エザート・モハメド・サイドさん   元・カイロ日本人学校渉外担当職員
2025年12月15日
トピックス(その他)

エザート・モハメド・サイドさん 元・カイロ日本人学校渉外担当職員

 

2024年秋、国家または公共に対して顕著な功績を挙げた方に授与される「旭日単光章」を受章されたカイロ日本人学校の元職員エザート・モハメド・サイドさん。カイロ日本人学校で、日本とエジプトとの懸け橋となって長年活躍されたことが日本政府から認められての受章でした。今年の3月、定年退職を迎えられたエザートさんに、カイロ日本人学校での日々などについて語っていただきました。

 


―カイロ日本人学校では、どのようなお仕事をされていたのですか。
 

カイロ大学文学部日本語学科に入学して、「日本人学校で働きたい」と思うようになり、在学中の1983年からカイロ日本人学校でバスの添乗員として勤務していました。1987年に大学を卒業し、学校の正式な職員として採用されました。
 

スクールバスの運行管理やバス停の設置場所、時間の調整などを担当したり、早朝にはスクールバスの添乗も行ったりしましたね。そのほか、学校行事やイベントでの通訳や企画の運営などにも携わっていました。
 

また、学校が契約している地元の会社とのやり取りも。たとえば、校舎の管理や警備関係、清掃やスクールバスのリースなど、それらの管理を担当していましたし、エジプトの各政府機関において、カイロ日本人学校の代表としての仕事も行っていました。
 

校内におけるあらゆる分野で通訳や翻訳を担当したり、校舎の修理やメンテナンス全般を担ったりしていましたね。その他にも、結構、多くの業務に関わらせてもらっていたように思います。

 

ラクダ使いにインタビューした際には、エザートさんが通訳

 

―昨年の秋、旭日単光章を受章されたときは、どのようなお気持ちでしたか?
 

この勲章をいただいたときは、言葉では言い表せないほど感動しました。長年にわたって日本と共に歩み、努力を重ねてきた私の人生が、この瞬間に報われたように感じましたね。日本政府が、私のこれまでの全ての努力と情熱を認め、「旭日単光章」の授与という形で讃えてくださったことは、まるで日本が私の人生そのものを冠で飾ってくれたような気持ちでした。心の底から光栄に思い、これからも「日本と共に歩み続けたい」という思いがさらに強くなりましたね。
 

勲章を授与された後は、エジプトの人々のなかで誇りを感じるとともに、エジプトにいらっしゃるすべての日本人の方々にも喜んでいただけたように思いました。カイロ日本人学校で35年間働いてきた努力は決して無駄ではなかったのですよね。この勲章をいただいたことで、さらに仕事への意欲と活力が増しました。

 

2025年2月、カイロ日本人学校で行われた旭日単光章の伝達式にて 在エジプト大使館の岩井文男大使から叙勲の伝達を受けるエザートさん
当日、児童生徒代表からも記念品と花束、深い感謝の辞が贈られ、教職員や保護者、児童生徒の皆さんから温かい拍手が送られた


―カイロ日本人学校に勤務されるようになったきっかけを教えてください。
 

私が日本人学校で働くことを決めた理由はいくつかあります。まず、私は日本の人々を愛し、尊敬しています。
 

日本はエジプトと同じように、長い歴史と豊かな文明を持つ国です。日本はエジプトと同様に、しっかりとした伝統とルーツを持つ国だと思います。そのため、日本の社会により深く関わり、日本の歴史や文化を知りたいと思ってカイロ大学文学部日本語学科に入学したのですが、カイロ日本人学校はその夢を実現するのに最もふさわしい場所だと感じていました。

 

―お仕事をするうえで、大切にされていた信念があったら、教えてください。
 

カイロ日本人学校に勤務している間、決められた時間を守ることを常に心がけてきました。また、任された仕事は全て成し遂げてきたと自負しています。
 

ただ、日本とエジプトの文化の違い、エジプト的な考え方と日本的な考え方の違いには、難しさを感じることが多かったです。そのようなときは、両方の文化を尊重する方法で物事を進めるように心がけて、今思えば、多くの危機がありましたが、無事に乗り越えることができました。
 

最大の危機は、2011年のエジプト革命でしょうか。その時、学校は閉鎖され、エジプト在住の日本人は皆さん、日本に帰国しました。治安が悪化して、学校が略奪されたり破壊されたりしやしないかと危惧されましたが、エジプトのナショナルセキュリティセンターの助けを借りて防ぐことができました。

 

―お仕事をされていて、嬉しくなるのはどのようなときでしたか。
 

カイロ日本人学校の子どもたちがエジプトでの生活や文化などを楽しんでいると感じたときは嬉しかったですね。特に「エジプトの文化を子どもたちの心に近づけることができた」と思えた時に、最も喜びを感じました。
 

例えば、毎年ラマダーン月、つまりエジプト人やムスリムにとっての断食の月には、子どもたちに断食の仕方、断食の理由、その効果について説明します。子どもたちが私の話をうれしそうに、楽しそうに聞いてくれて、実際に「断食を体験してみたい」という気持ちになっているのを感じると、とても幸せな気持ちになりました。
 

ラマダン朝会でエザートさんが児童生徒にラマダンの説明
さばくハイキング(サッカラ)
ピラミッドマラソン

 

―お仕事で、課題に感じていたことがあったら、教えてください。
 

仕事で直面する課題は非常に多かったのですが、まずは、日本人とエジプト人の考え方が違う点でしょうか。その調整にはとても疲れることがありました。
 

日本人は時間を正確に守りますが、エジプト人の中には約束や時間を守らない人もいます。もちろん、エジプト人も与えられた仕事はきちんとこなしますが、そこに多くの時間をかける人もいます。
 

また、交通渋滞のためにスクールバスの到着が遅れたり、子どもたちが自宅に帰るのが遅くなったりすることもよくありました。さらに、エジプトでは教材が十分に手に入らないため、日本から取り寄せなければならない場合もありましたね。

 

―エザートさんが目指すエジプトと日本との国際交流とは?
 

エジプトと日本は明治時代以来の友好国です。日本が江戸時代だった1863年には、かつての侍の戦士たちがエジプトを訪問して、スフィンクスとピラミッドを見学したという記録が残っています。
 

日本とエジプトの協力の歴史は長いです。現在も、国際協力機構(JICA)はエジプト政府と共に様々な分野で協力を進めています。最近では大エジプト博物館の建設を実施し、2025年11月1日の開館式典には、三笠宮彬子女王殿下が国賓として出席されました。
 

また、JICAはエジプト日本教育式学校(EJS)を設立し、エジプトにおける日本式教育の普及にも取り組んでいます。
 

私は、日本政府が引き続きエジプトの日本人学校を支援し、発展させて、エジプトの子どもたちの考え力が日本の子どもたちのレベルにまで達することを願っています。

 

エジプト日本教育式学校(EJS)とのサイエンス交流

 

―モハメドさんの夢を教えてください。
 

私は今年の3月にカイロ日本人学校を退職しました。時間が経つにつれて日本語を失ったり、35年間にわたる教育の経験や知識を忘れたりしないことを願っています。カイロ日本人学校と共に歩んだ長年の経験を行かせることを見つけて、これからも、エジプトと日本の懸け橋であり続けたいと思っています。

 エザート・モハメド・サイドさん