海外赴任や帰国で、国境を越えて「移動」を経験する子どもたち。その経験は、子どもにどんな影響を与えるのでしょうか。また、その子どもたちを私たちはどのように育てていったら良いのでしょうか。本特集では、「移動する子ども」学を提唱されている川上郁雄先生と、元帰国生で、保護者としても海外生活を経験したライターMakikoとの対談を通して、具体的な事例とともに、考えてみます。
<プロフィール>
川上郁雄
早稲田大学名誉教授。博士(文学、大阪大学)。オーストラリア・クィーンズランド州教育省日本語教育アドバイザー、宮城教育大学教授、早稲田大学大学院日本語教育研究科教授を歴任。豪州で子育てを経験し帰国した後、世界各地で子どもたちや保護者の調査研究を続けている。著書に『私も「移動する子ども」だった—異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー』『「移動する子ども」学』ほか多数。
川上郁雄「移動する子ども」研究室HP: https://children-crossing-borders.com/
Makiko
4歳から9歳までアメリカで育つ。早稲田大学教育学部卒。在学中に第10回プロミスエッセイ大賞優秀賞受賞。チェコ共和国カレル大学哲学芸術科へ留学後、広報誌執筆などを経て、2023年からJOES Magazineにて海外に暮らす家族を取材する「イマドキの海外生活」 を連載中。エッセイやショート・ストーリーを執筆するほか、国際移動をテーマに読書会を主催。
第1章 国境を越えて移動するときに、子どもが体験すること Makiko: 今回、先生との「対談」のお話をいただいた時、「うまく話せるかな、どうしよう」と少し心配になりました。というのも、私は4歳から9歳まで商社勤めだった父の赴任に帯同されてアメリカ・ミシガン州で育ったのですが、その間ずっと本を読んでばかりだったんです。思い返せば帰国後も日本語で「間違っていない」ことばをすぐに発することができずに、周りが盛り上がる中でもただ微笑んで本に目を落とすような子どもでした。もともとおしゃべりでない性格なので苦ではなかったのですが、そのせいか、どの言語でも「話す」ことには40歳を越えた今でもためらいがあります。
川上: そうですか。子ども時代に移動を経験されたのですね。その頃、本を読むのが好きだった。どんな生活でしたか。今でも覚えていることがありますか。
Makiko: ミシガン州では、平日は現地校、土曜日は日本語補習授業校(以下、補習校)という生活でした。現地校にいる間は「私ってほんとに何もできない人間だな」と感じていました。当時はまだ人種差別がありましたし、「自分は周りより劣っている」という感覚が、当たり前のようにありました。
そんな中、小学生になり、補習校の授業を受けた時に初めて「授業の内容が理解できる」と、思考がパッと開けたのを覚えています。それから補習校の図書室の本を端から端まで読んでいきました。
ルールがわからないまま始まる競技に参加するのが怖かった現地校時代。ーMakiko 補習校は楽しんだが、補習校と帰国後の日本の学校はまた、違うものだったーMakiko 川上: 幼い子どもの頃でも周りの子どもと自分が違うという意識はあるのですね。家庭で日本語を使い、家庭の外では英語を聞いているという環境も影響しているのでしょうね。その環境の一つが補習校の図書室で、その環境で本の世界を経験したのは大きかったですね。その経験は、日本に帰国してからも活かせましたか。
Makiko: 日本食も日本語も大好きだったので、帰国したらさぞかし楽しい日常を送れるだろうと心躍らせて小学3年生の時に帰国しましたが……今度は「子ども同士のことば」がわからなかったり、女子グループの空気を読めなかったりして、ここでも「ああ、馴染んでないな、自分」と感じました。ただ、アメリカの補習校の図書室から始まった、「日本語の本と自分との強い絆」は今日まで続いています。
先生も、オーストラリアにご家族を帯同された経験がおありですが、お子さんはどんな様子でしたか?
