは基本的に受け入れるというふうにしてもらいたいと思っているのですが、なかなか……。

 

平井 そうですね。これだけ子どもの数が少ないわけですから、1人でも多く、いろんな機会があって、いろんな可能性がある世界を、大人がきちんとつくってあげないといけないですね。

少子化なのに、子どもたちをきちんと扱わないというのは本末転倒ですよ。本当に、この国の将来ですからね。

 

 

アメリカでの原体験

ニューヨークでの子ども時代。自宅でハロウィン、弟と。

綿引 平井さんの子ども時代についてお聞きしますが、幼少期、ニューヨークの現地校での学校生活で、特に記憶に残っていることとか、ショックを受けたこととかはありますか?

 

平井 小学1年だったのですが、当時は、日本人学校はなくて現地校に行くというチョイスしかありませんでした。初日に、両親に現地校のクラスの前まで連れて行かれたんですね。

先生がなにかベラベラしゃべって、ほどなくして母が「じゃあ、一夫、行ってらっしゃい」と、クラスの中に放り込まれたんです。日本国内で転校するのでもプレッシャーじゃないですか? 

それが、1967年のニューヨークですからね、急に別世界に放り込まれたというのは、かなり……。いまだに、教室のどこに座ったか憶えています。トラウマだと思うんですが、全部憶えていますよ。 

 

綿引 初日というのは、やっぱりインパクトが大きかったのでしょうね。そこからいかにしてアメリカ人の友だちのなかに溶け込んでいかれたのでしょう。 

 

平井 私たちが住んでいた隣の部屋に、クリスとジェーンという姉弟がいたのですが、シングルペアレントの家庭で、お母さんは毎日、仕事に出ていました。

クリスとジェーンは帰ってきてもやることがないので、家のベランダで遊んでいたんですよ。ベランダは仕切り板みたいなのがあっただけでつながっていたのですが、私もなんとなくベランダにいて、彼らもいて、それでお互いにちょっかいを出し合っていくうちに、言葉はまったくできないのですが、身振り手振りで、コミュニケーションを取るようになりました。

彼らと遊ぶようになってから、英語力、それから文化力っていうのですかね、飛躍的に向上していきました。 彼らがいたおかげで、すごく助かったんですよね。

うちの母親も、ここぞとばかりに彼らを家に呼んで、日本のラーメンとかをつくって食べさせたりしていましたね。いっしょに遊ぶことが、英語が早く上達する策だと思ったのでしょうね。

「うちにおいで」と食べ物で誘って、遊ばせてくれたのが、自然に英語を身につけることにつながったのではないかなと思います。サンクスギビングだとかクリスマスだとか、いろんなイベントがあるじゃないですか。そんな時も、こんなことするんだよとか、その意味を教えてくれたりしていました。

英語がだんだんできるようになると、アメリカ人と同じように正しく話したくなってくる。いっしょにテレビを見て、あのコメディ番組は面白いよねとか。そうなると、英語の上達するスピードが一挙に上がってくる、早いですよね。アメリカ人の子どもたちとしっかりと渡り合えるぐらいコミュニケーションができるところまで吸収できたのは、クリスとジェーンがいてくれたのが大きかったですね。

そこが入り口で、あとはもう本当にうまく滑り込んでいったという感じでしょうか。最初は、何が何だかわからない、そもそも顔つきがみんな違うし、髪の毛はなんでこんな色をしているんだって。そういう時代でしたからね。

綿引 そういう中で、平井さんは友だちができて、そこから友だちの輪がワーッと広がっていきますね。「オレ、アメリカで友だちがいっぱいできたぞ」とか、「オレ、もしかしてニューヨーカーなんじゃない?」みたいな高揚感はありました?

 

平井 そうですね、ニューヨーカーっていうのはあまりなかったですけど(笑)。でも、いまでも、現地校に行った初日のことは全部憶えていますから、あの状態からしたら、よくぞここまで来たよね、というのはよく感じてはいました。

その頃には英語をきちんと喋っていましたから。普通に誰とでも会話できますし、テレビを見ても、英語のジョークは全部わかるし。それは本当に、クリスとジェーンのおかげだなという振り返りはありましたし、英語でだったら誰とも話せるという自信はありましたね。 

 

綿引 世界中で子どもたちがこのお話を聞いていたとしたら、「平井さんはクリスとジェーンがいてラッキーでしたね。ウチはまわりに誰もいない一軒家なんですケド」とかいう子どももいるかもしれません(笑)。

 

平井 そうですね。国や地域によっても環境はまったく違うと思うのですが、私の場合、本当によかったなと思うのは日本人コミュニティがなかったことです。いまは、ほとんどのところで日本人コミュニティがあるじゃないですか?

