【訪問2】秩父宮記念スポーツ博物館・図書館

 

取材協力:秩父宮記念スポーツ博物館・図書館

 

日本で唯一の総合スポーツ博物館である秩父宮記念スポーツ博物館・図書館。歴史は古く、1959年に、当時の国立競技場内に開館した。東京タワー完成と同じ頃のことだ。 

 

国立競技場の建て替えにともない2014年に仮収蔵庫へ。ところが翌年、ザハ・ハディドによる設計案が白紙撤回、コスト抑制を目指した新プランからはスポーツ博物館のスペースが消えてしまった。

 

以来、長期休館中だったが、ようやく、新秩父宮ラグビー場の中に移転・開館することが決まった。新ラグビー場の完成は2030年、博物館はその翌年にオープンの予定だ。

その準備が進む仮事務所を訪問した。  

 

 

千葉県船橋市の倉庫街の一角に「秩父宮記念スポーツ博物館・図書館」の看板があがっている。出迎えてくれたのは、博物館係長の新名(にいな)佐知子さんと学芸員の木村一貫さん。   

「スポーツにはいろんな切り口があります。社会的な影響、経済、健康、あらゆるジャンルに関連します。その、スポーツの多様な価値を裏支えするような資料を多数収蔵しています」と新名さん。 

 

仮事務所の扉の向こうが、仮収蔵庫だ。ドアを開け、靴裏の細かい埃を除去して特別に中に入れてもらう。 空調機が24時間稼働する室内には、巨大な棚がずらりと並んでいて、たくさんの段ボールやケースが収まっている。スポーツ用具や備品らしきものが垣間見える。 

 

収蔵品数は約6万点。さらに大量の書籍・雑誌類を所蔵している。競技団体等が発行している雑誌やニューズレターのコレクションは貴重なもので、歴史の研究者や競技関係者が、資料を求めてやってくることも多いという。

「建て替えが白紙撤回されたときは、目の前が真っ暗になりました」と、当時から学芸員だった新名さん。一時は存続も危ぶまれたそうだが、博物館関係者やスポーツ史等の研究者たちが一斉に声をあげて、所蔵資料の重要性と散逸の危機を訴えた。ようやく決まったオープンに向けて、現在展示設計を進めているところだという。

 

「休館して10年以上。オープンまでさらに数年。その間に、博物館のニーズは多様化し、変化してきました。そこに、スポーツというほかにない分野を引っ提げての登場となるわけですから、しっかりした理念をもった博物館にしなくてはいけないという責任を感じています」と木村さん。 

 

スター選手の活躍に国民がこぞって熱狂した時代とは違う。現代のスポーツは、例えば健康維持のために、高齢者の楽しみとして、あるいは単に好きだからなど、様々な形で広がりを見せている。eスポーツも登場した。

 

「幅広いスポーツの意味・役割をどのように伝え、共感してもらうか。そのためには、単なるスポーツ資料の紹介だけではいけない」と木村さんは言う。新博物館、どんな仕掛けが飛び出すのだろうか。今から楽しみだ。 また、秩父宮記念スポーツ博物館は、立ち上がったばかりの日本スポーツミュージアムネットワークを、事務局として推進していくことになっている。

 

「盛り上げたいですね。スポーツ資料は全国いろんなところにたくさん眠っています。スポーツ資料と気づかずに、歴史資料として所蔵しているものもあるはずです。ひとりの選手に関する資料が、出身高校、大学など、何か所にも分散しているケースも多いです。さらに、各地でおこなわれているスポーツイベントに関する資料も膨大です。こうした資料に携わる人を支援する活動に、力をいれていきたいですね」と新名さん。専門の学芸員が少ないスポーツミュージアムの世界では、心強い存在になりそうだ。

 

「スポーツ資料の見方は一つではない。ユニフォームひとつでも、いつどこの大会で誰が着用したという歴史的な見方もあるけど、繊維の専門家が見れば特殊な生地を使っている点が貴重だということにもなります。つまり、普段からいろいろな館と連携して情報交換していくことが重要なんです」と木村さん。

 

