クラーク記念国際高等学校賞

ぼくたちは人間だから

デュッセルドルフ補習授業校(ドイツ)
小5 河尾 有灯


 ぼくは今、ドイツで移民の一人。母も。ドイツ人の父と、ぼくの弟と妹は、ドイツで移民ではない。でも、もしぼくたちが日本に住んだら、ぼくと母と弟と妹は移民ではないけれど、ドイツ人の父は移民だ。ぼくはもうすぐ、ドイツ人の父の養子になる、そうしたら、ぼくはドイツでも、移民ではなくなるのかな。ぼくの母は日本人で、ドイツではずっと移民のままだ。父と母がぼくに養子とは何か話してくれた時、ぼくは母に、母の国せきについて聞いてみた。その時母は、
「ママは日本人であることをほこりに思っていて、これからも国せきを変えることはないよ。」
と言っていた。そしてこの夏、ぼくたち家族は、みんなでアメリカへ引っこす。アメリカでは、ドイツ人の父も、日本人の母も、ドイツ人でも日本人でもあるぼくたち兄弟も、みんな「移民」になる。


 今までぼくは、自分も「移民」の一人だなんて、考えたこともなかった。でも、今年の春休みに日本に行った時、祖父から、日本で移民の問題が起きていることを聞いて、ぼくはもやもやした気持ちになった。ぼくがくらしているドイツには、移民もなん民もたくさんいるし、それはぼくの学校の教室でも同じだ。だから、ぼくにとって世界中に移民がいることは、特別なことではない。ぼくが感じたもやもやした気持ちは、悲しいような、おどろいたような気持ちだったのかな。そしてふと、「移民」ってだれのことだろう、とぼくの心はそわそわした。IOM(国際移住機関)によると、「移民」とは、本人の法的地位や移動の自発せい、理由、たいざい期間に関わらず、本来の居住地をはなれて、国きょうをこえるか、一国内で移動したあらゆる人、と説明されていた。ということは、ぼくも「移民」なのだ。


 ぼくは日本で生まれて、四才の時、ドイツに引っこしてきた。それからずっとドイツでくらしていて、今は小学四年生だ。ドイツの小学校は四年生までなので、この夏から、ぼくはギムナジウム(大学進学コース中高等学校)に進学する。ぼくたちは夏休み中にアメリカへ引っこすから、ぼくはアメリカにあるドイツ人学校のギムナジウムに入学する。ぼくは今、学校の休み時間も放課後も、毎日友達とサッカーをしているので、アメリカへ行っても、新しい友達とサッカーをすることを楽しみにしている。ぼくのしょう来のゆめは昆虫学者になって、ノーベル平和賞を取ること。そのゆめに近づくためにも、これからぼくは、アメリカで新しいことを学びたい。


 日本でもドイツでもしていたように、アメリカへ行っても、ぼくは昆虫さがしや観察を続ける。昆虫の世界では、外来種による多くの問題が起きる。例えば、ざっ種がふえてざい来種がいなくなってしまったり、ざい来種と外来種がえさや住みかをめぐって争いや競争をしたり、害虫の問題が起きたりする。絶めつする昆虫が出て、生態系が変わってしまうことは、昆虫の世界では大問題だ。でも、昆虫の世界とちがって、人間の世界では人が移動することによって、いいこともたくさんある。ぼくのクラスにも、いろいろな国と関わりのある友達がいて、ぼくたちはおたがいに、いろいろな国の文化や言葉を知れる。移動してきた人たちは、もともといた人たちの言葉や生活になれるように努力することが大切だと思う。そして、もともといた人たちはきょう味をもって、おたがいに自分たちの文化や言葉を教え合えたら、世界は平和に楽しくなると思う。人間は昆虫とちがって話せるし、遠くまで行けるし、自分のありのままで相手と仲良くすることができる。人間だから、移動することによって問題を作り出すのではなく、助け合ったり、えいきょうし合ったりして、よりよい世界を一緒に作っていけると思う。


 ぼくの日本人のパパは、ぼくが一才の時にメキシコでなくなって、今は天国でくらしている。母は、ぼくのパパがスペイン語がペラペラで、スペイン人の友達と一緒に、スペインでいつも笑ってくらしていた話をよくしてくれる。天国では何語で話しているのか分からないけれど、パパはやっぱりいつも、笑顔でくらしていると思う。天国には移民問題なんてないのだろうな、とぼくは想像する。天国では、国せきなんて関係なくて、みんな仲良く平和にくらしていると思う。ぼくたちが生きている世界もそんなふうに平和だったらいいけれど、ぼくたちの世界には国きょうがあって、それぞれの国に、それぞれの言葉や文化やれきしがある。だから、みんなが仲良くくらせるように、おたがいを大事に、おたがいをそん重し合ってくらせたら、世界はきっと天国みたいに平和になると思う。