東京都で暮らすマリエさん(仮名)は、小学校2年からの3年間をインドネシア、中学2年生から高校3年生までの4年間を香港で過ごした。日本人学校とインターナショナルスクールでの学校生活を経験した後、日本の大学への進学を決めた。海外の大学など、さまざまな選択肢があった中、なぜ日本に戻ってきたのか。海外生活を通して見つけたマリエさんにとっての「自分らしい生き方」について聞いた。
(取材・執筆:Minimal 丸茂健一)
初めての海外生活。インドネシアってどこ?
「小学2年生のときにインドネシアのジャカルタに引っ越すことになりました。あまり記憶はないものの、出国前に友達からメッセージやプレゼントをもらったこと、育てていた朝顔をどうするかについて先生と親が話し合っていたことを覚えています。海外で暮らすことへの抵抗はありませんでしたが、インドネシアという国についてほとんど知識がなく、『インドネシアってどこ?』という感覚だったと思います」
マリエさんがジャカルタに住み始めた2006年当時、現地の日本人学校は25人前後のクラスが各学年に4クラスあるという規模だった。教育内容は日本の小学校とほとんど同じだったが、インドネシア語の授業と1年中プールの授業があったという。
ジャカルタはとにかく暑かった。小学校はジャングルのような自然の中にあり、世界最大のトカゲと言われるコモドドラゴンやヘビが当たり前のようにいる環境。危険が多かったので、送迎をしてくれる運転手がいないと外に出られなかったらしい。

インドネシアの生活に慣れたころに帰国が決まった
マリエさんが住んでいたのは、日本人駐在員向けのアパート。ジャカルタの中では安全なエリアにあり、部屋は家具付きで、中庭にはプールがあるような環境だった。家には住み込みの家政婦と専属の運転手がいたが、運転手は、家の車を無断で使い、サイドビジネスでお金を稼いでいたことが後に発覚したそうだ。
「当時の生活で辛かったのは、日本のメディアに触れられなかったこと。現地では日本のテレビ局はNHKしか映らなかったんです。YouTubeがリリースされたばかりでしたが、インドネシアの通信環境が原因で観ることができませんでした。外には出られず、家でやることもなかったので、同じアパートに住む友達の中には日本人向けの塾に通っている子もいました。小学4年生になる頃にはこの生活にも慣れ、不便を感じることも少なくなりましたね」
日本への帰国が決まったときは、またゼロから人間関係を築かなければいけないことに面倒くささを感じ、帰りたくないと思ったという。渡航前に住んでいた町に戻ると、周辺に新しいマンションが建ち、知らない人が増えていた。ただ、以前通っていた小学校に戻ることができたので、学校生活に馴染むのはそれほど苦労しなかった。
「大変だったのは、日本の小学校で使う教科書がインドネシアと違ったことです。習う順番が違ったために、帰国後に受けたテストに、日本人学校で教わっていなかった漢字が出てきたり、習っていない問題が出題されたり……。自分で勉強し直す必要がありましたね」

香港ではインターナショナルスクールを選択
その後マリエさんは、日本の公立中学校に入学した。陸上部に入り、精力的に活動していたが、中学1年生の6月に、再び海外への引っ越しが決まった。次の行き先は香港だ。
「嫌だなって思いました。友達もできて、部活も頑張っていたのに、また海外か……って感じでしたね。ただ、塾に通っていたのですが、日本の高校受験のために勉強する必要がなくなったのはよかったです(笑)。当時の私にとって香港は、上海や台湾に国名が似ているので、なんとなく中華圏だろうなってくらいのイメージでした」
インドネシアでは日本人学校に通っていたこともあり、外国語を身につけずに帰国してしまった反省があった。そこで、香港ではインターナショナルスクールに通うことを決意した。入学したカナダ系の「デリア・スクール・オブ・カナダ」は、幼稚園から高校まであったが、規模は大きくなく、日本人の生徒もたくさんいた。
「最初は、悶々とした学校生活を過ごしていました。英語が話せないから先生に質問ができず、両親もそこまで英語を話せなかったので、サポートを受けることもできませんでした。また、いろいろな教科の授業がある日本とは違い、インターナショナルスクールでは上半期と下半期でそれぞれ4科目の授業しか受けられないことに日本の学校とのギャップも感じました」