川上: 私の娘は、英語がまったく話せないまま現地の小学校の1年生になりました。ある日、「お父さん、lookって、どんな意味?」と聞いてきました。私は、娘が英単語を覚えて帰ってきて、その意味を尋ねてきたことに驚きながら、「lookというのは『見る』という意味で、lookの後にatがつくこともあって……」と文法的説明をしたところ、娘は不満そうに首を振って「わたし、lookって、『ほら』っていう意味だと思うの」と言いました。聞くと、担任の先生が椅子に座って1年生の子どもたちをその周りに集めて絵本の読み聞かせをするとき、おしゃべりをしたりよそ見をしたりする子どもたちに「ほら、こっちを向いて」という意味で「Look!」と言ったことがわかりました。子どもがことばを学ぶというのは、音と場面と意味が一体となって受け取られ、その場面から生まれる意味を類推することで言語習得を進めていくんだ、と。言語習得のリアリティを娘から教えられた気がしました。
Makiko: よくわかります。子どもは、全身を使って周りで起こっていることを感じ取ろうとするのですよね。帰国後は、どうでしたか?
川上: 娘は、現地校に通いながら、土曜日には補習校に2年間通いました。でも帰国したら、試練が待っていました。娘は関西の小学校に入ったのですが、クラスメイトが話す関西弁が早くてわからない、と。また、ちょうど算数の九九をやっている頃で、朝、登校すると教室の入り口に「3のだん」とか「4のだん」という札がかかっていて、その段の九九を言えないと教室に入れてもらえなくて、補習校ではまだ習っていなかったので娘は言えず、泣いていたそうです。これも、親の移動にともなって、子どもが経験せざるを得ない環境の変化、教育の変化なんですよね。
Makiko: 私の父はミシガン州の後も単身赴任で海外で仕事を続けていました。数年おきに国が変わり、ワーク・ライフ・バランスなんてないような生活だったので、家族帯同は現実的に難しかったと思います。それでも父が赴く各国での様子を教えてもらうたびに、「そこに自分もいたら」と想像しました。日本の学校生活ではいつもどこか身が入らず、「ここではないどこか」に想像を膨らませているところがありました。
姉は英語が得意で帰国枠受験をした、いわゆる王道の「帰国子女」でしたが、私は「『帰国子女枠』にもあてはまらないのに、帰国子女を気取るわけにもいかない」という思いもあり、違和感があっても、その感情をしまい込むようにしていました。 先生は娘さんの経験した環境の変化について、どのように見ていましたか?
川上: 娘はオーストラリアの現地校に行っていた時、週に1回、英語を母語としない移民の子どもに英語を教えるESL(English as a Second Language)の先生が学校に来て「取り出し指導」を受けていました。その時、娘は「ESLの子ども」と呼ばれました。土曜日の補習校では日本語を忘れないように「日本語を学ぶ子ども」、日本に帰国すると今度は「帰国児童」(帰国子女)と呼ばれました。「ESLの子ども」「日本語を学ぶ子ども」「帰国児童」など、呼び名は変わっても、娘は同じ。つまり、このように娘が体験したことをどう捉えたらいいんだろうと考えた時、「移動」というコンセプトを思いつきました。そこで、「移動する子ども」というタームを作り、子どもたちの経験と記憶を研究してきました。
Makiko: そうだったのですね。周囲からの呼ばれ方によって自分への視線が変わってしまうこともありますが、「移動する子ども」なら、経験を丸ごと表現してくれる気がします。
オーストラリア・クイーンズランド州教育省の日本語教育アドバイザーとして2年間勤務し、地元新聞の取材を受けた。当時、長女は現地校1年生に、長男は幼稚園に入園。—川上
