「移動する時代」を生きる子どもと子育て
2026年6月3日
特集

「移動する時代」を生きる子どもと子育て

 

海外赴任や帰国で、国境を越えて「移動」を経験する子どもたち。その経験は、子どもにどんな影響を与えるのでしょうか。また、その子どもたちを私たちはどのように育てていったら良いのでしょうか。本特集では、「移動する子ども」学を提唱されている川上郁雄先生と、元帰国生で、保護者としても海外生活を経験したライターMakikoとの対談を通して、具体的な事例とともに、考えてみます。 

 

<プロフィール>

川上郁雄

川上郁雄
 

早稲田大学名誉教授。博士(文学、大阪大学)。オーストラリア・クィーンズランド州教育省日本語教育アドバイザー、宮城教育大学教授、早稲田大学大学院日本語教育研究科教授を歴任。豪州で子育てを経験し帰国した後、世界各地で子どもたちや保護者の調査研究を続けている。著書に『私も「移動する子ども」だった—異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』『「移動する子ども」学』ほか多数。

川上郁雄「移動する子ども」研究室HP: https://children-crossing-borders.com/  

 

 

Makiko

Makiko

 

4歳から9歳までアメリカで育つ。早稲田大学教育学部卒。在学中に第10回プロミスエッセイ大賞優秀賞受賞。チェコ共和国カレル大学哲学芸術科へ留学後、広報誌執筆などを経て、2023年からJOES Magazineにて海外に暮らす家族を取材する「イマドキの海外生活」を連載中。エッセイやショート・ストーリーを執筆するほか、国際移動をテーマに読書会を主催。 

 

 

第1章 国境を越えて移動するときに、子どもが体験すること

Makiko:今回、先生との「対談」のお話をいただいた時、「うまく話せるかな、どうしよう」と少し心配になりました。というのも、私は4歳から9歳まで商社勤めだった父の赴任に帯同されてアメリカ・ミシガン州で育ったのですが、その間ずっと本を読んでばかりだったんです。思い返せば帰国後も日本語で「間違っていない」ことばをすぐに発することができずに、周りが盛り上がる中でもただ微笑んで本に目を落とすような子どもでした。もともとおしゃべりでない性格なので苦ではなかったのですが、そのせいか、どの言語でも「話す」ことには40歳を越えた今でもためらいがあります。  

 

川上:そうですか。子ども時代に移動を経験されたのですね。その頃、本を読むのが好きだった。どんな生活でしたか。今でも覚えていることがありますか。  

 

Makiko:ミシガン州では、平日は現地校、土曜日は日本語補習授業校(以下、補習校)という生活でした。現地校にいる間は「私ってほんとに何もできない人間だな」と感じていました。当時はまだ人種差別がありましたし、「自分は周りより劣っている」という感覚が、当たり前のようにありました。

そんな中、小学生になり、補習校の授業を受けた時に初めて「授業の内容が理解できる」と、思考がパッと開けたのを覚えています。それから補習校の図書室の本を端から端まで読んでいきました。   

ルールがわからないまま始まる競技に参加するのが怖かった現地校時代。ーMakiko
ルールがわからないまま始まる競技に参加するのが怖かった現地校時代。ーMakiko  
補習校は楽しんだが、補習校と帰国後の日本の学校はまた、違うものだったーMakiko
補習校は楽しんだが、補習校と帰国後の日本の学校はまた、違うものだったーMakiko  

川上:幼い子どもの頃でも周りの子どもと自分が違うという意識はあるのですね。家庭で日本語を使い、家庭の外では英語を聞いているという環境も影響しているのでしょうね。その環境の一つが補習校の図書室で、その環境で本の世界を経験したのは大きかったですね。その経験は、日本に帰国してからも活かせましたか。  

 

Makiko:日本食も日本語も大好きだったので、帰国したらさぞかし楽しい日常を送れるだろうと心躍らせて小学3年生の時に帰国しましたが……今度は「子ども同士のことば」がわからなかったり、女子グループの空気を読めなかったりして、ここでも「ああ、馴染んでないな、自分」と感じました。ただ、アメリカの補習校の図書室から始まった、「日本語の本と自分との強い絆」は今日まで続いています。 

先生も、オーストラリアにご家族を帯同された経験がおありですが、お子さんはどんな様子でしたか?  

