早稲田アカデミー賞

四日間戦争

イスラマバード日本語クラブ(パキスタン)
小6 藤﨑 巴吏秀


 五月八日木曜日、朝起きたら、父と母がニュースを見ていた。テレビでは、夜中にインドから攻撃があって、パキスタン各地でいくつも爆発があった動画が流れていた。母が今日は学校は休みだと言った。学校は試験期間中で、今日はコンピューターと僕の苦手なウルドゥ語の単語試験があるはずだったので、僕は飛び上がるほど嬉しい気持ちだった。嬉しすぎて、寝ていた弟を起こして学校が休みだと教えた。今まで、プロテストで学校が休みになったことは何回もあったけど、爆発があったから、というのは初めてだった。


 母は仕事が休みになって、僕たちと家にいた。僕は弟とゲームをたくさんして、ずっと休みだったらいいのに、と思った。学校の友達のグループメッセージでは、これがずっと続くといいな、という人もいれば、すごい心配してる人もいた。僕はテストの勉強なんかしなくていいと思った。本当に明日はテストがあるのか分からないし、テストの勉強をしたって、どうせ無駄じゃないのか、と思った。国が戦争になるかもしれないのに、テストをやっている場合じゃない。


 金曜日も学校は休みだった。朝から、インドのドローンがたくさん上空を飛んでいたので、外に出られなかった。ドローンは、僕の住んでるところから車で二十分位のクリケットスタジアムにも落ちた。そこは、僕がサッカーに行く時に何度も通ったことがある所だった。サッカークラブから、今日の練習はキャンセルです、ステイ・セイフ、とグループメッセージが来た。学校に行ったり、友達に会ったり、サッカーをしたり、毎日当たり前にしていたことが全部できなくなった。


 この日の夜は、停電になった。僕は本当に停電なのか、戦争のせいかのか分からなくて心配だった。軍の飛行機が飛んでいる音が家の中まで聞こえて、なかなか眠れなかった。日本の祖父から大丈夫なの?と電話があった。日本の友達のお母さんからも母に連絡があった。パキスタンに住む日本人の友達の町では灯火管制が行われていて、電気を消して真っ暗な中で携帯を見ている、と連絡があった。僕はなんだかすごくヤバイ感じがした。


 土曜日、朝早く起きたら急に状況が変わっていた。夜中に、近くの軍施設にミサイル攻撃があったらしい。母とソファに座っていたら、ドーンと大きな音が二回聞こえた。一瞬何か分からなくて、母と目が合った。こんな事は初めて。びっくりした。軍施設の近くに住んでいる親せき二家族が僕の家に避難してきた。直ぐにパキスタン軍もインドを攻撃した。みんなは空軍のパイロットの従弟のことを心配していた。僕も心配だった。


 このままでは僕たちは日本に帰らないといけないかもしれない。でも空港はもう封鎖されているし、帰れるのか。もしも、僕が日本に帰れたとしても、パキスタンから帰るところがない人はどうなるのか。戦争が始まった時は、僕はこのまま学校が休みになって、テストもなくなればいいと思っていた。でも、こんなにひどくなるとは思わなかった。


 五月十日、土曜日の夕方、パキスタンとインドは停戦に合意し、戦争は終わった。四日間は短かったけど、僕はすごく長く感じた。毎日、明日はどうなるんだろう、と思って怖かったから。夜にはパキスタン軍の長い記者会見があって、陸海空軍がそろって四日間の出来事を説明していた。僕は、すごく格好良いと思った。


 翌日、日曜日にはサッカーの練習があって、月曜日は学校で予定通りにテストがあった。昨日まで戦争をしていたのに!こんなに直ぐに、普通の生活に戻るなんて。もうテストはないのかと思っていたので、日曜の夜に慌ててテストの勉強をした。


 もし、停戦になっていなかったら、今頃僕たちはどうしているのか、考えるのも恐ろしい。去年の夏休みに広島の平和記念資料館に行った時は、まさか自分が戦争を体験することになるなんて思いもしなかった。僕は、このまま学校がずっと休みになったらいい、と思っていたけれど、たった四日間でも、戦争の後には、やっぱり普通の毎日が一番なんだと気が付いた。今日は、テレビでイランとイスラエルのニュースをやっていた。戦争を経験した僕は、今心から、世界中の人達が普通の毎日を過ごせるように祈っている。