海外生・帰国生にこそ知ってほしい「民俗学」入門—素朴な疑問が日本文化を学ぶきっかけに
2026年8月4日
特集

海外生・帰国生にこそ知ってほしい「民俗学」入門—素朴な疑問が日本文化を学ぶきっかけに

日本人はなぜ、トイレでスリッパを履くのか? 化粧をすると気分が上がるのか? 私たちの日常に潜む「当たり前」には、実は長い歴史と深い意味が隠されている。このような“日本人の生活の本音”にフォーカスする学問が「民俗学」だ。身近なテーマから日本文化に迫ることのできる民俗学的な視点は、日本での生活に不安を抱いている海外生や帰国生の気持ちを和らげてくれるかもしれない。そうした思いから、『現代民俗学入門 身近な風習の秘密を解き明かす』(創元ビジュアル教養+α)の編者である関西学院大学の島村恭則教授と帰国子女の学生にインタビューを実施。さまざまな事例を伺いながら、帰国生が民俗学を知る魅力について探ってみた。

(取材・執筆:ミニマル上垣内)

<島村恭則教授にインタビュー> 
メイクや遊び、結婚、床の間、トイレ……生活に関わるあらゆるテーマが研究対象

  ——そもそも、「民俗学」とはどのような学問なのでしょうか?  

 

初めて聞く人にもわかりやすいように、まずは「民俗学」という言葉を分解して説明しましょう。「民」は「民衆」、つまり一般的な生活を送る「みんな」を意味します。「俗」は、地域に根ざした習慣を指し示す言葉です。公式の制度・習慣ではなく、生活のなかにあるリアルな“本音”の営みということですね。つまり民俗学とは、「みんなの生活」や「人間の本音の部分」を研究する学問だといえます。人間の生活全般を取り扱うため、研究対象は衣食住や冠婚葬祭、信仰、迷信、昔話、妖怪などの伝説、歌、家庭のルールなど多岐にわたっています。  

 

昔話や伝説が研究対象になるという点で、民俗学は歴史を研究する難解な学問であると認識されることも多いように思います。しかし、過去と現代は決して対立する概念ではありません。今の社会に存在する文化や習慣の由来や来歴を遡って調べることで、現代の解像度を高めるとともに、未来の構想に貢献する学問なのです。従来の民俗学に対する誤解を解きたいという思いから、私はあえて「現代民俗学」という言葉を用いて研究を進めています。  

 

 

——過去の風習から現代社会を理解できるような事例を教えてください。  

 

例えば、日本の伝統的な概念として“ハレ”と“ケ”があります。“ハレ”とは、儀礼や祭りといった非日常的で特別な日。対する“ケ”は、それ以外の日常を意味しています。今でも特別な場面を「晴れ舞台」と言ったり、大事な日に着る衣装を「晴れ着」と言ったりしますよね。この“ハレ”と関わりが深い習慣が、現代社会において女性を中心に一般化している「化粧」です。  

 

歴史を遡ってみると、もともと日本で化粧をするのは“ハレ”の日に限られていました。お祭りや儀式の日に神様と一体化するため、普段の自分とは別の存在に“変身”する。簡単に言うとそういう意味合いがあったのです。現代の化粧は人に見せるためにするものだと思われがちですが、実際には自分の気持ちを高めるためにメイクをするという人もたくさんいます。そうした人々にとって、化粧が日常のなかに自分だけの非日常をつくるための機能を持っているとも考えられます。その点、現代には“ハレ”と“ケ”を上手にコントロールできる人が多いといえるでしょう。  

一方で、現代の習慣のように思われるものが、実は江戸時代にも存在していたという例もあります。日本の高校生や大学生は、よく友だちとテーマパークに出かけたりしますよね。同様に、江戸時代には「お蔭(おかげまいり)」というイベントが大人気でした。「お蔭参り」とは、三重県にある伊勢神宮に集団で参拝する行事です。旅の道中でさまざまな文化や技術に触れられることもあり、数百万人規模の人々が参加していました。当時は16歳くらいの子どもたちが、家族に無断で参加することもあったというから驚きです。村から子どもが一斉に消えるといった話もあり、イベントやテーマパークなどの“物見遊山”が若者に好まれるのは今も昔も変わらないと実感できます。  

 

結婚の文化について知るのも興味深いかもしれません。昭和の日本を振り返ると、婚姻届を出してから結婚式を挙げ、その後に同居するという流れが主流でした。しかし現代では、しばらくの同棲期間を経てから婚姻届を出し、入念に準備してから結婚式を行うというパターンが増えています。昭和と現代で価値観が大きく異なるため、たびたび親子間で見解のズレや衝突が起こることのあるテーマです。  

しかし、江戸時代以前の庶民の婚姻では、夫が妻の親に挨拶してから妻の実家に通って一緒に生活し、1人目か2人目の子どもが産まれたタイミングで再度正式な結婚式をして夫の家に移るという流れが一般的でした。つまり、正式に結婚する前に夫婦が一緒に生活するのは自然なことだったのです。このように、習慣の歴史的な変遷を辿ると、現代で一般常識とされるマナーやルールが必ずしも不変のものではないと理解できます。

 

 

——現代の私たちからすれば「どうしてなんだろう?」と思う習慣にも理由はあるということでしょうか?  