 

川上:私の娘は、英語がまったく話せないまま現地の小学校の1年生になりました。ある日、「お父さん、lookって、どんな意味?」と聞いてきました。私は、娘が英単語を覚えて帰ってきて、その意味を尋ねてきたことに驚きながら、「lookというのは『見る』という意味で、lookの後にatがつくこともあって……」と文法的説明をしたところ、娘は不満そうに首を振って「わたし、lookって、『ほら』っていう意味だと思うの」と言いました。聞くと、担任の先生が椅子に座って1年生の子どもたちをその周りに集めて絵本の読み聞かせをするとき、おしゃべりをしたりよそ見をしたりする子どもたちに「ほら、こっちを向いて」という意味で「Look!」と言ったことがわかりました。子どもがことばを学ぶというのは、音と場面と意味が一体となって受け取られ、その場面から生まれる意味を類推することで言語習得を進めていくんだ、と。言語習得のリアリティを娘から教えられた気がしました。  

 

Makiko:よくわかります。子どもは、全身を使って周りで起こっていることを感じ取ろうとするのですよね。帰国後は、どうでしたか?  

 

川上:娘は、現地校に通いながら、土曜日には補習校に2年間通いました。でも帰国したら、試練が待っていました。娘は関西の小学校に入ったのですが、クラスメイトが話す関西弁が早くてわからない、と。また、ちょうど算数の九九をやっている頃で、朝、登校すると教室の入り口に「3のだん」とか「4のだん」という札がかかっていて、その段の九九を言えないと教室に入れてもらえなくて、補習校ではまだ習っていなかったので娘は言えず、泣いていたそうです。これも、親の移動にともなって、子どもが経験せざるを得ない環境の変化、教育の変化なんですよね。  

 

Makiko:私の父はミシガン州の後も単身赴任で海外で仕事を続けていました。数年おきに国が変わり、ワーク・ライフ・バランスなんてないような生活だったので、家族帯同は現実的に難しかったと思います。それでも父が赴く各国での様子を教えてもらうたびに、「そこに自分もいたら」と想像しました。日本の学校生活ではいつもどこか身が入らず、「ここではないどこか」に想像を膨らませているところがありました。

 

姉は英語が得意で帰国枠受験をした、いわゆる王道の「帰国子女」でしたが、私は「『帰国子女枠』にもあてはまらないのに、帰国子女を気取るわけにもいかない」という思いもあり、違和感があっても、その感情をしまい込むようにしていました。 先生は娘さんの経験した環境の変化について、どのように見ていましたか?  

 

 

川上:娘はオーストラリアの現地校に行っていた時、週に1回、英語を母語としない移民の子どもに英語を教えるESL(English as a Second Language)の先生が学校に来て「取り出し指導」を受けていました。その時、娘は「ESLの子ども」と呼ばれました。土曜日の補習校では日本語を忘れないように「日本語を学ぶ子ども」、日本に帰国すると今度は「帰国児童」(帰国子女)と呼ばれました。「ESLの子ども」「日本語を学ぶ子ども」「帰国児童」など、呼び名は変わっても、娘は同じ。つまり、このように娘が体験したことをどう捉えたらいいんだろうと考えた時、「移動」というコンセプトを思いつきました。そこで、「移動する子ども」というタームを作り、子どもたちの経験と記憶を研究してきました。  

 

Makiko:そうだったのですね。周囲からの呼ばれ方によって自分への視線が変わってしまうこともありますが、「移動する子ども」なら、経験を丸ごと表現してくれる気がします。  

オーストラリア・クイーンズランド州教育省の日本語教育アドバイザーとして2年間勤務し、地元新聞の取材を受けた。当時、長女は現地校1年生に、長男は幼稚園に入園。—川上
オーストラリア・クイーンズランド州教育省の日本語教育アドバイザーとして2年間勤務し、地元新聞の取材を受けた。当時、長女は現地校1年生に、長男は幼稚園に入園。—川上

 

次のページ:第2章 移動をめぐる保護者と子どもの視点のずれ