タイ・バンコクで暮らす美並りなさん。日本で看護師として長く勤務したのち、タイ人の夫の赴任を機に中国・上海へ。その後、栃木県駐在を経て、タイへ移った。現在は看護師として経験してきたことを活かして、育児支援や性教育など幅広く活動している。活動内容やそのきっかけ、夫、長男、次男と送る生活についてなど、話を聞いた。
(取材・執筆:Makiko)
自分にできる恩返しを考えて、始めた活動
—りなさんは熊本県出身で、高校から衛生看護科に進み、大学病院やホスピスなどでの勤務を経て、産婦人科に長く勤められていたのですね。
母の影響で早くから看護師という道を決めていました。無事に看護師となり、大学病院に勤務。その後ホスピスに移ったのですが、毎日亡くなる方がいるような環境に一度バーンアウトしてしまい、個人の産婦人科クリニックに移りました。
—ホスピスから産婦人科というと、環境が明るく変わりそうですが。
ところが、そうでもないんです。産婦人科でも流産や死産などがあります。でも、そこで私がホスピス時代にグリーフケアという、亡くなった後の家族のケアをしていた経験が役に立ちました。個人の産婦人科クリニックで、マニュアルもないような状態だったので、自分で研修を行うなど仕事に励みました。夫と結婚し、上海に移るまで10年以上そこで勤務していました。
—上海で駐在妻としての生活が始まり、その後日本で3年間過ごされて、2016年からタイ・バンコクで暮らしているのですね。ずっと看護師を続けられていたのですか?
上海行きを聞いた頃は仕事でかなり疲れていたので、解放されるような気持ちでしたね。生活が落ち着いた頃に長男を妊娠、出産しました。その頃は、自分は活動をする側ではなくて、上海の日本人コミュニティの中で助産師さんによる出産準備教室に参加したり、同時期に出産するお友達をスムーズに作ることができたりと、周りのお世話になっていました。4年後に次男も出産し、子育て第一というのがこの頃の自分のポリシーでした。ただ、セカンドキャリアなどのフレーズを耳にすると、育児だけではダメなのかなという気持ちになったこともありました。育児も勉強も両方を同時にするのが難しいという人など、いろんな人がいていいはずなのにね。
—現在は「バンコクこころ保健室」という活動を主にされているのですね。その内容や活動されたきっかけは?
きっかけは、あります。バンコクの日本人街で日本人のお母さんが飛び降りてしまったことがありました。私はその頃専業主婦でしたが、彼女の亡くなった意味を深く考えさせられました。私に何かをさせようとしているのかな、と感じたんです。バンコクの街をもっと優しくするために私に何ができるだろうかと考え、このような形になりました。 こころ保健室の活動内容は性教育、育児支援、妊活、不妊や思春期の相談など多岐に渡ります。運営費分以外はボランティアですが、リクエストに応じて講演や病院イベントのお手伝いなどもします。
海外では、日本では起きないようなことが起こることがあります。インターナショナルスクールで、日本の学校では教わらないような性教育を受けてくることがあります。そういった時に、親子いっしょに日本語で話を聞いてあげられたら、と思っています。
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「人とは違って当たり前」と知ることが、自分自身を大切にすることに繋がる
—お子さんが5歳と1歳の時から3年間は日本の栃木県にいらしたのですね。
土地勘のない場所だったので、幼稚園選びから手探りでした。決めたのは海外志向の幼稚園でしたが、それでも入っていくのに時間がかかりました。なんとなく、受け入れられにくいような。うちの子どもたちがミックスという理由はあったと思います。でも、その中で、一人、二人とお友達に恵まれて、タイへ赴任するとなった頃には離れるのが辛いほど楽しむことができました。日本では警戒心を解くことができるし、安心感が大きかったです。
—バンコクに移り8年目になりますが、現在の暮らしの様子を教えてください。
ここは朝が早く、7時半には始まる学校もあります。学校選びでは、丁寧に生徒をケアしてくれる日本人学校に惹かれる思いはありましたが、今後も転勤が続くことを想定し、インターナショナルスクールを選びました。編入した頃は子どもたち二人とも英語で苦労していました。特に次男は社交的ではないこともあり、一時期は何も言葉を出せなくなるほどでした。私としてできることは、毎年、新しい先生になるたびに、「彼はバイリンガルです、話すのが得意ではないです」と申し送り事項を伝えていくことです。
夫は在宅勤務が基本ですが、その代わり世界中の時間帯での仕事があるので、正直、昼夜問わず仕事をしていますね。
食事は子どもたちが好きな和食にすることが多く、そういった時は夫には好きなものをデリバリーで頼んでもらうこともあります。タイはデリバリーが安いし気軽に頼めるので、助かります。
—海外暮らしが長くなる中で、ご自身の変化など、発見はありますか?
私は生まれも育ちも日本なので、「周囲と同じでいる方が楽」と考えていたこともありました。日本では、夫がタイ人で、子どもたちがミックスであるだけですごくマイノリティであるという気持ちになっていました。でも、バンコクでは隣の人と自分が違っているのが当たり前です。今は「人と自分は全く違うのだ」ということがいつも自分の中にあります。それをしっかり知ることで、人にも自分にも優しくなることができます。私は英語もタイ語もそんなにできませんが、海外という土地で楽しく暮らせてはいます。色々経験する中で、自分らしくいられるように、考え方を変えてきたところもあるのかもしれません。
—今後の展望を教えてください。
このまま、みんなの「バンコクこころ保健室」であれたらいいなと思っています。昔よく働いてきたので、今はお金が対価というステップには心が満足できていて、次は別のステップ。恩返しや、自分が何かを差し出していくという時ですね。