第2章 移動をめぐる保護者と子どもの視点のずれ

Makiko:2020年から昨年夏まで、夫の海外赴任に同行していました。当時7歳、3歳、1歳の子どもたちを連れ、保護者として4年半をオハイオ州で過ごしました。 オハイオでは、私は土地や空気に身体がスッとなじみ、甘すぎるお菓子も、スクールバスも、全てが懐かしく嬉しく感じられました。大学時代にアメリカ西海岸とヨーロッパに留学したのですが、その時はこのように高揚する感覚はなかったので、子どもの頃に滞在していたミシガン州とオハイオ州の気候や風土が似ていることが関係したのかもしれません。  

 

川上:子ども時代にミシガン州で過ごされたご経験が大人になってオハイオ州に移住したときに思い出されるというのは興味深いですね。お子さんたちはアメリカの生活が初めてだったのですね。どんな反応でしたか。  

 

Makiko:私が毎日嬉しそうだったから、子どもたちも反応は良かったんです。楽しいこともたくさんありました。ただ、現地の生活に入り込むにつれ、長男が日本語補習校を登校拒否から退学し、次男が場面緘黙(かんもく)症になり、三男は吃音になるなど、親としてはちょっと大変な道のりになりました。自分の経験もあったので、子どもの海外生活を甘くは見ていないつもりだったのですが、たくさんつまずきました。子どもにとっての海外生活と、親にとっての海外生活は全く別の体験だと思いました。  

 

川上:海外生活への対応は親子で異なるうえ、親と子どもの受け止め方も異なるのでしょうね。子どもたちは年齢によっても対応は異なるでしょうか。  

 

Makiko:7歳だった長男は、好きなことをどんどん進めたい性格なので、好きな教科を好きな速度で進められるアメリカのシステムが彼の性格にピッタリ合い、学校生活は初日から楽しかったようです。「褒めてくれる」文化も良かったのだと思います。私は補習校に思い入れがあったので、初めは長男が行き渋った時は理解できなかったですし、「日本の勉強に遅れてしまう」と、親としてかなり焦りました。結局退学するほかなくなるほど、長男は現地の生活にのめり込みました。私が「帰国を見据えた生活」を頭で考えているのに対して、長男は目の前の現地校生活で輝いていくことに、一生懸命でした。

 

川上:補習校より現地校の方が楽しかったのでしょう。それはきっと、彼にとっては大きな経験になったでしょうね。  

 

Makiko:そうですね。長男は周囲との友情も深めていました。この「深さ」は私自身が子ども時代には経験しなかったものです。今回、子どもたちは人種差別を受けるようなことがなく、時代の変化を感じました。  

 

次男は3歳で渡米し、好きな野球を通じて現地の生活に入り込んでいきました。それが、現地校1年生に入学直後のある日、ランチのお盆を持ったまま、動けなくなりました。カフェテリアでお盆を持って立ったまま過ごし、最後にはお盆ごとゴミ箱に捨てたそうです。そして足を引きずるようにして、だらしない歩き方で教室に戻ったそうです。その様子を見ていた長男が「なんか、おかしいよ。挨拶もしないし、歩き方も変だよ」と私に伝えました。カウンセラーに相談すると、「本人の意思に関わりなく、特定の場面で声が出ない、体が固まる」症状を持つ場面緘黙症との診断でした。この時は、現地校と補習校の入学が重なり、また、野球チームの選抜試験を受けて活動が始まった時でした。今思えば、5歳の小さな体にものすごい負担がかかっていました。もともと頑張り屋で、「ちゃんとしたい」という性格の次男。この時は周りによく相談しました。聞くと、元帰国生のママ友から、かつて渡米直後に「ロッカーの前に立つと暗証番号が頭から飛び、手が震えて鍵が回せなくなった」経験を話してもらったり、補習校にも同様の症状がある子がいたりと、珍しいことではないことを知りました。日本人のカウンセラーと、現地校の先生方のサポートで、少しずつ改善し、治療が終わって半年で、帰国になりました。  

 

 

川上:おっしゃる通り、小さな身体には負担があったでしょうね。お話を聞いて、私の娘のことを思い出しました。オーストラリアへ初めて行ったのは、娘が4歳になる時でした。その誕生日にオーストラリア人の知人の女性がケーキを持って我が家に来てくれたんです。私たち夫婦はその方に英語でお礼を言ったり話したりしていたのですが、突然、そばにいた娘が「キャー!」と絶叫したのです。いつも日本語を話していた親が自分の知らない英語で話しているのが理解できないうえに、不安に思ったのでしょう。その時はじめて、4歳の子どもにとって異なる言語の世界に入ることが大きな負担になることを知りました。