「まあ、引っ越しが大事業ですね」「こればかりはねえ」と、苦笑しながら顔を見合わせる二人。でもその表情は明るい。  

 

 

ただ、オープンまでにはもうしばらく時間がかかる。それまで大量の収蔵品は倉庫で眠っている・・・わけではなさそうだ。休館中も、収蔵品は働いている。 

 

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックの前には、おもに東京1964オリンピックの資料をメインにした巡回展が各地で実施された。2021年には東京国立博物館と特別企画『スポーツNIPPON』を共催。東博は土器、絵巻物、浮世絵などを通して日本のスポーツの変遷を、秩父宮記念スポーツ博物館は東京1964オリンピックや近現代の日本のスポーツに関する展示をおこなった。

『スポーツNIPPON』展の図録(編集・発行:東京国立博物館・秩父宮記念スポーツ博物館)
『スポーツNIPPON』展の図録(編集・発行:東京国立博物館・秩父宮記念スポーツ博物館)

各地の館からの依頼で、収蔵品を貸し出すこともある。展覧会のテーマは様々で、代々木体育館の模型は、建築関係の展覧会からよくお呼びがかかるそうだ。 

 

2026年の『かつしかとスポーツ』展は、葛飾区郷土と天文の博物館が主催。共催として、担当の木村さんが一緒に展示をつくっていったそうだ。

 

「葛飾の歴史をスポーツの視点で見直してみよう、というものでした。歴史博物館に来る人は、スポーツ資料を見慣れていない。そういう人たちが興味をもって見てくれるためにはどうしたらいいか、結構悩みました」と木村さん。 企画を進める中で、1枚のオリンピック旗をめぐる思いがけないドラマが生まれた。 

 

葛飾区は1964年の東京大会では競技会場にならなかった。もしかすると地域の人にとっては、オリンピックは身近ではなかったかもしれない。ところが、当時1295枚製作された公式のオリンピック旗の工程の一部を、葛飾区の染色工場が担っていたことが判明したのだ。秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵しているもののうちの1枚が、まさにその現物だった。

 

「オリンピックは、最先端技術を使ってモノをつくります。1964年のオリンピックは、旗にアクリル繊維が使われるようになった転換期で、日本の企業もそれに対応するために試行錯誤したそうです。技術力を見せるチャンスだと、当時の日本、頑張ったんですねえ」と木村さん。 

 

オリンピック旗というひとつのモノから、昭和30年代の葛飾の暮らしと産業が浮かび上がったのだ。当時の職人たちの得意顔が目に浮かぶようだ。

 

「当館だけで企画していたら、こういう視点は生まれなかったかもしれません。スポーツ資料を活用して、まだまだいろいろなことができそうだ。スポーツ博物館の可能性が見えたような気がしました」と、木村さんは手ごたえを感じたようだ。

『かつしかとスポーツ』展の図録(編集・発行:葛飾区郷土と天文の博物館)
『かつしかとスポーツ』展の図録(編集・発行:葛飾区郷土と天文の博物館)

仮収蔵庫の中には、実に様々なものがある。たとえば、「やり投」で使用される大量のやり。スポーツをモチーフにした彫刻作品。意外に大きいあん馬は、地方に貸し出されることもあり、木枠におさまっている。「早くちゃんと出してあげたい…」と新名さん。     

奥のほうに、さらに厳重に温・湿度管理された部屋があり、特にデリケートなものが収蔵されている。その一角に置かれたハンガーラックに、衣装がたくさん吊り下げられていた。

 

新名さんと木村さんが「これは何々大会の時の…」などと説明しながら、ハンガーごと取り出して見せてくれる。どれもこれも、たしかにテレビなどで見たことがある。選手や役員のスーツ、大会スタッフのユニフォーム、セレモニーの服…なかには、超有名デザイナーが若い頃に手がけたデザイン、などという希少価値のものも。     

それにしても、こうして見るのは楽しいが、保管はどんなに大変だろうかと思う。衣類は傷みやすいし、変色もする。そもそもユニフォームなどは、何十年も保存されることを想定してつくられていないだろう。

そこに、手袋をした新名さんがケースを運んできた。そっと綿を広げると、そこには2色に分かれたメダルが。 ・・・これ、「友情のメダル」じゃないですか! 