日本とは目的が異なる現地の部活動にも挑戦
マリエさんが通っていたインターナショナルスクールには、日本人のほか、中国系やインド系などさまざまな国から集まった生徒がいた。授業によってクラスが変わることから、1日をずっと同じメンバーで過ごすことがなく、孤立してしまう生徒もいたという。ただ、日本でよく見かける「仲よしグループ」がないため、空き時間や放課後は気が合う友達と遊ぶなど、それぞれ自由に過ごしていた。
「2年目からは学校生活に慣れたこともあり、部活動を始めました。部活のシステムも特殊で、夏にバレーボール、冬にバスケットボールというように季節によって変わります。ハードに練習して上手くなることをゴールとする日本とは違い、多種多様なスポーツに触れることを目的にしているんだと思います。学校では、同じバスケットボール部に所属していて、隣の家に住んでいた香港人の友達と仲よくなりました。もとからグループで仲よくするタイプではないので、私にとっては過ごしやすい環境だったと思います」

日本の大学で気づいた周りと自分の違い
高校卒業後は、日本に帰りたいという思いがずっとあった。海外の大学に進学する選択肢もあったが、高い学費を払って行くよりは、日本の大学で海外経験を活かしたいと考えた。
高校3年生の6月、大学受験のために帰国し、帰国生向けの塾に通い始めた。大学では、海外での経験を通して日本の魅力を再確認できたことから、グローバルな視点で日本について研究する学部への入学を決めた。
「大学ではすぐに友達ができました。帰国生とも出会い、同じようにインターナショナルスクールに通っていた学生がいると安心感みたいなのがありましたね。大学生活では、ゼミやサークルなどで共同作業が多く、協調性の大切さに気づかされました。中学・高校は協調性を形成できる場所だと思いますが、その期間を海外で過ごした私は、その感覚がすっかり抜けていたんです。自分自身はあまり気になりませんでしたが、同調圧力のような雰囲気に違和感を覚える瞬間もありました」
みんなと同じじゃなくてもいいと思えた
その一方、周りに流されることなく、自分らしく自由に生きることもできた。就職活動では、「とりあえず大手企業に入ればいい」という考えは持たず、「自分がやりたいことは何なのか」をしっかりと考えた。そこで出てきた指針が、総合職ではなく専門職の採用面接を受けること。面識のない人事部の社員に、平均3年周期で居住地や仕事内容を決められてしまうと、人生・キャリア設計に支障が出ると感じたためだ。これこそ海外の経験を通して手に入れることができた大切な価値観だとマリエさんは考えている。
「私の大学では、インターンシップをしている学生は少なかったのですが、社会人になったら簡単に仕事を変えることもできないので、フィンテック系やサイバーセキュリティ系などのさまざまな会社でインターンシップを経験しました。その理由は、自分が普段使っているサービスを仕事にしたらどのような感じなのだろうか?という単純な疑問を解消するため。新しい場所に飛び込む行動力は、海外で鍛えられていますからね。また、ホームではない場所で、多様な価値観の人と壁を感じずにコミュニケーションが取れることも海外生活で得た自分の強みだと思っています。現場に飛び込んで、自分の手で確かめながら前に進むのが私のやり方なんです」
大切なのはできることをがんばること
現在は日本の広告代理店で働くマリエさん。自分が海外に行くのではなく、日本にいながらグローバル企業や海外に向けたサービスを手がけているという。将来の目標は、日本のメーカーの製品を海外に展開するような仕事に関わること。現在のポジションは自分に合っているという。
最後に、不安を抱えながら海外で暮らす帰国生に向けて応援メッセージをもらった。
「海外という特殊な環境では、できることをやるしかないと思います。そのためには、得意なことを見つけるためのチャレンジ精神を持つことが大切です。英語はできなくても、スポーツや文化的な趣味で得意なものを見つけるとか。それが、コミュニティの輪を広げるきっかけにもなるはずです。知らない国で孤立することが一番辛いことだと思うので、1人でもいいので気を許せる友達をつくることが大切です。今は翻訳アプリなども進化しているので、どんどん使っていったらいいと思います。苦労しながらコミュニケーションをした経験は、必ず将来何かの役に立つと思います」






