日本の「学び」が変わる ~次期学習指導要領が目指すもの~
2026年4月7日
特集

日本の「学び」が変わる ~次期学習指導要領が目指すもの~

学習指導要領は、「子供たちが生涯にわたって豊かに生き抜いていくために、学校で、何をどのように学ぶか」について文部科学省が示したもので、時代の変化を見据えつつ、およそ10年ごとに改訂されています。これに基づいて、当然ながらカリキュラムも、教科書の内容や授業の在り方も決まっていきます。 

 

2025年9月、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会が次期学習指導要領の改訂に向けた「論点整理」を示しました。中央教育審議会では、子供たちの学びを支える教職員の在り方についても議論されていて、やはり「論点整理」を出しています。2つの「論点整理」はわが国の子供たちの学びをより深いものにするための車の両輪とも言えるもので、多様な子供一人一人を主語にした「個別最適な学び」や「協働的な学び」によって、「自立的な学習者」をはぐくむことをめざしています。 

 

それらに関して、2025年9月末に、海外子女教育振興財団の主催で行われた在外教育施設運営委員長会議において、独立行政法人教職員支援機構の荒瀬克己理事長に講演を行っていただきました。 

このたび、その概要と、後日、海外で学ぶ子供たち向けにいただいた「学び」に関するメッセージを紹介します。

 

  1 学習指導要領の改訂で重視されること 

次期学習指導要領の改訂に向けては、次の3つを実現することが重視されています。 

 

1つ目は「深い学びを具現化していくこと」。2つ目は、誰一人取り残さず「多様性を包摂していくこと」。そして3つ目は「実現可能性」です。つまり、「多様な子供たちの深い学びを確かなものに」というのが、次期学習指導要領に向けたコンセプトになるかと思います。

 

「自らの人生を舵取りし、当事者意識を持って対話と合意のできる、民主的で持続可能な社会の作り手となるような子供たちを育んでいこう」という考え方に立って、必要な資質や能力を養うために、各教科や総合的な学習の時間、あるいは特別活動をどうしていくのかについて議論されていきます。その際、「好きを育み、得意を伸ばす」といった考え方が重視されていくことになります。 

 

一方で教職員については、2022(令和4)年に答申(「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」)が出ましたが、それを受けて今後、多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を図ることが求められています。そういった議論も注視しつつ、私たち教職員支援機構も、教職員研修の在り方の転換を進めているところです。  

 

2 「先生」に対して求められるもの 

現行学習指導要領の前文に、「これからの学校には、(略)一人一人の生徒(小学校では「児童」)が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる」と書かれています。

 

学習指導要領は、小学校、中学校、高等学校のすべての学校段階において、この点が重視されることを求めています。その具体的な担い手は、各学校の教職員です。

 

「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」と題された中央教育審議会の答申(2021/令和3年1月)に「一人一人の子供を主語にする学校教育の目指すべき姿」が描かれていますが、一人一人の子供が主語になって「学び、学び合う学校」をつくるためには、教職員が学び、学び合っていくことが必要です。 言い換えれば、子供も大人も、児童生徒も教職員も、「自立した学習者」として学びに向かっている学校をつくっていくことが重要だということです。

 

この「自立した学習者」という言葉は、今申し上げた2021/令和3年の答申の中に3回出てきます。1回目と2回目は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による臨時休業の長期化の中で、多様な子供一人一人が「自立した学習者」として学び続けていけるようになっていたか、という問いかけです。子供たちが自分の学びを自分で展開することができているかと考えたとき、学校は、そのように育ててきたかと反省せざるを得なかったのです。

 

「自立した学習者」が出てくる3回目は、高等学校教育において実現したいことが述べられている部分です。高等学校教育は初等中等教育の最終段階ですので、小学校、中学校を経た若者がこうなっていてほしいという姿が描かれています。それは、自立した学習者として自己の将来のイメージを持ち、高い学習意欲を持って学びに向かっているという姿です。その実現のためには、どんな経験が大事なのか、どんな学びを用意しておくことが重要なのかということについて、現場の先生方が目の前の一人一人の子供をしっかり見て考え、実践していただくことが必要です。  