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第2章 移動をめぐる保護者と子どもの視点のずれ Makiko: 2020年から昨年夏まで、夫の海外赴任に同行していました。当時7歳、3歳、1歳の子どもたちを連れ、保護者として4年半をオハイオ州で過ごしました。 オハイオでは、私は土地や空気に身体がスッとなじみ、甘すぎるお菓子も、スクールバスも、全てが懐かしく嬉しく感じられました。大学時代にアメリカ西海岸とヨーロッパに留学したのですが、その時はこのように高揚する感覚はなかったので、子どもの頃に滞在していたミシガン州とオハイオ州の気候や風土が似ていることが関係したのかもしれません。
川上: 子ども時代にミシガン州で過ごされたご経験が大人になってオハイオ州に移住したときに思い出されるというのは興味深いですね。お子さんたちはアメリカの生活が初めてだったのですね。どんな反応でしたか。
Makiko: 私が毎日嬉しそうだったから、子どもたちも反応は良かったんです。楽しいこともたくさんありました。ただ、現地の生活に入り込むにつれ、長男が日本語補習校を登校拒否から退学し、次男が場面緘黙(かんもく)症になり、三男は吃音になるなど、親としてはちょっと大変な道のりになりました。自分の経験もあったので、子どもの海外生活を甘くは見ていないつもりだったのですが、たくさんつまずきました。子どもにとっての海外生活と、親にとっての海外生活は全く別の体験だと思いました。
川上: 海外生活への対応は親子で異なるうえ、親と子どもの受け止め方も異なるのでしょうね。子どもたちは年齢によっても対応は異なるでしょうか。
Makiko: 7歳だった長男は、好きなことをどんどん進めたい性格なので、好きな教科を好きな速度で進められるアメリカのシステムが彼の性格にピッタリ合い、学校生活は初日から楽しかったようです。「褒めてくれる」文化も良かったのだと思います。私は補習校に思い入れがあったので、初めは長男が行き渋った時は理解できなかったですし、「日本の勉強に遅れてしまう」と、親としてかなり焦りました。結局退学するほかなくなるほど、長男は現地の生活にのめり込みました。私が「帰国を見据えた生活」を頭で考えているのに対して、長男は目の前の現地校生活で輝いていくことに、一生懸命でした。
川上: 補習校より現地校の方が楽しかったのでしょう。それはきっと、彼にとっては大きな経験になったでしょうね。
Makiko: そうですね。長男は周囲との友情も深めていました。この「深さ」は私自身が子ども時代には経験しなかったものです。今回、子どもたちは人種差別を受けるようなことがなく、時代の変化を感じました。
次男は3歳で渡米し、好きな野球を通じて現地の生活に入り込んでいきました。それが、現地校1年生に入学直後のある日、ランチのお盆を持ったまま、動けなくなりました。カフェテリアでお盆を持って立ったまま過ごし、最後にはお盆ごとゴミ箱に捨てたそうです。そして足を引きずるようにして、だらしない歩き方で教室に戻ったそうです。その様子を見ていた長男が「なんか、おかしいよ。挨拶もしないし、歩き方も変だよ」と私に伝えました。カウンセラーに相談すると、「本人の意思に関わりなく、特定の場面で声が出ない、体が固まる」症状を持つ場面緘黙症との診断でした。この時は、現地校と補習校の入学が重なり、また、野球チームの選抜試験を受けて活動が始まった時でした。今思えば、5歳の小さな体にものすごい負担がかかっていました。もともと頑張り屋で、「ちゃんとしたい」という性格の次男。この時は周りによく相談しました。聞くと、元帰国生のママ友から、かつて渡米直後に「ロッカーの前に立つと暗証番号が頭から飛び、手が震えて鍵が回せなくなった」経験を話してもらったり、補習校にも同様の症状がある子がいたりと、珍しいことではないことを知りました。日本人のカウンセラーと、現地校の先生方のサポートで、少しずつ改善し、治療が終わって半年で、帰国になりました。
川上: おっしゃる通り、小さな身体には負担があったでしょうね。お話を聞いて、私の娘のことを思い出しました。オーストラリアへ初めて行ったのは、娘が4歳になる時でした。その誕生日にオーストラリア人の知人の女性がケーキを持って我が家に来てくれたんです。私たち夫婦はその方に英語でお礼を言ったり話したりしていたのですが、突然、そばにいた娘が「キャー!」と絶叫したのです。いつも日本語を話していた親が自分の知らない英語で話しているのが理解できないうえに、不安に思ったのでしょう。その時はじめて、4歳の子どもにとって異なる言語の世界に入ることが大きな負担になることを知りました。
