蝶の舞う温室 石川県ふれあい昆虫館
2024年7月1日
特集

【シリーズ:地球はどこでもミュージアム!】 虫を知る・触れる昆虫館

 

 「ハチドリって見たことありますか?」  

 

世界中のミュージアムを知り尽くす、自他ともに認めるミュージアムの達人・栗原祐司さん(国立科学博物館副館長、ICOM日本委員会副委員長)。東京生まれ東京育ちの栗原さんは、2000年代のはじめのアメリカ赴任中に、生まれて初めて本物のハチドリに出会った。   

 

「図鑑などでその存在は知っていても、どこか知らない遠いところにいる伝説上の生き物みたいに思っていた、それが実際に目の前にいて動いている。すごく興奮しました」   

 

本物を見る、触れる。それはまるでミュージアムでの体験だ。庭先にやってきたハチドリとの邂逅は、栗原さんにとって忘れられない自宅での「ミュージアム体験」になった。   

 

「いま日本を離れて世界の各地で育っている子どもたちも、日々何か新しいものに出会っているはず。日本にはない珍しい植物に出会い、動物と触れ合い、滞在国の歴史を学び、アートに触れ、未知のものに出会う。毎日の暮らしそのものがミュージアム体験です。そのかけがえのない日々、大切にしてほしいですね」 

 

JOESマガジンの前身である月刊『海外子女教育』では、毎年夏に日本のミュージアムを特集してきた。

その流れを汲んだ本記事、今回は「昆虫館」を紹介する。ナビゲーターは栗原祐司さん、訪問レポートは石川県ふれあい昆虫館。  巻末には、恒例の「栗原さんススメ 日本と世界の昆虫館 リスト」も用意した。

昆虫という身近で多彩で、知られざる生き物の、緻密で驚きに満ちた世界へようこそ。

 (取材・執筆:只木良枝 画像:特記のないものは石川県ふれあい昆虫館にて筆者撮影)

●過去の記事はこちら
文学への扉をひらくミュージアム ——文学館(2023年7月号)  
平和を考えるミュージアム ——いま、私たちができること(2022年7月号)  
歴史と文化を救う・伝える ——「史料ネット」を支える人々(2021年7月号)     

 

未来の昆虫博士? 石川県ふれあい昆虫館
未来の昆虫博士? 石川県ふれあい昆虫館

 

ミュージアムの達人がいざなう昆虫館の世界

シャープゲンゴロウモドキの展示
シャープゲンゴロウモドキの展示

「以前どこかで見た虫の展覧会で、ある虫のキャプションに『高価な虫』とあって、なんだか腹が立ちましたねえ。生き物に対してそれはないでしょう」

 

昆虫は商品ではない。「貴重な虫」「稀少な虫」というのならわかるけど、と栗原さんはちょっと憤慨した口調だ。生き物である昆虫は、世話を怠ったり、間違ったやり方で死なせたりしてしまっても、ゲームの世界のようにリセットすることはできないのだから。

 

「今日本では、虫を目にする機会が減ってきています。環境破壊も進んでいるし、衛生環境が整った日本はきれいになりすぎちゃって害虫も減っていますからね」

 

季節を告げる虫たちはともかく、害虫には正直あまり出会いたくない。でも考えてみれば人間が勝手に「害」に分類しただけで、彼らだって必死に生きている。しかも私たちの生活にとっても、身近な存在だ。

 

「そんな昆虫を知るためには、やはり昆虫館ですよ。国立科学博物館でもこの夏特別展『昆虫MANIAC』を開催予定ですが、今日は昆虫の専門館の話をしましょうか」

モルフォチョウの展示
モルフォチョウの展示

昆虫を展示する施設の歴史は古く、1881年イギリスの動物学協会がロンドン動物園のなかに設置した施設が始まり。当時、50種類以上の昆虫が展示されていたそうだ。

 

日本では大正時代の1919年に岐阜県に名和昆虫博物館が誕生。戦後、1950年代になって兵庫県宝塚市と東京都練馬区の豊島園に展示施設ができた。1961年には、東京西部にある都立の多摩動物公園でも展示が始まった。    

 

昆虫専門の館の数は決して多くないが、県立の総合博物館や自然史博物館、そして動物園の展示の一部として扱われているところを入れると、それなりの数になる。    

 

「個人や団体が運営する館もあります。先日訪問した埼玉の加須市大越昆虫館はすごかったですね。埼玉昆虫談話会という団体が運営していて、個人所有の土地にプレハブで昆虫館を建て、借りた土地に環境団体の助成金でビオトープのような池を作り、生態園まで作っていました。任意団体とはいえしっかり外部資金を獲得して展示を充実させていて、その熱意に感服しましたよ」    

