【訪問1】日本オリンピックミュージアム
取材協力: 日本オリンピックミュージアム
栗原さんおススメの館のひとつめは日本オリンピックミュージアム。JR千駄ヶ谷駅から少し歩くと、巨大な国立競技場が見えてくる。それに沿ってさらに進むと、緑地の向こうにビルがあらわれた。足元には、見慣れたオリンピックシンボルの大きなオブジェが。
日本オリンピックミュージアムは、2019年に公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)によって設立された。日本のオリンピック・ムーブメントの発信拠点として、「みんなのオリンピックミュージアム」をコンセプトにかかげている。
案内してくれたマネージャーの下湯(しもゆ)直樹さんは、「当館は、アスリートとともにつくるミュージアムなんです」と言う。オリンピアンとの交流イベントや体験授業などを実施して、オリンピアンの生の声を伝えている。ミュージアムがオリンピアンの活動拠点となることも多いそうだ。
「生の声だからこそ響くものがあると思っています。それが一般の博物館との大きな違いかもしれませんね」
取材当日は、1階でミラノ・コルティナ冬季オリンピックの企画展が開催中だった。 フィギュアスケートの衣装やスキーのユニフォームを見ていると、ちょっと前にテレビで観た競技のシーンがよみがえってくる。ボブスレーのボディは傷だらけだ。「そうか、これが感動と資料劣化のジレンマ…」と、栗原さんの話を思い出した。その横では、TEAM JAPANオフィシャルスポーツウェア試着体験や、カーリングのストーンや車いすカーリングのデリバリースティック(投てき具)などが体験できるようになっている。こうしたスポーツ資料も積極的に競技団体から提供を受けているそうだ。
「オリンピックが開催される前に、JOCから各競技団体に『●●選手の、フリー演技のコスチューム』などと具体的に収集希望を伝えています。メダルの色とかは関係ありません。ただ、最終的には選手の意思にお任せしていますから、誰かにあげちゃった、とかの場合もあります。寄贈しようと思っていたけど成績がふるわなかったので辞退したいと言われることも…まあ、気持ちはわかるのでしょうがないですね」
そんな裏話を聞きながら、国立競技場を望む明るい階段を上って2階へ。
2階はEXHIBITION AREA。「オリンピックを知る、学ぶ、感じる、挑戦する、考える。」をテーマに、5つのゾーンに分かれている。
KNOW[知る]では、オリンピックを様々な視点から紹介する展示がある。経済、都市、環境、社会、スポーツの5つの視点から「オリンピックの遺産」を説明したコーナーでは、競技だけではないオリンピックの奥深さと多方面に及ぼす影響を改めて実感する。
赤い壁には歴代オリンピックの聖火トーチがずらりと並んで壮観だ。そしてつき当りには、TOKYO2020オリンピックの開会式で世界を驚かせた、あのスポーツピクトグラムの姿が。
「この衣装、本物ですよ。足元も見てくださいね。地下足袋スタイルのスニーカーです」
この青いボディが、実際に国立競技場を走り回っていたんだ…。
FEEL[感じる] のオリンピックシアターでは、ゆったりした椅子で競技やセレモニーの映像を大画面・大音響で堪能できる。
LEARN[学ぶ]は、日本とオリンピックに関する展示。TOKYO2020だけでなく、1998年長野冬季大会や1964年東京大会、さらにはそれ以前の、戦争によって幻となった1940年東京大会の展示も。起点になる位置にあるのが、あの嘉納治五郎の写真だ。
人気が高いのがTRY[挑戦する]のゾーン。ここではオリンピックでおなじみの競技の動きを実際に体験できる。画面に表示されたオリンピアンの記録に挑戦するのだ。子どもたちはもちろん、大人も結構本気になってやっている。 ちょっとやってみたが、いやもう、全然ダメだ。こうやって自分の身体を動かしてみることで、オリンピアンの身体能力のすごさを実感できる。
そして、下湯さんが「もっとも大切な展示」と言うのが、THINK[考える]ゾーンの「オリンピズムストーリー」だ。壁いっぱいにパネルが並び、オリンピックで生まれた様々なストーリーを展示している。