Makiko: 「小さい子どもならすぐに馴染むから大丈夫」というイメージがありますが、そう、単純な体験ではないですよね。年齢や性格によっても、感じるストレスの度合いに大きな幅があるので、保護者には「マニュアル」のようなものがなく、随時対応に迫られます。
川上: 娘はオーストラリアの現地の小学校に入学し、英語のアルファベットから学んでいきましたが、当時、英語はまったく話せませんでした。でも、帰宅すると、今日はこんなお話を聞いたとか、こんなことをやったとか、学校の様子を教えてくれました。ある日、帰宅した娘が「お父さん、のり(海苔)は英語でなんて言うの?」と聞いてきました。どうしてと聞くと、クラスのやんちゃな男の子が、娘のお弁当に入っていた海苔を巻いたおにぎりを見て、「そのblack stuffは何だ?」「お前はそんなものを食べているから髪の毛が黒いんだろう」と言われたので、これは海苔だと英語で言い返したいと娘は言いました。娘のそんな話を聞いていたので、学校でクラスメイトとなんとかコミュニケーションがとれているのだろうと私は思っていました。ところが、ある日の朝、娘を学校の教室まで見送って行った時、たくさんのクラスメイトが私の周りに集まってきて、「英語、話したよ」と嬉々として叫んでいました。その時、私はようやくわかりました。娘はそれまで学校でまったく英語を話さなかったのです。言語教育では、家庭の言語と異なる言語の世界に入った子どもが何も話さない「沈黙期間」(silent period)に入ることが知られています。娘はこの沈黙期間に入っていたのだろうと思いました。すでに入学して3カ月ほど時間が経っていましたが、この間、娘はただ沈黙していたわけではなく、授業や周りの様子を観察して、たくさんのことを溜め込んでいた、つまり学んでいたのだろうと思います。その後、娘は水を得た魚のように英語を話し出しました。
Makiko: そういう沈黙期間は、必要な時間なのですね。三男は1歳で渡米し、ことばが出始める3歳のころ、どの言語でも「吃る」ことがありました。この時は言語療法士の方を探し、発語を促してもらいました。
川上: 幼少期の子どもが家庭の内と外で言語が異なるような複数言語環境で成長する際、子どもは常に異なる言語の世界で音と場面と意味の関係を独力で、そして全身で理解しようと動きます。その作業がうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあるでしょう。そのことを理解して、周りが子どもをサポートすることが大切ですね。
Makiko: 大人はAIアプリを駆使できても、子どもの日常にアプリはないですものね……。保護者には子どもの生きる世界に想像を働かせる力と、理解力が求められると思いました。他者の力を借りる行動力も必要です。私は今回、子どもたちの対応をするうちに、こういった力が鍛えられました。「移動する子どもの保護者」というのは、予備知識もある程度必要とされるような、特殊な立場だと言えるのかもしれません。
川上: そうですね。子どもが小さいうちに海外生活を体験させてあげたいとか、外国語を学ばせてあげたいと思う保護者もいるでしょうね。また、海外に転勤する家族がいると、「子どもが早く外国語を学べていいね」と言ったりするかもしれませんね。私が家族を連れて留学したときも、子どもたちにとっても貴重な体験になるだろうと、呑気に思っていました。日本人の親たちは、子どもがその国の言語、例えば英語圏の国なら、英語を少し話せるようになると「もう、うちの子どもはバイリンガル」と思ったり、さらに子どもが他の子と英語で話していて、その内容が親の理解を超えると、「もう大丈夫」と思ったりする傾向があるのではないでしょうか。でも、ペラペラ喋る子どもを、私たちはどう捉えたらいいのでしょうか。少し引いて考えてみる必要があるのではないでしょうか。
