スライド異動を重ねたからこそ輝く、自分たちらしい「個性」
2025年6月16日
イマドキの海外生活

スライド異動を重ねたからこそ輝く、自分たちらしい「個性」

アメリカ・ジョージア州に暮らす降矢ファミリー。1度目のジョージア州駐在中にアメリカで生まれた長女の望空(みそら)さんと次女の夏希(なつき)さん、その後、帰国して日本で生まれた三女の瑚々(ここ)さん。それぞれ小学校5年、小学校2年、小学校1年生まで日本で学校生活を送ったのち、2016年から3年間をインディアナ州、2019年から2年間をオハイオ州で過ごし、2021年から再びジョージア州での駐在に同行している。母子帰国を選ばずに「スライド異動」(海外駐在から帰国を挟まずにまた別の海外に駐在すること)に同行を続けた生活と課外活動や将来について、現在は大学2年、高校2年、高校1年生となる三姉妹と母の佳子さんに話を聞いた。

(取材・執筆 Makiko)

「新しい自分」にリセットして挑んでいった、度重なる引越し  

—現在お住まいのジョージア州はアメリカで3度目の土地となりますが、これまでどんな心境で引っ越してきましたか?  

 

瑚々:初めての海外生活となったインディアナ州ではまだ英語が話せなかったせいもあって、内向的になってしまいました。だから、オハイオ州に引っ越すときには一度リセットするような気持ちでした。オハイオ州ではバスケを始めるなど楽しむことができましたし、ジョージア州に行くときには落ち込むこともなく「あ、またか」という感じでした。 

 

望空:小学校6年で「アメリカに行くよ」と言われたときには、幼馴染のみんなと中学校に行くつもりだったので悲しい気持ちはありましたが、「受験しなくていいなんてラッキー」と思ったことも覚えています(笑)。私は環境が変わると、「今回はこれを頑張ってみよう」と、自分を変えられるところがあります。 

 

夏希:私は英語に自信が持てるようになってからはワクワク感しかないですね(笑)。ただ、インディアナ州からオハイオ州に引っ越すときにはまだ英語もできなかったし、また新しいところで新しい友達を作るなんて嫌だと思ったのは覚えています。みんなであの時、泣いたよね?  

 

佳子:そんなこともあったよねえ。異動のたびに、母子帰国という選択肢はありましたが、いつか家族というのは別れてしまうものですから、一緒にいられる間は一緒にいたいと思っていました。みんなで話し合い、お父さんを一人にするのも心配だし、「終了」までくっついていようよ、って。  

 

 

—望空さんは高校時代にマーチングバンドのカラーガードで世界チャンピオンシップに出場。夏希さんは現地校のホームカミングクイーンに選ばれたり、他校との交流会を企画されたり、補習授業校の生徒会長をされたり。瑚々さんはイラストが得意で、最近もコンテストで入賞されたとのこと。みなさん個性を活かして活躍されています。  

 

佳子:望空に関しては日本ではバレエに励んでいたのに、その後は引っ越しが多くて熱中できることを続けさせてあげられていないのが気になっていたのですが、カラーガードではやっとまた何かに夢中になれている姿を見られました。「現地校にまず慣れて楽しんでほしい」という思いが一番にありましたので、今思えば、勉強を習慣づけることが後回しになった反省はありますが、プレッシャーなくアメリカに飛び込んで行って欲しかった。「こんなことがしたい」と言われたら、何でもサポートしましたね。

 

望空:マーチングバンドのカラーガードはジョージア州で転入した学校で盛んだったので、毎日のように練習があって、週末には大会がありました。そのせいで補習校に行けない時期があったり、大学の出願ギリギリまで活動をしていたりと大変ではありましたね。

 

夏希:私はいろんな企画をするのが好きなんです。グローバルコネクションというクラブで年に2回お祭りを企画しているのですが、そこでも急に頼んだのにも関わらず、母がたくさんの日本食を用意してくれて、日本ブースが大盛況になって助かったこともありました。 