「『オリンピズム』って形がないから、展示しにくいものです。そこで、オリンピズムを体現している競技の1シーンや選手のエピソードを、解説を添えて紹介しています。その瞬間を感じ、そこから考えてほしいんです」
選手の思考や人柄まで感じさせる、これはまさに栗原さんの言っていた「ストーリー」の展示だ。 壁にずらりと並んだ選手の名前には、おなじみのものもあれば、はじめて知るものもある。そしてどのパネルにも漫画が1ページ。これが、ぐっと感情に訴えてくる。人気漫画『スラムダンク』(集英社)作者の井上雄彦さんの事務所制作によるものだという。
下湯さんが一番好きなパネルは「城戸俊三」だそうだ。1932年ロサンゼルス大会、馬術の障害レースで、50個ある障害の最後の一つを前に、馬の疲労が限界だと判断してその命を守るために下馬、途中棄権した。疲労困憊の愛馬に顔を寄せて、「もう十分だ」と語りかける城戸選手の姿が漫画になっていて、これは涙腺にくる。パネルの下には、彼の行為をたたえてアメリカ人道協会が設立したという記念碑が置かれている。
一つおいた右側にある乗馬ブーツは、同じく戦前の馬術競技で名をはせたバロン西こと西竹一選手のものだ。
「パリ2024大会で大活躍した日本馬術チーム(初老ジャパン)が来館されたときにご案内したら、『ここにあったんだ…』と、みなさん感慨深い表情で見入っていらっしゃいました」と下湯さん。
さらにパネルの中心に設置されたスクリーンでは、動画が上映されている。選手本人が登場する自分語り、インタビュー、そのほかにアニメーションやクレイアニメの全8話。有名な選手ばかりではない。いや正直に言えば、はじめて聞く名前のほうが多い。競技中にストックが折れた相手チームの選手にストックを渡したスキーコーチ、相手チームの転覆したヨットを、競技を中断して救いに行った選手、紛争地域で十分な練習環境もない中でオリンピックに出場した選手の想い…。
「オリンピックは競技大会なんです。勝敗より、みんながベストの状態で競技することが何よりも優先されないといけない、という精神があるんですね」
ソファに座って、全編33分を通して見ていく人も少なくない。副館長をつとめるオリンピアン小谷実可子さんもここが好きで、映像の前で涙ぐんでいる姿が時々目撃されているそうだ。
最後のコーナーには、パラリンピック関係と、オリンピックを支える人に関する展示がある。
「オリンピックはもちろんですが、スポーツは自分がするだけでなく、人が取り組んでいる姿から刺激を受け、活力が生まれるもの。自分も頑張ろうというきっかけをつくってくれる。そういう普遍的な価値があると思っています」という下湯さん。オリンピックミュージアムは、単にオリンピックの感動を振り返る場所であるだけではない。オリンピックとは何か、そして自分とのかかわりについて考えるきっかけを提供していきたいと、熱をこめて話してくれた。
いま海外に住んでいる君へ
下湯直樹(しもゆ なおき)さん(日本オリンピックミュージアム 学芸員、マネージャー) スポーツは好きでテニスとかサーフィンはやっていましたが、格別熱心に打ち込んでいたわけではありません。最近はサッカーや野球を見るくらいです。博物館学の研究者だったので、まさか自分がスポーツミュージアムの学芸員になるとは思ってもいませんでした。
オリンピックは人種や肌の色、国籍抜きにしてそれぞれのベストを尽くす場です。いま海外に住んでいるみなさんは、まさに同じような状況にありますよね。それは日本国内だけで育っていたとしたら経験することのないとても貴重なものですから、どうぞたくさん刺激を受けてきてください。実は私の姪っ子姉妹も、海外で育っています。彼女たちの現地での活躍を聞くのは、とてもうれしいものなんですよ。
近代オリンピックの父クーベルタンは、若いアスリートたちの国際交流について、「漕ぎ手たちを、走者たちを、そして剣士たちを外国へ送り出しましょう。彼らは平和の使者になるのです」という言葉を残しています。いままさに外国に送り出されたみなさんに、この言葉を贈ります。