 

現在では全国昆虫施設連絡協議会が組織されて、登録館は22(2021年度)。所属館のスタッフが昆虫の生態や飼育方法を熱く語った『昆虫館はスゴイ!』(出版社:repicbook)は、昆虫好きの人々の間では必読書になっている。    

 

「この協議会の発足に尽力したのが、長年NHKラジオの夏休み子ども科学電話相談で活躍した昆虫学者の矢島稔という人。その名前を冠した『矢島賞』が、毎年、すぐれた昆虫展示に与えられています」

カブトムシの展示
カブトムシの展示

昆虫館という名前から思い浮かぶのは、ガラスケースに入った世界各地の昆虫の標本だ。もうちょっと専門的になると、液体が満たされたビンの中に入った標本……。

 

「もちろんそれらも展示の基本ですが、昆虫館には生体展示という大きな魅力があります」   

 

つまり、展示ケースや水槽の中で生きている昆虫を飼育して展示、実際に動く様子を見ることができるのだ。   

 

「昆虫は身体のサイズが小さいものが多いので、そういう展示も可能でしょう。昆虫館と名乗っているところは、どこも飼育や繁殖に力を入れています。館によっては、蝶が舞う温室を備えているところもありますよ」   

 

敷地内に広大な森を持ち、その中で採集自由としているところもある。標本で学んだばかりの実物が目の前を飛び回っていて、触れることもできる。恐竜や猛獣ではそういうわけにはいかない。これも昆虫ならではの楽しみだ。

 

「次に重要なのが、日本文化が学べる場であることです」

 

昆虫といえば、生物とか環境、いわゆる理系っぽいイメージなのに、なぜ日本文化?

 

「日本の暑い暑い夏の終わりの夜に、虫の音が聞こえてきて『そろそろ秋だなあ』なんて思った経験、ありませんか。和歌や俳句を思いだしてください。万葉集の歌には、『こほろぎ』『ひぐらし』などの虫が登場します。そうそう、宮崎アニメの代表作のひとつ『風の谷のナウシカ』は、平安時代に記された『堤中納言物語』に登場する虫愛ずる姫君がモデルになっているという話もありますよね」   

 

四季のある日本では、昆虫の鳴き声や行動は季節によってはっきり異なっている。セミが鳴くのは夏、赤とんぼが飛ぶのは秋……。昆虫の活動は私たちに四季の移り変わりを感じさせ、それが文学作品や美術作品に大きな影響を与えてきた。日本文化を昆虫館で学ぶ。ちょっと不思議な気もするが確かにその通りだ。   

 

「兵庫県伊丹市には、『鳴く虫と郷町』という風流なイベントがありますよ。毎年秋のはじめに、酒蔵のある通りなどに秋の虫が展示されて、道行く人がその鳴き声を楽しめるというものです。今、市街地では虫の姿をなかなか見ることができなくなっていますからね。伊丹市昆虫館が、スズムシなど15種3,000匹もの虫を毎年準備しているそうです」

研究成果の展示
研究成果の展示

もうひとつ、栗原さんが挙げたのが「研究」だ。確かに、飼育や繁殖に力を入れる昆虫館では、毎日が実験と観察という研究の繰り返しといえるのかも。    

 

「それだけではありません。子ども昆虫博士って、時々ニュースに出るでしょう」    

 

たしかに、昆虫関係では「小学生が知られざる生態を発見」「高校生が学会発表」など、子どもの活躍が報じられることがあり、その頻度はほかの学術分野よりも高い気がする。    

 

昆虫のなかには、まだその生態がくわしく解明されていないものも多い。一方で、飼育や観察に大掛かりな設備や特殊な装置を必要としない小さな昆虫の飼育や観察は、子どもでも比較的容易に取り組むことができる。自室に置いたケースの中の昆虫の観察を根気よく続けた結果、今まで知られていない行動を発見するなど、大人顔負けの研究成果をあげることも可能なのだという。    

 

「小さな昆虫なんかは、何を食べるのかもわかっていないものがたくさんありますからね。もちろん観察だけでは研究にならないのですが、子どもが『新発見かも?』と学校の先生に相談し、それが地元の昆虫館や博物館に持ち込まれ、研究員や学芸員が伴走して、論文発表にいたる例は少なくありません」    

 

自宅での飼育や観察のための資料を充実させ、飼育教室などのイベントを開催し、飼育や観察方法の動画を公開するなど、情報発信や教育に力を入れている昆虫館も多い。昆虫の世界は、興味を持ったら子どもの力でもどんどん奥に進んで行けるのだ。

 

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