日本の「学び」が変わる ~次期学習指導要領が目指すもの~

3 「自立した学習者」とは

「自立」を国語辞典で引くと、援助を受けないとか、他に依存しないといったような言葉が出てきます。でも、私たちが学校教育の中で考えるべき「自立」というのは、本当にそういう意味なのでしょうか。 

 

大阪大学総長や京都市立芸術大学学長を歴任された哲学者の鷲田清一氏は、自立について、「インディペンデンス」(独立)ではなく、むしろ、「依存」に「インター」(相互に)を付けた、「インターディペンデンス」(支え合い)として捉えることが必要ではないかとおっしゃっています。社会的自立ということを考えても、周囲と協力することが必要ですし、特別支援教育で自立支援という際には、困ったときに助けを求めることのできる力を養うのも意味します。 

 

何もかも一人でできる人は、たぶんいません。「お互いに助け合う」「支え合う」ということが、生きていくうえでは欠かせません。

 

「他の人とどう一緒にやっていけるのか」と問い続ける。自分で考えて判断して行動できると同時に、他者ともしっかり協働できる。まさに、「支え合いができるような自立した学習者」になってほしいということです。

 

4 「自立した学習者」に育てるために必要な環境 

先日伺った、ある小学校の授業の様子をご紹介したいと思います。 

 

5年生の算数の授業を見せていただきました。教頭先生は「環境が子供たちの学びを支える」とおっしゃっていました。例えば、子供たちにゆったりした時間があるとか、多様な学びの機会が用意されているということがとても大事だと。そのためには、子供に学びを委ねたいと。

 

教室に入って実際に授業を見せてもらうと、ひとりで考えている子もいれば、友達と話している子もいる、先生と話している子もいる。自分の席でやっている子もいれば、廊下でやっている子もいる。みんな自分の思い思いにやっているというような状態でした。でも誰一人、算数の学習をやっていない子はいない。

 

今、日本国内では、義務教育を中心に「単元内自由進路学習」というものが取り組まれています。先生が全部を取り仕切って授業を進めるという形態でなく、子供自身が自分で考えてつくっていく学びのスタイルです。自分一人で取り組むこともよいし、友達と相談したり、尋ねたり、議論したり、また、必要なら先生に聞いてみるのもよいというように、どのような形で学んでいくかを子供自身が考えていくというものです。もちろん、その際に手助けの必要な子に対しては、先生が注意深く見守りきっちり対応していきます。

 

興味深かったのは、教室の後ろの棚に他校で使用している教科書が並べてあったことです。「君たちはこの教科書を使って学んでいるけれど、別の教科書で学んでいる学校もあります。だから、参考にしたかったら見てもいいですよ」ということで置いてあるんでしょうね。

 

驚いたのは、教卓に指導書(教師用のテキスト)があったことです。担任の先生に尋ねると、「先生は授業を作っていく時には、こういう本を参考にしています。君たちも必要なら見ていいですよ、と伝えています」ということでした。学びを子供に委ねることについて、先生がオープンマインドで、その一つとして手の内を全部明かしていらっしゃることが素晴らしいと思いました。

 

授業を参観した後、子供たちと懇談しました。「こういう授業は楽しいですか?」と聞いたら、みんな「楽しい」と答えるのです。本当かなと思って「嫌だなあって思った人いなかったの?」って聞いたら、「はじめは、普通の授業がいいと思っていた。友達とやったらよくわかんないから」という意見が出てきました。「でも友達とやりたくないなら、一人でやったっていいって先生が言うから、自分で考えればいいんだと思った」。なるほどと思って子供の声を聞いていたら、「友達と話したときにびっくりしたのが、自分が考えてもみなかったことを考えていたこと。面白かったし、驚いた」と言う子がいたので、こちらが驚きました。子供の中に、こういう気づきが生まれているのですね。

 

子供に学びを委ね、子供自身が自分の学びをつくっていけるようにしていることが、子供たちの学びへのモチベーションを高め、子供たちの学びを豊かで確かなものにしていくと、あらためて気づかされました。

 