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【訪問2】秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
取材協力:秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
日本で唯一の総合スポーツ博物館である秩父宮記念スポーツ博物館・図書館。歴史は古く、1959年に、当時の国立競技場内に開館した。東京タワー完成と同じ頃のことだ。
国立競技場の建て替えにともない2014年に仮収蔵庫へ。ところが翌年、ザハ・ハディドによる設計案が白紙撤回、コスト抑制を目指した新プランからはスポーツ博物館のスペースが消えてしまった。
以来、長期休館中だったが、ようやく、新秩父宮ラグビー場の中に移転・開館することが決まった。新ラグビー場の完成は2030年、博物館はその翌年にオープンの予定だ。
その準備が進む仮事務所を訪問した。
千葉県船橋市の倉庫街の一角に「秩父宮記念スポーツ博物館・図書館」の看板があがっている。出迎えてくれたのは、博物館係長の新名(にいな)佐知子さんと学芸員の木村一貫さん。
「スポーツにはいろんな切り口があります。社会的な影響、経済、健康、あらゆるジャンルに関連します。その、スポーツの多様な価値を裏支えするような資料を多数収蔵しています」と新名さん。
仮事務所の扉の向こうが、仮収蔵庫だ。ドアを開け、靴裏の細かい埃を除去して特別に中に入れてもらう。 空調機が24時間稼働する室内には、巨大な棚がずらりと並んでいて、たくさんの段ボールやケースが収まっている。スポーツ用具や備品らしきものが垣間見える。
収蔵品数は約6万点。さらに大量の書籍・雑誌類を所蔵している。競技団体等が発行している雑誌やニューズレターのコレクションは貴重なもので、歴史の研究者や競技関係者が、資料を求めてやってくることも多いという。
「建て替えが白紙撤回されたときは、目の前が真っ暗になりました」と、当時から学芸員だった新名さん。一時は存続も危ぶまれたそうだが、博物館関係者やスポーツ史等の研究者たちが一斉に声をあげて、所蔵資料の重要性と散逸の危機を訴えた。ようやく決まったオープンに向けて、現在展示設計を進めているところだという。
「休館して10年以上。オープンまでさらに数年。その間に、博物館のニーズは多様化し、変化してきました。そこに、スポーツというほかにない分野を引っ提げての登場となるわけですから、しっかりした理念をもった博物館にしなくてはいけないという責任を感じています」と木村さん。
スター選手の活躍に国民がこぞって熱狂した時代とは違う。現代のスポーツは、例えば健康維持のために、高齢者の楽しみとして、あるいは単に好きだからなど、様々な形で広がりを見せている。eスポーツも登場した。
「幅広いスポーツの意味・役割をどのように伝え、共感してもらうか。そのためには、単なるスポーツ資料の紹介だけではいけない」と木村さんは言う。新博物館、どんな仕掛けが飛び出すのだろうか。今から楽しみだ。 また、秩父宮記念スポーツ博物館は、立ち上がったばかりの日本スポーツミュージアムネットワークを、事務局として推進していくことになっている。
「盛り上げたいですね。スポーツ資料は全国いろんなところにたくさん眠っています。スポーツ資料と気づかずに、歴史資料として所蔵しているものもあるはずです。ひとりの選手に関する資料が、出身高校、大学など、何か所にも分散しているケースも多いです。さらに、各地でおこなわれているスポーツイベントに関する資料も膨大です。こうした資料に携わる人を支援する活動に、力をいれていきたいですね」と新名さん。専門の学芸員が少ないスポーツミュージアムの世界では、心強い存在になりそうだ。
「スポーツ資料の見方は一つではない。ユニフォームひとつでも、いつどこの大会で誰が着用したという歴史的な見方もあるけど、繊維の専門家が見れば特殊な生地を使っている点が貴重だということにもなります。つまり、普段からいろいろな館と連携して情報交換していくことが重要なんです」と木村さん。