Makiko: 子どもって賢いので、「ペラペラに見せかける」こともできるんですよね(笑)。それで、親より自分が偉いような気持ちになって。親としては「ペラペラ喋る子ども」は、手放しに喜ぶようなことではないのかもしれませんね。
川上: 子どもたちは今、どんな時代に生きていて、どんな経験をしているのか、そして、今後、どのような子育てが親にとっても子どもたちにとっても必要なのかという視点で考えることが大切ではないかと思います。
現地でも帰国後も友人作りや地域コミュニティとの関わりの面で助けになったのがスポーツとの関わり。勉強との両立や異国でのチーム探しなど、これも親の担う役割の一つ。 —Makiko
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第3章 「移動する時代」の子育てとは 川上: 今は、「移動する時代」とよく言われますね。移動と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょうか。すぐに思いつくのは、日本からアメリカへ移動したり、アメリカから日本に移動したりといった「空間の移動」ですね。大人は自分の転勤や新たな仕事、あるいは留学や結婚など明確な理由を持って移動します。一方、子どもから見たら、大人の都合で「移動させられた」「移動せざるをえなかった」と思うかもしれません。親しい友だちと別れ、慣れた環境から知らない新しい環境に移動し適応するのは、特に納得いかないまま移動させられたと感じる子どもの場合、心的負担は小さくないでしょうね。
もちろん、親にとっても子どもにとっても、移動にともなう環境の変化に適応しなければならない点は共通していますが、子どもは身体も心も成長過程で新しい環境に自力で適応しなければなりません。その適応過程で最も大きな壁が、ことばですね。発達心理学では、子どもが言語を習得する際、脳—身体—環境の動的関係性が関わっていると言われています。つまり、「空間の移動」を経験する子どもにとっては、子どもの脳—身体—環境の動的関係性に「移動とことば」の要素が加わり、単言語環境で成長する子どもより複雑になると、私は思っています。
Makiko: 子どもはまだ成長の途中だという点で、環境に適応する際の土台が大人とは違っているわけですね。「移動とことば」とはどのようなことですか?
川上: 国境を越えて移動すると言語が変わりますよね。つまり「言語間の移動」が生まれます。アメリカにジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)という作家がいます。両親はベンガル語を話すインド系移民で、家庭内言語はベンガル語でした。そのラヒリさんが5歳だった時、幼稚園で母の日のカードを作る活動があったそうです。白い厚紙を折って、カードの内側に「大好きなママ,母の日おめでとう」というメッセージを書く時になって、彼女はつまずいてしまいました。彼女にとって母はベンガル語の「マー」であり,母もそう呼ばれて返事をしていたのです。だから、英語の「ママ」は外国語であって,母を遠ざけてしまいそうだし,母だっていやだろうと、5歳のラヒリさんは逡巡したそうです。
このことを例に、ラヒリさんは複数言語環境で育った自身が幼い時から常にことばの「翻訳」をしていたのだと著書『翻訳する私』(2025)で語っています。
小説家の温又柔(おんゆうじゅう:Wen Yuju)さんも興味深いエピソードを書いていますね。彼女は台湾人の両親のもと台湾で生まれました。3歳で来日し、家庭では台湾語混じりの中国語でしたが、5歳になってから日本の幼稚園に通い出し日本語を学び始めました。その頃、日本語の謝り方について考えたことがあったそうです。「ゴメンネは自分よりも小さい子、ゴメンは自分と同じ歳の子、そしてゴメンナサイは先生に向かって言うもの」と気づいたと、エッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』(2015)に書いています。