 

その通りです。特に、日本の住まいに関する習慣は調べてみると面白いと思います。一例として、日本の和室には一段高くつくられた「床の間」がありますよね。よく掛け軸や壺が設置されている小さいスペースです。「床」といえば寝る場所を指しますが、あのスペースで眠る人はほぼいないでしょう。では、なぜあそこを「床の間」と呼ぶのでしょうか?  

 

実は、平安時代の貴族たちは本当に床の間で寝ていたのです。当時の和室は基本的に木造の「板の間」。横になると身体を痛めてしまうので、畳を何枚か重ねてその上で睡眠をとっていました。しかし、やがて部屋の一面を畳敷きにするようになり、わざわざスペースをつくる必要がなくなった。ところが不思議なもので、段差のない和室に違和感を覚える人が多かったのです。そこで、特に寝るわけでもないのに「床の間」のスペース自体は残され、その名残が現代まで受け継がれてきました。現代の和室にある床の間は、いわば「使われなくなったベッド」ということになります。  

同様に古い習慣の名残であると考えられているのが、トイレのスリッパです。 昔の民家では、トイレは野外に設けられていました。つまり、履き物で外に出ていく必要があったということです。そして、トイレが家のなかに移った現代でも、トイレで何かを履かないと落ち着かない気持ちが残ったのです。もちろん、衛生的な要因も考えられますが、その背景には昔の住居構造が大きく影響を与えています。  

「なぜ?」という素朴な疑問が民俗学的探究の源泉になる  

 

——メイクからトイレのスリッパまで、非常に興味深い身近な事例ばかりですね。こうした民俗学の研究はどのように行われるのでしょうか?  

 

民俗学において重要なのは、日常の“些細なこと”に着目する視点です。一見すると価値がないと思われる習慣や文化にも、たくさんの意味や理由が込められています。例えば、自分が住んでいる町の地名を調べてみるのもひとつの研究です。「沼」や「池」といった地形を示す字が含まれていれば、その土地にどのような歴史があるのかを予想することができます。民俗学研究において重要なのは、身近なところから出発し、より大きい事象と結びつけて考えることなのです。  

 

フィールドワークの手法としては、テーマに沿って特定の場所を深く掘り下げる調査と、さまざまな場所を巡って比較する調査があり、その両方に取り組むことが大切です。現地を訪ねることはもちろん、書籍やインターネットなどあらゆる手段を活用することをおすすめしたいと思います。とりわけ多くの正しい情報に触れることに意味があり、私はそれを「回遊」と呼んでいます。ひとつの場所にとらわれず、自由に移動して研究し、また戻ってくることもある。そうした進め方のほうがテーマにまつわる共通点や関連性を見出せる可能性が高く、偏った考えに陥るのを防ぐことにもなります。  

——帰国生にとって、民俗学を学ぶ魅力は何なのでしょうか?  

民俗学は帰国生にぴったりの学問だと考えています。というのも、異文化を経験した帰国生は日本の文化や習慣に対して「なぜ?」という素朴な疑問を持ちやすく、それが探究の源泉になるからです。現在は海外に住んでいて、いずれ日本に帰国することが決まっている場合は、それまでの間に現地の習慣にまつわる情報を集めておくことをお勧めします。帰国後の「なぜ?」の探求に役立つはずです。

 

「気になったから調べる」が民俗学研究のはじまり

——帰国生におすすめの民俗学的研究テーマはありますか?  

まずは日本に来て不思議に思ったことや不安に感じたことをそのままテーマにしてみるのはいかがでしょう? 例えば周囲の人たちの話を聞いていると、人によって方言があったり言葉遣いが異なっていたりするはずです。こうした違いはどのような背景で形成されてきたものなのか。それを調べるだけでも十分に民俗学的な研究であるといえます。最初から「日本文化を理解しよう」というような大きい目標を掲げる必要はありません。家族や友だちの行動の一つひとつを観察し、素朴な疑問を深掘りしてみると面白いと思いますよ。  

 

 

——最後に、民俗学に興味を持つ帰国生に向けてメッセージをお願いします。

民俗学は、いい意味で「何でもあり」の学問です。例えば、大きな科学の発見があった際にも、新しい法律が生み出された際にも、当然ながら人々は食事や睡眠など“普通の生活”を営んでいたはずです。しかし、それらは研究に関連のない要素として切り捨てられてしまいがちです。一方、民俗学ではこうした“普通の生活”にフォーカスし、不合理な部分も含めて人間の本音に迫ることができます。特に帰国生の方にとっては、日本の習慣や文化を理解するための入り口になってくれるでしょう。その過程で他の分野へと興味が広がっていく可能性もあります。「気になったから調べる」というシンプルな動機から、ぜひ民俗学の面白さに触れてみてください。

 

(プロフィール) 
関西学院大学 教授  島村 恭則
教授  島村 恭則
関西学院大学社会学部長、世界民俗学研究センター長。博士(文学)。専門は、現代民俗学、民俗学理論。1967年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学。編書に『現代民俗学入門 身近な風習の秘密を解き明かす』(創元ビジュアル教養+α)、著書に『みんなの民俗学』(平凡社)、『民俗学を生きる』(晃洋書房)、『〈生きる方法〉の民俗誌』(関西学院大学出版会)など。2025年9月には、民俗学の魅力を詰め込んだ新刊『これからの時代を生き抜く[島村恭則3]ための民俗学入門』(辰巳出版)を発売した。   

   

 

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