「まあ、引っ越しが大事業ですね」「こればかりはねえ」と、苦笑しながら顔を見合わせる二人。でもその表情は明るい。
ただ、オープンまでにはもうしばらく時間がかかる。それまで大量の収蔵品は倉庫で眠っている・・・わけではなさそうだ。休館中も、収蔵品は働いている。
TOKYO2020オリンピック・パラリンピックの前には、おもに東京1964オリンピックの資料をメインにした巡回展が各地で実施された。2021年には東京国立博物館と特別企画『スポーツNIPPON』を共催。東博は土器、絵巻物、浮世絵などを通して日本のスポーツの変遷を、秩父宮記念スポーツ博物館は東京1964オリンピックや近現代の日本のスポーツに関する展示をおこなった。
『スポーツNIPPON』展の図録(編集・発行:東京国立博物館・秩父宮記念スポーツ博物館)各地の館からの依頼で、収蔵品を貸し出すこともある。展覧会のテーマは様々で、代々木体育館の模型は、建築関係の展覧会からよくお呼びがかかるそうだ。
2026年の『かつしかとスポーツ』展は、葛飾区郷土と天文の博物館が主催。共催として、担当の木村さんが一緒に展示をつくっていったそうだ。
「葛飾の歴史をスポーツの視点で見直してみよう、というものでした。歴史博物館に来る人は、スポーツ資料を見慣れていない。そういう人たちが興味をもって見てくれるためにはどうしたらいいか、結構悩みました」と木村さん。 企画を進める中で、1枚のオリンピック旗をめぐる思いがけないドラマが生まれた。
葛飾区は1964年の東京大会では競技会場にならなかった。もしかすると地域の人にとっては、オリンピックは身近ではなかったかもしれない。ところが、当時1295枚製作された公式のオリンピック旗の工程の一部を、葛飾区の染色工場が担っていたことが判明したのだ。秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵しているもののうちの1枚が、まさにその現物だった。
「オリンピックは、最先端技術を使ってモノをつくります。1964年のオリンピックは、旗にアクリル繊維が使われるようになった転換期で、日本の企業もそれに対応するために試行錯誤したそうです。技術力を見せるチャンスだと、当時の日本、頑張ったんですねえ」と木村さん。
オリンピック旗というひとつのモノから、昭和30年代の葛飾の暮らしと産業が浮かび上がったのだ。当時の職人たちの得意顔が目に浮かぶようだ。
「当館だけで企画していたら、こういう視点は生まれなかったかもしれません。スポーツ資料を活用して、まだまだいろいろなことができそうだ。スポーツ博物館の可能性が見えたような気がしました」と、木村さんは手ごたえを感じたようだ。
『かつしかとスポーツ』展の図録(編集・発行:葛飾区郷土と天文の博物館)仮収蔵庫の中には、実に様々なものがある。たとえば、「やり投」で使用される大量のやり。スポーツをモチーフにした彫刻作品。意外に大きいあん馬は、地方に貸し出されることもあり、木枠におさまっている。「早くちゃんと出してあげたい…」と新名さん。
奥のほうに、さらに厳重に温・湿度管理された部屋があり、特にデリケートなものが収蔵されている。その一角に置かれたハンガーラックに、衣装がたくさん吊り下げられていた。
新名さんと木村さんが「これは何々大会の時の…」などと説明しながら、ハンガーごと取り出して見せてくれる。どれもこれも、たしかにテレビなどで見たことがある。選手や役員のスーツ、大会スタッフのユニフォーム、セレモニーの服…なかには、超有名デザイナーが若い頃に手がけたデザイン、などという希少価値のものも。
それにしても、こうして見るのは楽しいが、保管はどんなに大変だろうかと思う。衣類は傷みやすいし、変色もする。そもそもユニフォームなどは、何十年も保存されることを想定してつくられていないだろう。
そこに、手袋をした新名さんがケースを運んできた。そっと綿を広げると、そこには2色に分かれたメダルが。 ・・・これ、「友情のメダル」じゃないですか!