つまり、幼児の段階でも、子どもは家庭内言語と外の異言語の間を繰り返し移動しながら複数のことばの意味や使い方を自力で探究しているのです。これが「移動とことば」の要素の一つ、言語間の移動です。また、これらの例にあるように、幼少期のことばをめぐる記憶が大人になっても保持されているという点も興味深いですね。
Makiko: 例えば「ママ、今日はtreeをpaintしたよ」のように、一つの文章に違う言語を混ぜるのはよくないと聞いたことがありますが、母語が確立されていない幼少期では、綺麗に言語を分けるのは難しそうです。
川上: そうですね。乳幼児の頃の子どもは言語を言語として認識する力、つまりメタ的に捉える力が未発達ですから、複数言語環境で育つ子どもの発話が混ぜ語になるのは悪いことではなく、とても自然なことです。子どもは音と場面(文脈)と意味の関係を一生懸命に探究しているからです。その営みはとても貴重で、肯定的に捉えていいと思います。
Makiko: このような「不完全さ」を先生が肯定的に捉えていることに勇気づけられます。
川上: この二つの「移動」のほかに、もう一つ大切な「移動」があります。特に学齢期の子どもにとっては大切な移動です。それは、「学びの場」の移動です。例えば、日本の学校にいた子どもがアメリカの現地校に入学した場合、日本語で学んでいた場から英語で学ぶ場へ移動します。また、現地校に通う子どもが週末に補習校に通うような場合、英語で学ぶ場から日本語で学ぶ場に移動することになりますね。その後、アメリカにいる時に英語で学んでいた子どもが日本に帰国する場合も、英語で学ぶ場から日本語で学ぶ場に移動することになりますね。この移動の意味は、英語と日本語の文構造を考えるとすぐにお分かりになると思います。例えば、“I wrote a letter. ”と「私は手紙を書いた」を比べると、英語は主語—動詞—目的語の順で動詞に過去時制が現れるのに対し、日本語は主語—目的語—動詞の順で、時制は文末にきます。つまり、子どもは英語で学ぶ場と日本語で学ぶ場の移動を経験することによって、英語で考える脳の働きと日本語で考える脳の働きの移動を経験します。アメリカに行くと「子どもはバイリンガルになるからいいね」と単純には考えられません。これも、子どもには負担のかかる移動です。私はこの移動を「言語教育カテゴリー間の移動」と呼んでいます。
Makiko: 感じてきた「大変さ」を構造的に説明してもらえて、すっきりしました。海外生活の中で「週1回の補習校」や、「毎朝1枚だけ日本語のプリント」というのが子どもにとって難しいのは、言語だけでなく、思考にも移動が必要になるからなのかもしれませんね。
川上: 子どもの成長にとって大切なのは、どの言語を使用しても、その言語で「考える」活動を行っているかどうかだと思います。それは学校の勉強だけではなく、何気ない日常の親子の会話でもできると思います。「どうして?」「なぜ?」「どんなふうに?」「どう思ったのか?」など、親子の会話の中で子どもの考えや疑問に耳を傾け、気持ちに寄り添いながら共感したり、多様なツールを使って一緒に調べたりすることも大切ですね。そこから、子どもが主体的に考える力が育成されていくと思います。まず、学びの環境を整えていくことから始めてはどうでしょうか。うちの子どもは食卓の近くに辞書があったことを大人になっても覚えていました。
Makiko: 「海外にいる間にこれだけは」と色々と目標を立ててしまい、子どもとゆっくりする時間をおろそかにしたことを反省しました。海外に出られている保護者は特にアクティブでチャレンジングな方が多い印象ですが、「子どもに寄り添う時間」を、子どものためにも、自分たち保護者自身のためにも、ぜひ意識したいですね。
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第4章 「移動する時代」を生きる子どもたちを応援しよう!