そこに行けば楽ですよね。日本語を喋ったらいいし、話も合うし。2・3年で、親が日本に帰国になるからそれでいいじゃないかと日本人で固まっていたら、それで終わってしまうんですよね。

それがいいか悪いか別として、私の時代にはそれがなかったんです。現地の人たちと交流するチョイス以外はなかったのでよかったかもしれません。ただ、いろんな形で現地に入るチャンスはあるんですよ。

たとえば、夏休みにはサマーキャンプに行くとか、ローカルのコミュニティでも、いろんなアクティビティがあるので、そういうところに積極的に行ってみるとか。親御さんも子どもの背中を押してあげることが大事になってくると思います。

場合によっては、親御さんが同じ会社のローカルスタッフでも友だちでもいいのですが、休日に家族ぐるみで遊ぶきっかけをつくってみるとか。日本人コミュニティにどれだけ入っていくか、いかないかというので、結構違ってくると思いますよね。

 

綿引 異文化の中で友だちをつくるコツみたいなものでしょうか。 自分で壁をつくって、「日本人以外はダメ」とか「だからオレは英語ができない」とかと自分で壁をつくってしまうと、そのコツはつかめないですよね。

 

平井 ええ、それはダメですね。日本人だからというわけではなくて、日本に駐在する外国人の中でもまったく同じことが起こっていますよね。

私は帰国してアメリカンスクールに行っていたのでよくわかるのですが、親の仕事でアメリカから日本に来て、アメリカンスクールに入って、アメリカ人といっしょにワーッと盛り上がって、放課後もアメリカ人といっしょに遊ぶという生活を繰り返していたら、日本語を喋る必要はないし、日本の社会と関わる必要もない。

知っている日本人はアメリカンスクールの英語ができる日本人ぐらいで、そのままアメリカに帰っちゃいましたという人もいれば、逆にそれではダメなんだと、ローカルな日本人と交流を持っていたアメリカ人もいました。

どこの国に行っても同じだと思いますが、やっぱりチョイスなんですよね。私からしてみれば、ローカルの方々といろんな形で接することによって、語学も文化も知ることができましたし、いろんな視点を持つことができました。その時は、単なる遊び相手と思っているかもしれないですが、後になって必ずそれは資産になってきますよね。 

 

綿引 それは重要なメッセージですね。「『違う』って面白い」とかね。

 

平井 自分は賛同しない場合でも、「言っていることはわかる」という理解を示すことができます。そういう視点もあるんだってことを、自分のポケットに入れることができる。そこから、ダイバーシティが生まれてくる。相手を論破したところで何のメリットにもなりません。

子どもの頃、アメリカでいろんなことを見ていて「ちょっと違う」と思いつつ、ここで違うと言っても仕方がないから「まあそうだよね」ぐらいにしておいた方がいいかなということはいろいろありました。

生活様式なんかは全部そうですよ。「君たち、家の中に土足で入るのか?」みたいな(笑)。あれは衝撃ですよ。だから、私はアメリカの家でもちゃんと靴は脱ぎます。アメリカ人の友人宅に行って、「靴のまま入ってきて」と言われても、「どうなんだよ」と思いつつ、なんか躊躇しながら入る、非常に変な感覚です。

あとは、「これは嫌いですよね?」と聞かれた場合、日本では「はい、嫌いです」という「イエス」じゃないですか。でも英語では“No,I don’t.”、ネガティブをネガティブで肯定するんですよね。そういったちょっとした違いというのは結構面白いなと思いますね。ある意味では、ゲームと言ったらおかしいかもしれませんが、そこを使い分ける楽しさ、ツールとして使い分けているぞという満足感はありますね。 

 

綿引 平井さんのお話を伺っていると、子どもながらに「相手のことを受け入れる」ということができているのを感じるのですが。 

平井 それは、自分がそうされたからというのもあるのかもしれませんが、一部の子どもたちから「ジャップ」とか、さまざまな嫌がらせの言葉を言われることがあったんですね。

そういうのは英語ができなくてもわかりますから、「なんで、そんなことを言われなきゃいけないんだ」と思いつつ、言い返しても意味がないから、受けていたんですよ。受け入れつつ、「なんか違うぞ」って思いながら過ごすことはありましたね。

 

綿引 ともに過ごすなかで、友だち同士でシンパシーが生まれる瞬間、「オレたち本当の友だちになったぞ」みたいな経験はありましたか?

 

平井 クリスマスとかに招いてもらって、いっしょに「セレブレーション!」と言い合って、プレゼントをあげたりくれたりとか。あとは、クリスとジェーンのお母さんがウチに来て、食事に誘ってくれたり。

そうやって、家族ぐるみの付き合いができたというのはすごく大きかったかなと思います。本当に仲間に入れてくれたんだというか、嬉しかったですね。

 

 

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