日本児童教育振興財団賞

強くなるってどういうこと?

トロント補習授業校(カナダ)
小3 岸田 帆生


 カナダにすんでいると、友だちとおわかれするきかいが多い。そのたびにとてもかなしい気もちになる。わたしはカナダで生まれそだったから、これからもずっとカナダにいる。わたしはいつも見おくるがわだ。


 友だちだけではなく、先生のいれかわりもはげしい。わたしは人とおわかれする時、いつもないてしまう。クラスのだれ一人ないていなくても、わたしはいつもなく。
「なぜわたしだけ、いつもないてしまうのだろう?」
わたしは自分の心が弱いから、ないてしまうのだと思った。わたしは強くなりたかった。


 それからというもの、わたしは人とおわかれする時、なかなくなった。なくのをがまんしたら、なみだは出なくなったけれど心はさみしい気もちのままだった。ちっとも強くなれた気にはなれなかつた。それどころか、なみだをがまんすればするほど、心はどんどんかなしくなっていった。


 二年生のおわりに、「一年生から二年生になって、できるようになったことはなんですか?」というワークシートがあり、わたしは、「先生や友だちとおわかれする時、なかなくなった。」と書いた。でも、これを書いた時、わたしはふくざつな気もちでいっぱいだった。なかなくなったのは、本当にいいことなのかな?なくことはわるいこと?そんな言葉が、わたしの頭の中でぐるぐるまわった。


 ほ習校で二年生のさい後の日に、わたしの大好きだった、たんにんの先生が日本に帰ることになった。なかないでおこうと思ったのに、自ぜんとなみだがあふれてきた。もうカナダには帰ってこない先生のことを思うと、なみだがとまらなくなった。
「ああ、またないちゃったな。」
そう思ったしゅん間、先生が
「やさしいね、ありがとう。」
と言ってわたしをだきしめてくれた。先生はわらった顔をしていたけれど、どこかかなしそうな顔をしていたようにわたしには見えた。
「先生もおわかれするのがさみしいのかな?」


 それいらい、わたしは見おくられる人たちの気もちも考えるようになった。きっと見おくられる人たちも、すごくかなしいんだな。日本に帰ったら新しい生活がまっていて、ふあんな気もちでいっぱいなんだろうな。そんなことを考えているうちに、日本に帰っても元気でいてほしいな、新しい友だちをたくさん作ってほしいなと、見おくられる人をおうえんする気もちがこみ上げてきた。


 そう考えるようになってから、さみしい気もちはかわらないけれど、わたしの心がすうっと落ちついていくのがわかった。それからは友だちとの時間をもっと大切にすごそうと思えるようになった。


 わたしは、これからもたくさんの人たちを見おくることになるだろう。でも少しくらいないてしまっても大じょうぶ。なくことはけっして弱いことではないということがわかったから。もしまた、とてつもなくかなしい気もちになったら、見おくられる人が日本でうまくやっていけるように、元気ですごせるようにおいのりしよう。そして、いつかまた会おう、そう強くねがう心が、わたしの心を強くしてくれると思うから。