第3章  「移動する時代」の子育てとは 

川上: 今は、「移動する時代」とよく言われますね。移動と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょうか。すぐに思いつくのは、日本からアメリカへ移動したり、アメリカから日本に移動したりといった「空間の移動」ですね。大人は自分の転勤や新たな仕事、あるいは留学や結婚など明確な理由を持って移動します。一方、子どもから見たら、大人の都合で「移動させられた」「移動せざるをえなかった」と思うかもしれません。親しい友だちと別れ、慣れた環境から知らない新しい環境に移動し適応するのは、特に納得いかないまま移動させられたと感じる子どもの場合、心的負担は小さくないでしょうね。  

 

もちろん、親にとっても子どもにとっても、移動にともなう環境の変化に適応しなければならない点は共通していますが、子どもは身体も心も成長過程で新しい環境に自力で適応しなければなりません。その適応過程で最も大きな壁が、ことばですね。発達心理学では、子どもが言語を習得する際、脳—身体—環境の動的関係性が関わっていると言われています。つまり、「空間の移動」を経験する子どもにとっては、子どもの脳—身体—環境の動的関係性に「移動とことば」の要素が加わり、単言語環境で成長する子どもより複雑になると、私は思っています。   

 

Makiko:子どもはまだ成長の途中だという点で、環境に適応する際の土台が大人とは違っているわけですね。「移動とことば」とはどのようなことですか?  

 

川上:国境を越えて移動すると言語が変わりますよね。つまり「言語間の移動」が生まれます。アメリカにジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)という作家がいます。両親はベンガル語を話すインド系移民で、家庭内言語はベンガル語でした。そのラヒリさんが5歳だった時、幼稚園で母の日のカードを作る活動があったそうです。白い厚紙を折って、カードの内側に「大好きなママ,母の日おめでとう」というメッセージを書く時になって、彼女はつまずいてしまいました。彼女にとって母はベンガル語の「マー」であり,母もそう呼ばれて返事をしていたのです。だから、英語の「ママ」は外国語であって,母を遠ざけてしまいそうだし,母だっていやだろうと、5歳のラヒリさんは逡巡したそうです。  

 

このことを例に、ラヒリさんは複数言語環境で育った自身が幼い時から常にことばの「翻訳」をしていたのだと著書『翻訳する私』(2025)で語っています。

 

小説家の温又柔(おんゆうじゅう:Wen Yuju)さんも興味深いエピソードを書いていますね。彼女は台湾人の両親のもと台湾で生まれました。3歳で来日し、家庭では台湾語混じりの中国語でしたが、5歳になってから日本の幼稚園に通い出し日本語を学び始めました。その頃、日本語の謝り方について考えたことがあったそうです。「ゴメンネは自分よりも小さい子、ゴメンは自分と同じ歳の子、そしてゴメンナサイは先生に向かって言うもの」と気づいたと、エッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』(2015)に書いています。  

 

つまり、幼児の段階でも、子どもは家庭内言語と外の異言語の間を繰り返し移動しながら複数のことばの意味や使い方を自力で探究しているのです。これが「移動とことば」の要素の一つ、言語間の移動です。また、これらの例にあるように、幼少期のことばをめぐる記憶が大人になっても保持されているという点も興味深いですね。  

 

 

Makiko:例えば「ママ、今日はtreeをpaintしたよ」のように、一つの文章に違う言語を混ぜるのはよくないと聞いたことがありますが、母語が確立されていない幼少期では、綺麗に言語を分けるのは難しそうです。  

 

川上:そうですね。乳幼児の頃の子どもは言語を言語として認識する力、つまりメタ的に捉える力が未発達ですから、複数言語環境で育つ子どもの発話が混ぜ語になるのは悪いことではなく、とても自然なことです。子どもは音と場面(文脈)と意味の関係を一生懸命に探究しているからです。その営みはとても貴重で、肯定的に捉えていいと思います。  

 

Makiko:このような「不完全さ」を先生が肯定的に捉えていることに勇気づけられます。  

 

川上:この二つの「移動」のほかに、もう一つ大切な「移動」があります。特に学齢期の子どもにとっては大切な移動です。それは、「学びの場」の移動です。例えば、日本の学校にいた子どもがアメリカの現地校に入学した場合、日本語で学んでいた場から英語で学ぶ場へ移動します。また、現地校に通う子どもが週末に補習校に通うような場合、英語で学ぶ場から日本語で学ぶ場に移動することになりますね。その後、アメリカにいる時に英語で学んでいた子どもが日本に帰国する場合も、英語で学ぶ場から日本語で学ぶ場に移動することになりますね。この移動の意味は、英語と日本語の文構造を考えるとすぐにお分かりになると思います。例えば、“I wrote a letter. ”と「私は手紙を書いた」を比べると、英語は主語—動詞—目的語の順で動詞に過去時制が現れるのに対し、日本語は主語—目的語—動詞の順で、時制は文末にきます。つまり、子どもは英語で学ぶ場と日本語で学ぶ場の移動を経験することによって、英語で考える脳の働きと日本語で考える脳の働きの移動を経験します。アメリカに行くと「子どもはバイリンガルになるからいいね」と単純には考えられません。これも、子どもには負担のかかる移動です。私はこの移動を「言語教育カテゴリー間の移動」と呼んでいます。

 

Makiko:感じてきた「大変さ」を構造的に説明してもらえて、すっきりしました。海外生活の中で「週1回の補習校」や、「毎朝1枚だけ日本語のプリント」というのが子どもにとって難しいのは、言語だけでなく、思考にも移動が必要になるからなのかもしれませんね。  

 

川上:子どもの成長にとって大切なのは、どの言語を使用しても、その言語で「考える」活動を行っているかどうかだと思います。それは学校の勉強だけではなく、何気ない日常の親子の会話でもできると思います。「どうして?」「なぜ?」「どんなふうに?」「どう思ったのか?」など、親子の会話の中で子どもの考えや疑問に耳を傾け、気持ちに寄り添いながら共感したり、多様なツールを使って一緒に調べたりすることも大切ですね。そこから、子どもが主体的に考える力が育成されていくと思います。まず、学びの環境を整えていくことから始めてはどうでしょうか。うちの子どもは食卓の近くに辞書があったことを大人になっても覚えていました。  

 

Makiko:「海外にいる間にこれだけは」と色々と目標を立ててしまい、子どもとゆっくりする時間をおろそかにしたことを反省しました。海外に出られている保護者は特にアクティブでチャレンジングな方が多い印象ですが、「子どもに寄り添う時間」を、子どものためにも、自分たち保護者自身のためにも、ぜひ意識したいですね。   

 

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