 

瑚々:私はコロナ禍でも母が自由にさせてくれたので、イラストに没頭することができたのだと思います。

マーチングバンドのカラーガードで活躍する望空さん
マーチングバンドのカラーガードで活躍する望空さん
ホームカミングクイーンに選ばれ、「今は青春真っ只中で、毎日学校が楽しくて仕方がないんです」と、夏希さん。右は補習校50周年記念イベントでナレーションをしているところ
ホームカミングクイーンに選ばれ、「今は青春真っ只中で、毎日学校が楽しくて仕方がないんです」と、夏希さん。右は補習校50周年記念イベントでナレーションをしているところ
「ジミー・カーター ピーナツイラストコンテスト」で2位を受賞した瑚々さんの作品   

 

自分の中での日本の位置付けと、将来のこと  

—日本とアメリカで育ち、将来はどのように考えていますか?

 

望空:大学はアメリカがいいなとは思っています。学歴として、そうしたいというのもありますが、アメリカのきちっとしていないところが私には合っています。些細なことですが、学校にラフな格好で行けるとか、そういうことって大事で。

 

夏希:私は現地校のアーリーグラジュエ—ション(繰り上げ卒業)を目指していて、その後のことは考え中です。日本も好きなので、日本の学校生活を送ってみたいなという気持ちもあります。ただ、ファッションや学校の活動はアメリカの方が合っていると思うので、最終的にはアメリカに戻りたいです。

 

佳子:あれ? 夏に日本に帰国した時は日本がしっくり来るとか言ってなかった?(笑)

 

夏希:その時々で影響されやすいって自覚はあります(笑)

 

瑚々:日本の学校の文化祭や球技大会のような青春の様子をSNSで見ると羨ましくなります。私は日本のイラストや音楽が大好きで、環境的にも性格的にも日本が合っていると思うので、今後は日本で進学したいと考えています。日本は放課後に友達と歩いて帰れるのが楽しいし、友達との距離感も近くなれる気がします。  

小学校4年と中学校3年で体験入学をして、日本生活への憧れを強くした瑚々さん
小学校4年と中学校3年で体験入学をして、日本生活への憧れを強くした瑚々さん

SNSやファッションを取り入れて、溶け込んで  

—環境の変化や言語の壁で悩む子に、アドバイスは?

 

夏希:私はインスタグラムなどのSNSをよくしています。そのおかげで友達が増えて、助けが必要な時はそこで助けを求められるし、孤独感も全然ないし、現地校でも補習校でも交友関係が広いと思います。SNSはみんなしているので、トレンドにすぐについていけるようになりますよ。

 

望空:友達がたくさんいなくても、英語ができなくても、流行っていることを知るだけでも溶け込みやすくなります。ファッションに流行の一部を取り入れるとか。

 

佳子:本当に膨大な時間をSNSに使っているよね(笑)。それでも、共有できるっていうのがいいですよね。うちでパーティーをするときにもグループチャットでみんなが楽しみにしてくれている様子が嬉しかったです。

 

瑚々:言葉の壁は確かにあるとは思いますが、いろんなことに挑戦してこそ、いろんな自分を見つけられると思います。私も引っ越しで続けられなかったスポーツなどもありますが、やって後悔したことはないので、まずは挑戦することが大切だと思います。

 

佳子:そもそも駐在で出て行くという選択をした時点で、日本での進学などからずれていく可能性は持っているもの。横道に逸れた分、軌道修正をしたときには逸れただけ肉付きがされて満たされた状態になるのだと思っています。いい意味で「普通ではない」ということを取り入れて、オリジナルな人生を歩めばいいのではないでしょうか。 

左:アメリカの給食より栄養を摂れるように、お弁当生活 
右:渡米当初は子どもたちの学校生活を心配して、クリスマスの募金活動などのボランティアに励んだ佳子さん