日本放送協会賞

ピースサインが教えてくれた文化のちがい

カナダ在住

小6 曽根 隼人

      

 写真撮影の際、人々はどのようなポーズをとるだろうか。僕は自然とピースサインをしてしまう。日本で暮らしていた経験がある僕は、「写真を撮る」イコール「ピースサインをする」という一連の動作が体にしみついており、無意識に指が動いてしまうほどである。
 

一時帰国の際に参加した小学校の遠足でも、集合写真では全員が当たり前のようにピースサインをしていた。できあがった写真には、笑顔がより明るく映っており、写真全体が楽しい雰囲気に包まれているように感じた。僕もその写真をとても気に入っていた。
 

 その後、カナダに戻ってからも、僕は何気なくピースサインをしながら写真に写っていた。ところがある日、友人から「なぜ隼人はいつもピースサインをするの?」とたずねられた。僕はとっさに「日本では写真を撮るときによくやるポーズなんだ」と答えたが、その質問がずっと心に残り、後になって深く考え込んでしまった。
 

 思い返してみると、確かにカナダの友人達は、写真を撮るときに特別なポーズをとることは少ない。彼らは自然な笑顔を見せ、歯を出して明るく笑い、仲間と写るときには肩を組んだり、寄りそったりして、親しみや楽しさを表現している。その自然さと一体感に、僕は以前から心地よさを感じていた。
 

 その日の出来事を家に帰って母に話すと、母からも興味深い話を聞くことができた。かつて母がギリシャを旅行した際、現地の人に写真撮影をお願いしてピースサインをしたところ、相手はみ間にしわを寄せ、明らかに不快そうな顔をしたという。また、ケーキ屋でケーキを二つ買う際に、人差し指と中指で「二」というジェスチャーをしたところ、にこにこしていた店員が突然無表情になったという経験をしたそうだ。調べてみると、そのジェスチャーには「くたばれ」というぶじょく的な意味があり、かつて犯罪者に物を投げつける際に使われていた歴史があるという。
 

 この話から僕は、国や文化が違えば、同じジェスチャーでも全く異なる意味を持つことがあると学んだ。そして、自分の国では普通のことが、他の国では失礼に当たることもあるため、誤解を避けるためにも、異なる文化や習慣について事前に知っておく必要があると感じた。
 

 僕はそれまで、「ピースサイン」イコール「平和の象徴・勝利のしるし」といった意味が世界中で共通だと思い込んでいた。しかし、その考えは一面的で、視野がせまかったと気付かされた。
 

 一方で、自分の国の文化を紹介することが交流のきっかけになる場合もある。日本ではピースサインは写真撮影時の定番ポーズであり、楽しさや親しみを表す手段として親しまれている。若者の間では「小顔効果」があるとも言われ、ソーシャルメディアなどでもよく使われている。これを外国の友人に紹介することは、自分の文化への理解を深め、視野を広げることにもつながる。
 

 僕が暮らしているカナダは多民族国家で、様々な文化や価値観を持つ人々が共に生活している。その中で、異なるふるまいや考え方に触れることはとても興味深く、学びが多い。しかし、「郷に入っては郷に従え」ということわざがあるように、新しい環境に入ったときには、その土地のマナーに従う姿勢も大切だ。例えば、カナダでナイフとフォークを用意しているのに、「自分の国では手づかみが普通だから」と、手で食べ始める人がいたら、多くののカナダ人はとまどうだろう。このように相手の文化を尊重する心はとても大切だ。
 

 実は、僕に「なぜピースサインをするのか」と聞いた友人が、最近そのポーズを真似してくれるようになった。僕はそのことが嬉しかった。自分にとって当たり前だった文化が、相手にとって新鮮で興味を持ってもらえることがあるんだと気付いたからだ。同時に、もし何も聞かずに「変だ」と思われていたら、誤解されたままだったかもしれない。だからこそ違いを知り、伝え合うことが大切だと思った。
 

 僕はこれまで、「自分の常識」イコール「世界の常識」と思っていた部分があったが、それはとてもせまい見方だった。国際社会で生きるということは、相手と違って当たり前という前提で人と接することだ。そして、その違いに出会ったときにはすぐに否定せず、なぜそうするのだろう、と興味を持つ姿勢が大切だと思う。写真一枚の中にも、国や文化によっていろんな意味が込められていることを知った今、僕はこれからも「伝える」「学ぶ」「尊重する」という三つの姿勢を大切にしたい。そして、自分の文化に誇りを持ちながらも、他者との違いを受け入れられる広い心を持った人間になりたい。