昭和日常博物館(北名古屋市歴史民俗資料館) 

北名古屋図書館と同居している。印象的なラッピングは2025年春までの限定で、現在は撤去されている
北名古屋図書館と同居している。印象的なラッピングは2025年春までの限定で、現在は撤去されている

栗原さんおススメの「昭和を知る・昭和を学ぶミュージアム」、もうひとつは北名古屋市歴史民俗資料館だ。正式名称よりも、昭和日常博物館という名称のほうがずっと有名かもしれない。昭和の資料に特化した収集と展示で知られている。 

細部まで作りこまれた空間に本物が配置されている
細部まで作りこまれた空間に本物が配置されている

昭和日常博物館は、1990年に愛知県師勝町歴史民俗資料館として出発した。3年後に「屋根裏のみかん箱は宝箱」と題する企画展を開催、新しいコレクションをつくっていくことを目指して昭和の資料の収集をはじめた。1997年には特別展「日常が博物館入りする時」を開催、昭和日常博物館と呼ばれるようになった。街並みを精巧に再現し、展示ケースの中にはおもちゃや日用品がずらりと並んでいる。中にはゴミ箱の中身をそのまま展示したコーナーもある。それも、時代を映すコレクションなのだ。      

ゴミ箱の中を再現した展示
ゴミ箱の中を再現した展示

壁一面に、電化以前と電化後の道具を比較した展示がある。電気、ガス、水道の整備が進んで日本人の生活様式が大きく変化したことが一目瞭然。私たちが使っている家電製品が、この時期に登場していることがわかる。

柱の右が電化前、左が電化後
柱の右が電化前、左が電化後

館のコレクションは16万点を超える。

「展覧会のたびに寄贈を呼びかけているので、どんどん増えます」と話すのは市橋芳則さん。開館当時からの学芸員で、2023年まで館長をつとめていた。

旅行の記念品として一世を風靡したペナントという細長い三角形の旗は、当初3枚しかなかったコレクションが展覧会を契機に600枚にまで増えたそうだ。化粧用のコンパクトミラーは10日で120個に。昭和の資料を集め始めた頃、「そうなると館としても、もっと来い、もっと来い、ということになります」と市橋さんは笑う。 

企画展にあわせて旅行準備中。壁の三角の旗がペナント
アウトドアの企画展に合わせて、常設展でも旅行の準備中
食卓もカレーライス
食卓も企画展コラボ。スキーと言えば定番のカレーライスが食卓に

コレクションが分厚いということは、展示の充実につながる。企画展と連動して常設展も頻繁に展示替えをしている。取材時の企画展は「1980年代から遡るアウトドア図鑑」で、スキーや釣りなどのアウトドア用品やウエアを展示。このとき、常設展のリビングでは旅行バッグ旅支度を再現して、食卓にはスキー場の定番食であるカレーライスが用意されていた。

 企画展「1980年代から遡るアウトドア図鑑」
 企画展「1980年代から遡るアウトドア図鑑」 
昭和玩具のコレクション
昭和玩具のコレクション
隣接の市の施設にあるカフェとのコラボメニュー
隣接の市の施設にあるカフェとのコラボメニュー

2002年からは、北名古屋市との共同事業で「地域回想法」という取り組みをしている。館の収蔵品等を使用して、高齢者に過去の経験や記憶を語ってもらうというものだ。記憶を呼び覚ましながら語り合うことで脳を活性化し、健康増進や認知症予防に役立つことも期待されている。

昭和のコレクションを始めた頃から、市橋さんは来館したお年寄りが「なつかしい」「私も使っていた」と言って目を輝かせて懐かしそうに話しはじめる姿を見てきた。1999年には「ナツカシサ」をテーマに企画展も開催した。

何か連携できないかと考えながらも、福祉と教育という縦割りを乗り越えられずにいた時に、旧師勝町(師勝町はかつて愛知県西春日井郡に存在した町)が厚生労働省のモデル事業として「地域回想法」に取り組むことになった。

 

「いやあ、嬉しかったですね。こんなチャンスがあるんだ、と思いました」

 

この時に、博物館が管理していた登録有形文化財の旧家を回想法の場として整備し、町の事業として本格的に取り組みはじめた。 

「博物館でなぜ福祉? 介護? 認知症予防?」と、言われることもある。しかし、2018年の国の文化芸術推進基本計画によれば、博物館は「教育機関・福祉機関・医療機関等の関係団体と連携して様々な社会的課題を解決する場」である。まさに社会が抱える課題の解決に結びつく取り組みだ。隣の西春町と合併して北名古屋市になった2006年には、すでに館の規則に事業として「回想法」が明記されていた。 

 

「うちがずっとやってきたことに、国からのお墨付きをもらった形です。追い風が吹いたように感じました」と言う市橋さん。

 

 回想法を始めて20年以上。現在、地域回想法に使うキットの内容をリニューアルしている。今のシニアは、すでに洗濯板もかまども知らない世代なのだ。昭和だけなくバブル期や平成のモノのコレクションも進めている。「いずれは平成日常博物館をつくりたい」と市橋さん。 

この地域回想法の取り組みは、2020年の日本博物館協会賞を受賞している。まさに「昭和」の文化を活用した取り組みが、時代の先端を走ることになったのだ。 

地下には昭和の車やバイクが
地下には昭和の車やバイクが 

 今、海外に住んでいる君へ     

市橋芳則さん(昭和日常博物館 専門幹・前館長)
市橋芳則さん(昭和日常博物館 専門幹・前館長)

昭和100年と言われても、個人的にはピンとこないところがあるんです。100年分を人の一生という捉え方をするといいのかな。その一生分の間に、世の中がものすごく大きく変わりました。中でも縄文時代から暮らしの中心にあったかまどが消えたのは、人類史上最大級の変化でしょうね。まだまだ面白いテーマがありますので、自分が館に関わっている間に色々企画したいと思っています。 

昔は黒電話でダイヤルを回しました。今ではスマホから1タップで電話がかけられます。 

洗濯機ができて、洗濯板を使っていた時に比べてずっと省力化されました。東京・名古屋間は、昔は何時間もかかったのが、今や1時間ちょっとです。 

そうやって便利になった分、時間が余っているはずですよね。でも、私たちはこんなに忙しいです。その時間って、いったいどこに行ったんでしょうね。何かに食われているんでしょうか。昭和と今を比べてみて、そんなことをちょっと考えてみませんか。 

 

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