2024年からフィリピン・クラークで暮らす、石澤りかさん。2020年に夫のアメリカ赴任が決まった後、初めは母子で日本に残り、仕事の続け方を模索した。1年半後、家族との時間を優先させるために退職して渡米。その後もキャリアと家族とのバランスの中で葛藤を続けたが、今はワーク・ライフ・バランスの整った生活に近づきつつあるという。「退職の決断に後悔はない」と今では言える心境に至った過程を、話してもらった。
(取材・執筆 Makiko)
「赴任帯同しない」と決断し、ワンオペ生活
—りかさんは、旦那さんのアメリカ赴任が決まった時、帯同せずにお子さんと二人で日本に残ることにしたのですね。
夫の赴任が決まった時、子どもは1歳で、私は育休中でした。仕事が好きで、キャリアの遅れに焦りもあったので、復職を見据えて計画を立てていた矢先だったんです。「これを全て投げ打っては行けない」と、帯同しないことにしました。ただ、職場は東京で親族は一人もおらず、コロナ禍でもあったので、九州の実家付近からオンラインで仕事を続けられるよう、会社に掛け合いました。前例はなかったものの、許可を得てリモートで復職しました。子どもを保育園に送り、その間に打ち合わせ。子どもが寝た後で資料作り。広告関係の、現場ありきの仕事だったので、同僚に現場の様子をカメラで繋いでもらうなど、遠方からリモートになったことで色々と周りに手間をかけました。そんな中で「結果を出さないと」と自分にかなりプレッシャーをかけていましたね。精神的に余裕は全くありませんでした。夫も赴任先のことで手一杯でしたし、お互い安否確認もできないくらいでした。
「周りに迷惑をかけないできちんと仕事をしたい」という責任と、妻や母としての自分とのバランスが全く取れていないことに悩む日々でした。
—その後、退職して帯同することになります。
夫が一時帰国した際に、2歳になっていた息子が実物の夫を見て、「パパが大きくなった」と言ったんですね。これまで、画面越しでしか見たことがなかったので。その時に、「2歳の子どもにとって、お父さんや家族との時間はかけがえのないもの。私のキャリアのためにその時間を奪っていいのだろうか」という葛藤が生まれました。そして、「1年やり切ろう。そうしたら退職して、家族で一緒に暮らそう」と決めました。
計画通りに進められない、予想外の辞令
—渡米後はどんな生活でしたか?
やり切ってきたとはいえ、初めはキャリアを失ったという無力感が大きかったです。数カ月は車がなく、冬だったこともあり、子どもと家に篭もることになったので、それもしんどかったです。英語は、私がこれまでの人生で避けてきたものだったので自信もなく、恥ずかしながら子どものプリスクール探しも苦労しました。 ただ、教会で英語を学ぶE LLクラスに参加し、流れで「生徒リーダー」をすることになったんです。かなりの英語力が必要になりましたが、「子どものためにもここで英語を身につけよう」と、英語学習に力を入れ始めました。


子どもに関しては「アメリカに行けば自然と英語が喋れるようになるのかな」とイメージしていたのですが、そんな甘いものではないことを知りました。日本ではお喋りだった息子が、自分の言葉で周りとコミュニケーションをとれなくて、感情が荒ぶることも出てきました。そこで、「貸して」「どうぞ」など幼稚園で使うフレーズを英語で言えるように練習する「プリスクールごっこ」を家で始めました。思いを英語で伝える経験を重ねることで、息子も英語環境に自信が持てるようになったと思います。
また、父親と一緒に暮らせるのはやはり子どもにとって良かったと、日々感じました。

—アメリカで2年が経ったところで、フィリピンに異動。どう受け止めましたか?
アメリカには4年程いられるという予想の元に、その後の帰国を見据えて再就職への計画を立てていたんです。だから、2年経ったところでフィリピンというのは、初めは受け入れ難かったです。ただ、アメリカにいる間に家族との思い出がたくさんでき、「協力して困難を乗り越える」経験をしました。違う土地でもまた新しい体験を重ねられるかもしれない、と少しずつ前向きに考えるようになって、再び夫に帯同することに決めました。

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退職したからこそ、挑戦できる
今はオンラインでできる仕事を日本から少しずつ紹介いただいています。子どもが学校に行っている間にだけ仕事をして、仕事が落ち着いている時には現地の生活を楽しむ余裕を持っていたい。フィリピンでは、アメリカと違い、自由に外を出歩けないため、少し窮屈なところがあるんです。だからこそ、仕事という形で少しでも自分を保てる時間が貴重です。
以前は、退職せずに休職を選んで帯同されている方を見ると、羨ましく感じていました。「帰る場所があっていいな」と。でも、海外生活4年目の今は「退職したからこそ、振り切れた」と思っています。私の場合、海外で生活することで、自分自身が何度も新しく更新されていきました。そのように自分が変化していけたのは、戻る場所がないがゆえに、自分で未来を開拓しなければならない状況だったからだと思います。どん底まで悩んで、子どもとたくさん一緒に過ごして、現地で多様な人と知り合って、手探りでトライした経験は、私の想像を上回る新たな視野を与えてくれました。
社名という肩書きを失う恐怖や、キャリアへの思い、「稼ぐ力」をなかなか取り戻せない不安。色々ありましたが、今私が大切にしたい「ワーク・ライフ・バランス」は、日本に居続けていたら手に入らなかったかもしれません。
今はまだまだですが、いずれは英語力をさらに伸ばして、海外と日本の企業の橋渡しをできるような存在になることを目指したいです。







