パキスタン在住の白井ファミリーは、観光業に携わるサジャードさんと真理子(まりこ)さん、現在高校3年生の柊至(しゅうじ)さんと中学3年生の奏伍(そうご)さんの4人家族。真理子さんが代表を務めるイスラマバード日本語クラブではJOES海外子女文芸作品コンクールで2017年から2025年までの毎年、学校賞を受賞している。柊至さんと奏伍さんもこれまでに日本語作文で数々の賞を受賞した。日本語教育や、作文と向き合うことについて、また、進路ついて、話を聞いた。
(取材・執筆:Makiko)
追いつくための勉強はしないでおこう
—2014年に真理子さんが他の有志の保護者とともに立ち上げられたイスラマバード日本語クラブは、JOES海外子女文芸作品コンクールでこれまでに学校賞を何度も受賞しています。クラブでの日本語教育の方針や、具体的な指導はどのように?
真理子:我が家の子どもは二人ともパキスタン生まれですが、家庭内では夫も含めて日本語です。子どもが幼かった当時は、家庭内を日本語にしてしまうと、英語やウルドゥ語の習得が遅れるのではないかと懸念して、家庭内を英語にする家庭が周囲には多かったんです。私は大学で日本語教育を学んだことから、「家庭では日本語、学校や外では英語とウルドゥ語」が可能であると考えて、そう実践しました。
ただ、「話す」ことから「読み、書き」の段階への移行は、家庭内では難しいと感じていました。横書きの日本語を右から左に読もうとするような状態でしたので……。イスラマバード日本語クラブを立ち上げてからは、他のメンバーと一緒に週に1度、3時間の活動をしています。仲間がいることで、また、家庭の外で学ぶことで、学習を継続できました。
クラブで大切にしているのは、「日本の学校に追いつくための勉強はしないこと」です。その代わり、「うんと遠回りをしよう」と話しています。例えば、百人一首を詠み、それを暗記するのではなく、時代背景や歌人の人柄について学ぶような内容です。 継承語教育は、基本的には家庭料理のようなものだと思います。子育ての中で自己流に続けていくもの。その中で、周りと共有できるレシピがあれば、みんなで作っていくーーそんな場でありたいと考えています。
柊至:日本語が嫌だと思ったことはこれまでありません。漢字ドリルはやりませんでしたが……、日本語クラブで一緒に育った仲間は、年の離れたきょうだいのような存在です。
奏伍:ドリルはできなかったね。僕は日本語の本も、ほとんど読みません。
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—作文を拝読して、あまりに表現が上手なので、もともと読書や作文が好きなのかと想像していました。
奏伍:僕はむしろ理系で、現地校でも数学が一番好きなんです。
柊至:僕も特別に国語や英語が好きというわけではありませんでした。ただ、今は他の科目も含めた中で英作文が一番得意なんです。これは、日本語作文で鍛えてきた力が活かされているのだと思います。

1年を通して、「作品を書く」という意識付け
—作文は、お二人とも小学校1年生から中学3年生まで、毎年開催される海外子女教育振興財団の海外子女文芸作品コンクールに応募することで、書いてこられたのですね。日々の中でどのように取り組んでいるのでしょうか?
柊至:書くのは、毎年、作品提出の締め切りギリギリなんですが、書くにあたり1年の出来事をフィルターに通して、テーマを決め、書いていきます。1年を通して「作品にする」ということで意識付けをしながら生活しています。 奏伍:僕はいくつかアイデアを出し、「完璧だな」と思えるまで見直しを繰り返します。
真理子:日本語クラブでは、実際の清書の段階までは「デジタルで良い」と話しています。ネタになることをデジタルでポストイットに書いていき、パソコンの画面のなかの原稿用紙に何度も推敲していく。原稿用紙の記入で心が折れないように、ハードルは低くしています。ただ、内容に関しては「絞っても絞っても出ない」というところまで練るように伝えています。
パキスタンは政治情勢が安定していないし、洪水などの自然災害も多く、どこへ行くにも子どもたちを車で送迎するのですが、そのおかげで車の中での対話が多いんです。「今年は何で書こうか」と、そういう時間に話していました。
柊至:なんでも話すよね。政治から、外に生えている木の種類、都市伝説とかもね。母に感謝しているのは、いつでも「書きたいこと」に焦点を当てて、限界を設けずに書かせてくれたことです。「何年生だから、この程度の漢字を使ってこの程度の作品」という観点ではなく、知らない漢字も文法も、それが自分の「書きたいこと」のために必要なら「書いて吸収しなさい」と。