栗原さんが「今すぐ文化財指定を」と話していたメダルのうちの一つだ。ちなみに秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵しているのは大江季雄選手のもの。ちなみに、もうひとつは、西田修平選手の母校である早稲田大学歴史館が所蔵しているそうだ。
様々な収蔵品を紹介しながら、木村さんはこう言う。
「スポーツ資料として残っているものは、あたりまえですが勝者のものが多いんです。勝てばなんでもいいというわけではなくて、みんなが勝利を目指して切磋琢磨するからこそ、勝者はたたえられて記録が残る。敗者の記録は探さないと出てきません。これは博物館のジレンマでもあります。区民スポーツ大会のような、生活のなかにある楽しむことを目的とするスポーツの資料は、地域社会では記録されても、スポーツの文脈では落ちてしまう。負け続けた人の記録や、その人の努力をどう拾いあげるかは、これからのスポーツ博物館のテーマになると思いますね」
仮収蔵庫を見渡しながら、新名さんも言葉を添えた。
「スポーツの記録なんて映像だけでいいのでは?と、よく言われます。まぁ、理解できなくもないんですが、やっぱりモノの力は大きいと思います。質感が全然違いますから。スポーツの記録はどんどん破られ、その前の記録や、それにまつわる記憶は、新記録で更新されてしまいます。でも、その前の記録にも、当事者たちの努力とか記録にいたる経緯などは必ずあり、それぞれの歴史があります。そうした事柄をちゃんと記録しておく施設があってもいいんじゃないでしょうか」
快適な気温と湿度に保たれた収蔵庫。でも、その中にいるモノたちは、早く外に出たい、たくさんの人に会いたいと、声を上げているような気がした。
いま海外に住んでいる君へ
新名佐知子(にいな さちこ)さん、木村一貫(きむら ひとやす)さん 新名佐知子(にいな さちこ)さん
(秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 主幹、博物館係長)
私はスポーツをやっていたわけではなく、文化部でした。でもプロ野球を見るのが大好きで、今でも福岡で家族が集合して、ソフトバンクの応援に行くこともあるんですよ。
スポーツは人あってやるもの。スポーツを通じて人との出会いが生まれます。SNSで選手やファンがつながることも容易になりました。一方で、昔の選手の書き物を読んだら、その当時の選手の姿に出会うことができます。そう考えると、スポーツって、競技をするだけのものではない、と思いませんか。
スポーツとの関わりは人それぞれ。エリートアスリートじゃなくても、スポーツに関連した仕事はたくさんあります。スポーツをやっていなかった私だって、今スポーツ博物館にいるわけですから。だからまず、何か本を読んでみるとか、身体を動かすとか、自分なりのやりかたでスポーツに接してみてほしいですね。
木村一貫(きむら ひとやす)さん
(秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 学芸員)
スポーツ博物館学芸員としては「スポーツ何かやっていましたか」と聞かれるとつらいのですが(笑)、基本的にはやってないほうです。自転車は好きなので、今も通勤で駅から使っていますが。
30年くらい前、青年海外協力隊としてポーランドのミュージアムに派遣されたことがあります。ミュージアムが、社会的なツール、教育的なツールとして使いこなされていることに驚いた記憶があります。国によって博物館との付き合い方は違いますから、海外に住んでいる子どもたちは、それをぜひしっかり経験してきてほしいですね。
私たちは、前にいた場所で見たものを基準として、今いる場所を見ますよね。だから日本から外国に行った子は日本の基準で外国の文化にふれる。帰国するときは、外国の基準を持って帰ってきて日本の文化に触れ、様々なことを判断したり考えたりするわけですよね。
その「基準」ってすごく大事です。それを育てるためにも、今住んでいる場所の文化に踏み出して、1秒も惜しむことなく、どっぷり浸かってください。その中で、たっぷり遊んできてください。