 

Makiko:「小さい子どもならすぐに馴染むから大丈夫」というイメージがありますが、そう、単純な体験ではないですよね。年齢や性格によっても、感じるストレスの度合いに大きな幅があるので、保護者には「マニュアル」のようなものがなく、随時対応に迫られます。

 

川上:娘はオーストラリアの現地の小学校に入学し、英語のアルファベットから学んでいきましたが、当時、英語はまったく話せませんでした。でも、帰宅すると、今日はこんなお話を聞いたとか、こんなことをやったとか、学校の様子を教えてくれました。ある日、帰宅した娘が「お父さん、のり(海苔)は英語でなんて言うの?」と聞いてきました。どうしてと聞くと、クラスのやんちゃな男の子が、娘のお弁当に入っていた海苔を巻いたおにぎりを見て、「そのblack stuffは何だ?」「お前はそんなものを食べているから髪の毛が黒いんだろう」と言われたので、これは海苔だと英語で言い返したいと娘は言いました。娘のそんな話を聞いていたので、学校でクラスメイトとなんとかコミュニケーションがとれているのだろうと私は思っていました。ところが、ある日の朝、娘を学校の教室まで見送って行った時、たくさんのクラスメイトが私の周りに集まってきて、「英語、話したよ」と嬉々として叫んでいました。その時、私はようやくわかりました。娘はそれまで学校でまったく英語を話さなかったのです。言語教育では、家庭の言語と異なる言語の世界に入った子どもが何も話さない「沈黙期間」(silent period)に入ることが知られています。娘はこの沈黙期間に入っていたのだろうと思いました。すでに入学して3カ月ほど時間が経っていましたが、この間、娘はただ沈黙していたわけではなく、授業や周りの様子を観察して、たくさんのことを溜め込んでいた、つまり学んでいたのだろうと思います。その後、娘は水を得た魚のように英語を話し出しました。  

 

Makiko:そういう沈黙期間は、必要な時間なのですね。三男は1歳で渡米し、ことばが出始める3歳のころ、どの言語でも「吃る」ことがありました。この時は言語療法士の方を探し、発語を促してもらいました。  

 

川上:幼少期の子どもが家庭の内と外で言語が異なるような複数言語環境で成長する際、子どもは常に異なる言語の世界で音と場面と意味の関係を独力で、そして全身で理解しようと動きます。その作業がうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあるでしょう。そのことを理解して、周りが子どもをサポートすることが大切ですね。

 

Makiko:大人はAIアプリを駆使できても、子どもの日常にアプリはないですものね……。保護者には子どもの生きる世界に想像を働かせる力と、理解力が求められると思いました。他者の力を借りる行動力も必要です。私は今回、子どもたちの対応をするうちに、こういった力が鍛えられました。「移動する子どもの保護者」というのは、予備知識もある程度必要とされるような、特殊な立場だと言えるのかもしれません。  

 

川上:そうですね。子どもが小さいうちに海外生活を体験させてあげたいとか、外国語を学ばせてあげたいと思う保護者もいるでしょうね。また、海外に転勤する家族がいると、「子どもが早く外国語を学べていいね」と言ったりするかもしれませんね。私が家族を連れて留学したときも、子どもたちにとっても貴重な体験になるだろうと、呑気に思っていました。日本人の親たちは、子どもがその国の言語、例えば英語圏の国なら、英語を少し話せるようになると「もう、うちの子どもはバイリンガル」と思ったり、さらに子どもが他の子と英語で話していて、その内容が親の理解を超えると、「もう大丈夫」と思ったりする傾向があるのではないでしょうか。でも、ペラペラ喋る子どもを、私たちはどう捉えたらいいのでしょうか。少し引いて考えてみる必要があるのではないでしょうか。 

 

Makiko:子どもって賢いので、「ペラペラに見せかける」こともできるんですよね(笑)。それで、親より自分が偉いような気持ちになって。親としては「ペラペラ喋る子ども」は、手放しに喜ぶようなことではないのかもしれませんね。

 

川上:子どもたちは今、どんな時代に生きていて、どんな経験をしているのか、そして、今後、どのような子育てが親にとっても子どもたちにとっても必要なのかという視点で考えることが大切ではないかと思います。

現地でも帰国後も友人作りや地域コミュニティとの関わりの面で助けになったのがスポーツとの関わり。勉強との両立や異国でのチーム探しなど、これも親の担う役割の一つ。 —Makiko
現地でも帰国後も友人作りや地域コミュニティとの関わりの面で助けになったのがスポーツとの関わり。勉強との両立や異国でのチーム探しなど、これも親の担う役割の一つ。 —Makiko   

 

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