川上: ここまでの話で、「移動する時代」を生きる子どもたちは大変だなあと思うかもしれませんね。でも、「移動する時代」を生きるのは子どもにとってとてもチャレンジングで、ワクワクすることかもしれません。幼少期より複数言語環境で成長する子どもは、表面的には複数の言語が混ざったり、コミュニケーションがうまくいかなかったりするかもしれませんが、子どもは異なる環境や音(言語)に触れて、「この様子はどんな意味だろう」とか、「日本語ならこんな意味かな」とか、文脈や関係性から推量しながら考えることになりますね。つまり、環境からの刺激が子どもの身体と脳に作用しているのです。その結果、子どもの認識力、発想力、想像力、そして何より創造力が日々鍛えられていくのです。その例はたくさんあります。例えば、ニューヨーク生まれで英語と日本語の環境で育ったシンガーソングライターの宇多田ヒカルさんは、曲に歌詞をつけるときイメージを日本語に「翻訳」すると語っています。ジュンパ・ラヒリさんの「翻訳する私」と繋がる点ですね。
Makiko: そういうことなんですね。「話せない・わからない」からこそ、「推察力」が日々鍛えられますし、それがクリエイティビティやオリジナリティに繋がる、と。
川上: 複数言語環境で成長する子どもは日々多様な刺激を受けながら自分が持つすべての力を総動員して懸命に生きています。それこそが、子どもの主体的な生き方です。周りにいる親や教師は、その子どもの持つ認識力、発想力、想像力、創造力などを認め、それらを総動員する力を応援する姿勢が大切ですね。スポーツや音楽、ダンスなど、子どもの好きなことを通じて、他の子どもたちと複数言語を駆使してやりとりする力を育てていきたいですね。
Makiko: 「総動員する力」は数値では測れないですが、たしかにこういった子どもたちほど、その稀有な力に着目したいです。
川上: もちろん、子どもは複数言語環境で楽しいことも苦しいことも体験するでしょう。言語や習慣や態度、身体的特徴などの違いからつらい体験をするかもしれません。逆に新しい友だちができて楽しい体験をするかもしれません。
早稲田大学で「移動する子ども」をテーマに授業をしたとき、受講した学生の半数が子ども時代に海外など複数言語環境で過ごした経験のある学生でした。彼らは授業で自分の経験したことについて熱く語っていました。「こんな授業を受けたかった」「もっと早く受けたかった」と話していたのが印象的でした。彼らは自分の経験は個人的なことで、みんなの前で言うことではないと思っていたということでした。
それを聞いて、子ども時代に複数言語環境で成長した経験と記憶を、もっと多くの方と共有することが大切だと思いました。今は「移動する時代」です。学生たちは将来、社会に出て多様な背景を持つ人たちと出会うでしょう。成長期に複数言語環境で成長した人たちもいるでしょう。そのような人たちとともに働いたり活動したりするとき、過去の共通する同様の経験が生きてくるのではないでしょうか。
英国のノーベル文学賞作家、カズオ・イシグロさんは、日本人の両親のもと長崎で生まれましたが、5歳の時に家族とともに英国へ移住し、家庭では日本語、学校では英語で教育を受けました。英語で書かれた初期の作品、「遠い山なみの光」の主人公は長崎生まれの日本人女性で英国に移住した設定になっています。イシグロさんは幼少期から英国で暮らしながらいつも想像上の日本を思い描いていたと語っています。そのような彼の幼少期の経験が創作活動に活かされたように見えますね。
複数言語環境で成長した経験と記憶は、子どもにとって「意味のある経験」「意味のある記憶」として残り、やがて想像力や創造力、発想力など「成長の糧」「生きる力」になっていく可能性があるのでしょう。そのためには、成長過程の子どもの声を聞いてくれる人、複数言語環境での経験を肯定的に捉えてくれる人、子どもが大人になるまで支えてくれる人が近くにいることが大切ですね。
Makiko: 早稲田には昔から多様なバックグラウンドを持つ学生が多く、真に話し合える友人たちに、私も出会いました。でも、自分の感じてきたことが大きな声で話せることだとは思っていませんでした。今回は、先生と「経験と記憶」を共有させていただき、語り合うことで新しい発見が多くありました。保護者である今は、長く広い視点で子どもの成長を見て、子どものそばにいることが大切なのだと実感しました。自分一人で抱えていると心配になることもありましたが、先生とお話しして、これは大切にしたい「豊かさ」なのだと、認識を改めることができました。子どもたちには、つまずくことがあっても、大人に支えてもらって立ち上がり、どの場所にいても元気に子ども時代を楽しんでほしいですね。
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