アメリカ、ニュージャージー州で生まれた美帆さん(仮名)は、8歳になるまで現地校で英語オンリーの環境で学んだ。その後、小学校2年生で帰国し、持ち物もやることも「みんなと同じ」を強いられる日本の学校に通い始める。違和感を覚えながらも過度な順応をして、仲間をつくった中学校時代を経て、美帆さんは高校時代に2年間、再びアメリカの現地校で学び、日本の大学に進学する。多感な時期に2つの文化を往き来しながら学んだ経験は、美帆さんをどこに導いたのか——。「自分らしく生きる強さ」を手に入れるまでの道のりを語ってもらった。
(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)
アメリカには“遊びながら学ぶ”文化があった

現在、東京のIT企業に勤務する美帆さんは、1997年にアメリカ、ニュージャージー州で生まれた。父は日系企業の駐在員で、そのまま8歳になるまで、ニュージャージー州で生活を続けた。プリスクール、小学校とアメリカの現地校に通い、土曜日は日本語補習校へ……ふたつの世界を行き来する生活が、小学校2年生の終わりまで続いた。
「プリスクールは40人くらいの小規模なところで、白人系が98%で、残り1%がアジア系、もう1%がヒスパニック系という環境でした。つまり、アジア系は私ひとりでしたね。小学校は1学年150人くらいでしたが、人種の比率はだいたい同じでした。なので、友達とは英語で話し、家では家族と日本語で会話する生活をしていましたね。あと夏休みには、2週間くらい帰国して、日本の学校にも体験入学していました」
当時の現地校で印象に残っているのは、遊びながら学ぶ文化。プリスクールでは、パズルを解くと「宝箱」の中に入った菓子をもらえるごほうびシステムがあった。プレイグラウンドでは、アイロンビーズを見つけて、拾い集める遊びに夢中になった。小学校では、Dr. Seuss(ドクター・スース)の絵本を使って、韻を踏むリズムの楽しさを覚えた。イースター(復活祭)では、ウサギの仮装をした先生を追いかけ回して、卵型のお菓子をもらった。アメリカの教育は、子どもに何かを「やらせる」より、「やってみたい」と思わせる仕組みに満ちていた。
「補習校で学ぶ日本語は、苦手でしたね。家では日本語オンリーの生活でしたが、ひらがな、カタカナだけでなく、漢字もあるという複雑さが嫌いだったし、『1匹』『1本』などの助数詞もいろいろある意味がわからない……。当時、自分が“日本人”であることは知っていましたが、それが何を意味するのかは理解していなかったと思います。鏡の前で自分を見て『なんで私だけみんなと(見た目が)違うんだろう』と不思議に思っていましたね」

帰国して、「女子は女子、男子は男子」の世界観に驚いた
アメリカ生活の終わりは、突然訪れた。現地の小学校2年次が終わるタイミングで帰国となり、小学校2年生の夏休み明けから日本の公立学校に通うことになった。アメリカ時代も毎年夏に2週間ほど、日本の学校に体験入学していたので、少しは慣れている感覚があった。しかし、上履き、体操服、防災頭巾、習字道具、絵の具セットまでみんな一緒で、給食、お掃除、登下校と集団行動を強いられる生活には戸惑ったという。
「2年生からの編入になったので、習字道具や絵の具がみんなとちょっと違う柄だったりするんです……それが逆にすごく嫌でしたね。みんなどこで買っているんだろう?と不思議に思っていました。あとアメリカでは男女が自然に一緒に遊んでいましたが、日本では男子は男子、女子には女子の世界があり、きっぱり分かれていたのには驚きました」
それでも、反発はしなかった。「みんなが楽しそうだから私も」と自然に順応していった。美帆さんが編入した当時、日本の小学校では、一輪車や鉄棒ができる子がリーダー的存在だった。そこで、「私もできるようになりたい」と思って頑張った。みんなと同じことができるように努力すれば認められる——その「ルール」を理解した瞬間、日本の学校に馴染めた気がした。
「アメリカで学んだのは“自分らしさ”、日本で学んだのは“みんなと同じ“の大切さです。この2つの価値観を行き来しながら、自分なりのバランスを見つけていった小学校時代でしたね」
中学校で感じた「同じであること」の息苦しさ
中学校から私立の中高一貫校に入った。部活動は全国大会を目指すほど本格的だったバトントワリング部に入部した。しかし、楽しみだったのもつかの間、のめり込むほどに違和感が大きくなっていった。
覚えているのは、ひとりずつ円になって育座りをし、「全国に行きたいか!」と先生に問われる。「行きたいです!」と言うしかない空気——。全員が同じ目標を持つことが当然とされる世界で、少しずつ息苦しさを感じていた。
授業もアメリカの学校は生徒主体で、日本の学校は先生主体だと感じていた。アメリカの学校では、お菓子でアートをつくったり、オリジナルの商品を考えてポスターをつくったりする授業があり、想像力をかき立てられるところが好きだった。しかし、日本の学校は暗記科目ばかりで、授業中も気軽に発言できる雰囲気ではない。中学校に入ってからは、日本語の文法のちょっとした間違いも気になり、手を上げて発言する機会は減っていったという。
「中学校時代は、日本の文化を過度に受け入れ過ぎていたかもしれません。女子校だったこともあり、ルールに合わせることをとにかく意識して、お弁当の時間もグループに入れなかったらどうしようと焦っていました。おかげで、コミュニティには順応できましたが、いま思うとそこまで合わせる必要はなかったような気もしています」
高校2年生で、再びアメリカの現地校へ
附属の高校に上がるとルールはさらに厳しくなり、眉毛の形を毎月チェックされた。そんなとき、美帆さんに人生の転機が訪れる。高校2年生のときに、父親の仕事の都合で再びアメリカに移住する話が持ち上がったのだ。場所は、カリフォルニア州オレンジカウンティ。まさにハイスクールミュージカルの世界が待っている。小学校レベルの英語力が高校で通じるのか……。不安のなか、単身で日本に残る選択肢もあったが、将来のことを考え、美帆さんは再びアメリカで学ぶ決意をした。
「当初はアーバインの高校に入学する予定でしたが、中国人留学生が多く、入学が難しくなったため、急遽レイクフォレストの高校に変更しました。この高校はヒスパニック系の生徒が多く、日本人は少なかったため、英語力を鍛えるにはいい環境でしたね」
高校2年次からの編入だったため、クラスではすでにグループができており、友人関係を築くのに苦労したが、アニメ好きの生徒との交流や部活動を通じて徐々に友達の輪を広げていった。英語力についてもリスニングは問題なかった。しかし、リーディングや語彙力の点では大きな壁にぶつかることになる。特に、政治や社会問題をテーマにしたディスカッションでは単語がわからず、最初は苦労したという。
高校のドッジボールの大会で「GO!GO!アニメガール!」と呼ばれたこともあった。その生徒に悪気はなかったが、「日本人=アニメ」という固定観念に違和感を覚えた。自分の存在を単一のイメージで括られることへの抵抗感……。それは、「同じであること」が美徳とされる日本という国に生まれた自分について、じっくり考える機会にもなった。