もう一つ驚いたことがあります。教室に貼られていたポスターに関してです。前の黒板の傍らの目立つ場所に、バスケットボールのゴールの下で競い合う選手たちの大きな写真がありました。一人の子供に「どうしてあんなふうに貼ってあるの?」と聞いたら、「先生が好きだから」と答えてくれました。そこで、野球が好きという子を見つけて、「先生が自分の好きなスポーツの写真を貼って勝手だなって思わない?」と聞くと、彼はちょっと考えてから、「人は、それぞれだな、と思います」と返してきました。まいった、と思いました。

 

このような環境で学び、育つ中で、人にはそれぞれ好きなものがあったり、苦手なものがあったり、大事にしているものがあったり、そうでないものがあったりということに、経験的に気づいていくのだろうと思いました。多様性の理解、肯定、そして尊重。これからの社会で生きていく上で、とても大事なことが、自然に身に付いているのではないかと思った次第です。

 

この教室で感じたのは「信頼」です。先生と子供、子供と子供の間に確かな信頼関係が確立しているように思いました。先生が子供たち一人ひとりの力を引き出し、子供たちの学び合いによってそれぞれの子供の力がいっそう高められていく。それは、心理的安全が担保されているからです。心理的安全があればこそ、信頼関係も築かれ、萎縮しないで意見を述べたり、チャレンジングな取り組みをしたりすることができるのでしょう。子供一人一人の、学びに向かう意欲も養われていくでしょう。新しい学習指導要領の求める学びの場の姿を見たように思いました。

日本の「学び」が変わる ~次期学習指導要領が目指すもの~

5 海外で学ぶみなさんへ 

みなさんがいま暮らしていらっしゃるのは、どんなところでしょう。そこは、日本と似ていますか。それとも違いがありますか。公園や遊園地、図書館や博物館、街のたたずまいや、暮らす人々についてはどうでしょうか。歴史とか考え方とか習慣とか文化とかはどのようでしょうか。どんなところが同じで、何がどんなふうに違っていますか。  

 

みなさんの毎日はどんなでしょうか。いまいる国や街を初めて訪れたとき、ひょっとしたら驚いた方もおられるかもしれません。でも、時間が経って、たとえばそこに暮らす人たちと交流するうちに、何も感じなくなった方もおられるかもしれませんね。逆に、なかなか慣れないで困っていらっしゃることや、また、いまはそうでなくても、日本に帰ってから少し違和感をお持ちになったりすることが出てくるかもしれません。 

 

わたしたちはよく、「あたりまえ」とか「ふつう」とかと言います。 

 

この「あたりまえ」をデジタル大辞泉という国語辞典で調べてみると、「1 そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま」、「2 普通のこと。ありふれていること。また、そのさま。並み。ありきたり」と書いてありました。

 

「ふつう」については、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま」とあります。 

 

考えてみれば、わたしたちの日常生活において、たいていのことは「あたりまえ」で「ふつう」です。だから、ふだんはあまり気づかないのですが、「あたりまえ」や「ふつう」であることで、わたしたちは何となく安心していると言えそうです。 

 

でも海外で暮らすと、自分の知っている「あたりまえ」や「ふつう」が揺さぶられることに出合う場面が少なくありません。戸惑った経験をした方もおられるでしょう。

 

けれどもこれは、どちらが正しいかという話ではなさそうです。場所だけでなく、人や時代が異なれば、「あたりまえ」や「ふつう」もまた一つだけではない、ということです。みなさんは、たくさんの「あたりまえ」や「ふつう」の中で生きています。

 

ただし、多くの人がたいせつにしたいと考える「あたりまえ」や「ふつう」があることも事実です。みなさんは、それらがどんなことだと思いますか。

 

自分の「あたりまえ」や「ふつう」と、誰かの「あたりまえ」や「ふつう」。それらが重なっているときはよいでしょうが、もし違っていたら、どうしますか。  

 

これらの問いについて、急がずにじっくりと考えてみてください。 

 

みなさん一人ひとりが、健康にじゅうぶん留意され、毎日をたいせつになさって、しっかり考え行動する若者になっていかれるよう願ってやみません。          

日本の「学び」が変わる ~次期学習指導要領が目指すもの~

2026年1月 独立行政法人教職員支援機構理事長 荒瀬 克己

独立行政法人教職員支援機構理事長 荒瀬 克己

イラスト:PIXTA