言語の両立のために「削る」必要はない
—お二人はパキスタンの現地校では英語とウルドゥ語、家庭では日本語を使われていますが、言語学習についてどのような実感がありますか?
柊至:小学校の半ばくらいまで、英語は成績が良くなかったんです。家庭内がずっと日本語だったので。でも、日本語を削ることなく、学校では英語で学び続けました。そのうちに、布の一つの角を一生懸命引っ張っているうちに他の角もゆっくりと持ち上がってくるように、英語が伸びていきました。特に、高校に進学した時に英語が飛躍的に伸びて、英作文でよく褒められるようになりました。その頃から、プレゼンテーションを準備して生徒会長に立候補して、生徒会長を務めるなど、学校生活も充実していきました。時間はかかっても、二つの言語は両立できるのだと感じました。
奏伍:僕は、話すのは日本語ですが、書くのは英語の方が得意です。最近はウルドゥ語も伸びています。
真理子:私たちの言語の根幹は、日本語の作文にあったと思います。これは、コンクールに応募を続けたおかげです。読書が好きなわけでも、書くことが好きなわけでもない二人がこれを続け、見えない形で何かが蓄積されていたことを、英語の伸びの爆発力を見て、感じました。「毎日日記を書きましょう」という方法では、ここまで突き詰めることができなかったかもしれません。
受賞してもしなくても、毎年記念写真を撮るように「その年のその子」の姿を描いた作品はどれも愛おしいです。

—日本への進学についてお二人とも悩まれたと聞きました。今後はどのような希望を持っていますか?
柊至:高校進学時に、僕は本気で日本の高校を受験したかったんです。パキスタンには部活と学業の両方を頑張るというスタイルがないので、文武両道を目指せる日本の青春に憧れました。ただ、母があまり取り合ってくれず、結果的にパキスタンに残ることになりました。しかし、パキスタンに残ったことで、生徒会長になり、例えば「朝練」と「放課後練」をしたいと学校に掛け合って放課後練習の許可を初めて得るなど、今はここでしかできない経験をしています。後悔はありませんが、それでもやはり未練があるので、大学は今度こそ日本に進学したいと思っています。
奏伍:夏に日本に滞在した時、高校から部活の声援が聞こえてくると、「いいなあ、日本の高校に通ってみたいなあ」という気分になりました。僕も高校進学時に悩みましたが、小さい頃から一緒に育ってきた友達と離れることを考えると、やはりパキスタンに残りたいと思うようになり、パキスタンで進学しました。将来的にはスポーツドクターを目指しているので、海外の大学への進学を考えています。
真理子:私自身は、パキスタンで育つということが貴重な経験であり、子どもたちの将来の糧になるだろうとの思いから、パキスタンでの子育てを選んできましたが、日本で青春を送らせてあげたほうが良かったのかもしれない、と申し訳ない思いになることもしばしばあります。日本でなら、お友達と自由に外に遊びに行けるような年齢なのに、いつも親の送迎が必要な青春時代は窮屈でしょう。子どもたちの経験の選択を狭めているのではないか、という葛藤の中で、日々の成長を見守っています。
ただ、このような葛藤を抱えながらパキスタンの日本語コミュニティに関わってきた経験から、今後は日本にいる、パキスタンや外国の人を支えるような仕組みを作っていきたいと考えています。大阪万博を機にご相談をいただくことも増え、日本への渡航前講座や、パキスタンについてのオンライン授業などにも取り組んでいきたいです。


次号では、2025年夏に一家で関わった大阪・関西万博パキスタン・パビリオンでのエピソードを取材します(2026年3月16日公開予定)