自分の国のことをもっと深く知りたい——
高校2~3年次をカリフォルニア州で過ごした美帆さんは、進学に際し、迷わず日本の大学を選んだ。これは高校でアメリカに行く前から決めていたことだった。加えて、アメリカ時代に日本のアニメやカルチャーについて友達に聞かれて、何も答えられない自分にも気づいた。自分の国のことをもっと深く知りたい——そう思って、大学では日本の伝統やポップカルチャーを幅広く学び、国際社会に発信することをテーマとする学部を選んだ。
「大学では、これまでとまったく違う空気が流れていました。海外経験を持つ学生や留学生が多く、みんなが自分のバックグラウンドを自然に語る。同じでなければならないというプレッシャーはなく、それぞれの違いを尊重し合う雰囲気がありました。アメリカでは当たり前の“diversity”を尊重する風土が、その学部にはありました」
2度の海外生活で身についたものとは?
生まれてから8歳までの幼少期、そして高校時代という2度の海外生活を通じて、美帆さんは2つのメンタリティが身についたと考えている。
1つは、「自分はどう思うか」を常に問う姿勢。アメリカでは、授業でも日常でも必ず「あなたはどう思う?」と聞かれる。正解を出すより、自分の考えを持ち、それを発信することが評価される。そのため、何かを決めるとき、まず自分の意見を探す癖がついたという。
2つ目は、「自分の当たり前は、他人の当たり前ではない」という感覚を自然に身につけられたこと。文化や背景が違えば、価値観も違う。それを前提に、さまざまな国籍・文化背景の仲間とコミュニケーションできるようになったことは、自分の大きな強みだと考えているという。
大学卒業後、アメリカで働く選択肢もあったが、美帆さんは日本を選んだ。ネイティブ並みに英語ができたとしてもアメリカの競争社会で生きていくことは、並大抵の覚悟ではできない。アメリカ時代の友人たちが、学費ローンを背負い、スーパーでパートタイムの仕事をしながら、職探しをしているという話も聞いた。それならば、日本にいたほうが国際的な経験で身につけた自分の強みを活かせると考えた。
「日本の企業に就職して、『育てる文化』のありがたさを実感しています。今は日本が心地いいし、働く環境も自分に合っていると思っています。もちろん、将来また海外で生活したい気持ちもあります。でも今は、日本というフィールドで自分の力を試したいと思っています」

周囲との違いが自分の強みになることも
アメリカで学んだ「自由」と日本で学んだ「協調」。どちらも美帆さんを形づくってきた大切な要素だ。幼少期、鏡の前で「なんで私だけみんなと違うんだろう」と首をかしげていた少女は、2つの文化を行き来しながら、最終的に「自分らしく生きる強さ」を手に入れた。
最後に美帆さんから、海外で学ぶ後輩へ向けて応援メッセージをもらった。
「海外で日本人がたったひとりという環境で学んでいれば、辛いことも必ずあります。それでも今の環境が一生続くわけではありません。なので、自分のパーソナリティを否定するようなことだけはしないでほしいですね。異国で気づいた周囲との違いが、いつか自分の強みになることもあります。いろいろな文化背景の人と密に語り合った経験は、将来の仕事で必ず役立つでしょう。与えられた環境をポジティブに捉えて、頑張ってほしいと思います」






