2025年12月15日
トピックス(その他)

娘とともに歩む日米の教育と文化 ~キング・ターニャさんインタビュー

【ロサンゼルス在住 岩井英津子さんによる現地の学校や生活を紹介するコラム】

 

JOESマガジン9月の「トピックス」に日本の中学校に通うキング・オーガストさんの記事が掲載されました。ご両親は横須賀の米軍基地に勤務されています。今日は、その記事をお読みになったお母さまのキング・ターニャさんに、オーガストさんの教育にアメリカの学校ではなく、日本の学校を選ばれたことについてオンラインでお話をうかがいました。
 

記事はこちらから→キング・オーガストさん「日本の学校をずっと続けたい」

 

 

娘の夢とグローバルスキル


— 記事では、娘さんが将来の夢を語っていました。それについてはご存じでしたか?

「彼女が『客室乗務員になりたい』と思っていることを、私は初めて知りました(笑)。彼女には単なる語学力だけでなく、文化の違いを理解し、橋渡しできる力を身につけてほしいと思っています。私は、米軍で広報の仕事をしていますが、通訳者を管理する立場にあります。言葉だけではなく文化的文脈を理解する力こそが、本当の意味での『通訳スキル』だと感じています。娘はその力を自然に身につけていて、14歳にして日米の文化的ニュアンスを瞬時に切り替えられるのは、本当に素晴らしい才能だと思います」

 

家族の背景と日本での生活


— 思春期の頃は親の知らない子どもの心情がありますね。日本での暮らしはどのように始まったのですか?

「私たちはアメリカの空軍出身で、今は海軍の文民職員として日本に住んでいます。制服を着ることはありませんが、現地でアメリカの軍関係の仕事に携わりながら、日本という文化の中で生活できることに感謝しています。子どもたちにとっても、アメリカ人でありながら日本で育つというのは、他では得られない貴重な体験だと思います」

 

— 日本に来られてから、ご家族の価値観に変化などがありましたか。

「以前はアメリカで羊や鶏を飼っていて、自給自足のような生活をしていました。でも、日本の『集団の調和』や『互いを尊重する』という価値観に共感し、娘が幼稚園に入るのを機に、日本への移住を決めました。私自身、かつて青森県の三沢基地で勤務していた経験があり、日本の文化に深く魅了されていたんです。アメリカ社会の個人主義や不寛容さに対して、先に述べた日本の公共意識や秩序正しい生活は、私たち家族にとってとても心地よいものでした」

 

幼少期の教育と言語の習得


— 日本のことを高く評価していただきありがとうございます。これまでの娘さんの言語習得について、どのように見ていらっしゃいますか?

「娘の記事にもありますが、彼女が4歳のときに日本に来て、幼稚園に入園しました。最初は英語しか話せなかったのですが、先生方が本当に丁寧に接してくださって、すぐに日本語にも慣れていきました。その後、私立の小学校に進学し、4年生まで通いました。学校生活をとても楽しんでいて、毎日が新しい発見の連続だったようです。私たち家族にとって、日本での生活は本当に貴重な経験になっています。

幼稚園の頃のオーガストさん

そして、日本語の環境にどっぷり浸かることで、自然と年齢相応の日本語を身につけていきました。私たち親は日本語が得意ではないので、娘が通訳や学校との連絡役になることも多く、時には負担をかけているのではと思うこともあります。でも、彼女がこの年齢で日英両方を自在に操れるようになったのは、本当に素晴らしいことだと思っています」

 

グアムへの移住と教育


—グアムに行き、また日本に戻られたとうかがいました。 一時的に日本を離れることになった経緯を教えてください。

「私たちは夫婦でアメリカ海軍の文民職員として日本に駐在しています。国防総省の規定で、一定期間日本に滞在した後は2年間アメリカに戻る必要があります。これは他の職員にも日本での勤務の機会を与えるためのルールです。正直、少し不便ではありますが、私たちはその期間を前向きに捉えて、グアムへの移住を決めました。グアムには文部科学省が認定した全日制の日本人学校があると聞き、娘が日本の教育を継続できる環境が整っていたからです。

 当時、娘は5年生で、グアムの日本人学校に転校しました。娘も話していますが、学校全体で35~45人ほどの小規模校で、彼女が7年生の時には、生徒はクラスで彼女一人だけというときもありました。でもその分、先生がマンツーマンで丁寧に指導してくださり、横須賀の海軍基地内のアメリカンスクールに通っていた小学4・5年のときの日本語の学習や漢字も無理なく取り戻すことができました」

グアム日本人学校の卒業式