 

栗原さんが「今すぐ文化財指定を」と話していたメダルのうちの一つだ。ちなみに秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵しているのは大江季雄選手のもの。ちなみに、もうひとつは、西田修平選手の母校である早稲田大学歴史館が所蔵しているそうだ。 

様々な収蔵品を紹介しながら、木村さんはこう言う。

 

「スポーツ資料として残っているものは、あたりまえですが勝者のものが多いんです。勝てばなんでもいいというわけではなくて、みんなが勝利を目指して切磋琢磨するからこそ、勝者はたたえられて記録が残る。敗者の記録は探さないと出てきません。これは博物館のジレンマでもあります。区民スポーツ大会のような、生活のなかにある楽しむことを目的とするスポーツの資料は、地域社会では記録されても、スポーツの文脈では落ちてしまう。負け続けた人の記録や、その人の努力をどう拾いあげるかは、これからのスポーツ博物館のテーマになると思いますね」 

 

仮収蔵庫を見渡しながら、新名さんも言葉を添えた。

 

「スポーツの記録なんて映像だけでいいのでは?と、よく言われます。まぁ、理解できなくもないんですが、やっぱりモノの力は大きいと思います。質感が全然違いますから。スポーツの記録はどんどん破られ、その前の記録や、それにまつわる記憶は、新記録で更新されてしまいます。でも、その前の記録にも、当事者たちの努力とか記録にいたる経緯などは必ずあり、それぞれの歴史があります。そうした事柄をちゃんと記録しておく施設があってもいいんじゃないでしょうか」 

 

快適な気温と湿度に保たれた収蔵庫。でも、その中にいるモノたちは、早く外に出たい、たくさんの人に会いたいと、声を上げているような気がした。

 

 

いま海外に住んでいる君へ 

新名佐知子(にいな さちこ)さん(秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 主幹、博物館係長)
新名佐知子(にいな さちこ)さん、木村一貫(きむら ひとやす)さん  

新名佐知子(にいな さちこ)さん

(秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 主幹、博物館係長)

 

私はスポーツをやっていたわけではなく、文化部でした。でもプロ野球を見るのが大好きで、今でも福岡で家族が集合して、ソフトバンクの応援に行くこともあるんですよ。 

 

スポーツは人あってやるもの。スポーツを通じて人との出会いが生まれます。SNSで選手やファンがつながることも容易になりました。一方で、昔の選手の書き物を読んだら、その当時の選手の姿に出会うことができます。そう考えると、スポーツって、競技をするだけのものではない、と思いませんか。

 

スポーツとの関わりは人それぞれ。エリートアスリートじゃなくても、スポーツに関連した仕事はたくさんあります。スポーツをやっていなかった私だって、今スポーツ博物館にいるわけですから。だからまず、何か本を読んでみるとか、身体を動かすとか、自分なりのやりかたでスポーツに接してみてほしいですね。  

 

 

木村一貫(きむら ひとやす)さん  

(秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 学芸員)   

 

スポーツ博物館学芸員としては「スポーツ何かやっていましたか」と聞かれるとつらいのですが(笑)、基本的にはやってないほうです。自転車は好きなので、今も通勤で駅から使っていますが。 

 

30年くらい前、青年海外協力隊としてポーランドのミュージアムに派遣されたことがあります。ミュージアムが、社会的なツール、教育的なツールとして使いこなされていることに驚いた記憶があります。国によって博物館との付き合い方は違いますから、海外に住んでいる子どもたちは、それをぜひしっかり経験してきてほしいですね。 

 

私たちは、前にいた場所で見たものを基準として、今いる場所を見ますよね。だから日本から外国に行った子は日本の基準で外国の文化にふれる。帰国するときは、外国の基準を持って帰ってきて日本の文化に触れ、様々なことを判断したり考えたりするわけですよね。 

 

その「基準」ってすごく大事です。それを育てるためにも、今住んでいる場所の文化に踏み出して、1秒も惜しむことなく、どっぷり浸かってください。その中で、たっぷり遊んできてください。