海外子女教育振興財団会長賞

友達はたから物

オースチン補習授業校(アメリカ)

小4 松丸 莉々

 

 私は五才の時に、東京からアメリカに来た。英語は話せなかったけれど、学校の最初の日、おとなりの席の子が私の方を見てニコッと笑いかけてくれた。笑顔のサクセンは私の初めての友達。クラスに日本人は一人もいなかった。英語でみんなが話していることが全くわからなくて、何も話さず一日中だまっていたら、「ドゥーユースピークイングリッシュ?」とクラスメイトから聞かれたりした。話しかけられても分からなければ、「アイドンノー」といつも答えた。休み時間は、一人で絵を描いたり、日本のおばあちゃんに手紙を書いたり、ブランコに乗ったり。「何であの子は一言もしゃべらないんだろう?」とみんなふしぎに思っていたみたい。
 

 学校は好きだし、行きたくないと朝泣いたことも一度もない。先生はいつもやさしいし、意地悪な友達もいない。でも、私は家では日本語で話しているし、みんなとは何かちがうなぁと思うこともあった。
 

 ある日、お弁当にご飯をもって行くと、ある男の子が「何それ?ドッグフードみたい!」と言った。「こんなに美味しいのに、この子はお米を食べたことがないからこの美味しさを知らないんだなぁ。」と私は思った。でも、それからしばらくはお米を持って行きたくなくて、「お弁当にご飯は入れないで。私も、みんなみたいにサンドイッチがいい。」とお母さんにたのんだ。
 

 キンダーガーデンも終わりに近づくころには、友達もふえて、休み時間はみんなと鬼ごっこや鉄棒で遊ぶようになった。
 

 でも英語はまだパーフェクトじゃない。「あなたこのゲームのルール分かる?(英語分からないから)ルールが分からないと遊べないかも。」とある子に言われた。すると「もし分からなければ私を真似したらいいよ。」と、私に言ってくれた友達がいて、それを聞いてみんなも「それは良いアイデア!じゃ、一緒に遊ぼう。」と言った。
 

 「真似したらいいよ」とその時言ってくれた友達は、そこから四年間ずっと私と同じクラス、今では大親友のオードリー。
 

 覚えているのは、好きなおもちゃや絵本を皆の前で発表する「Show and Tell」。最初は何も話せなくて、毎週発表の日には、お母さんにカタカナで書いてもらったメモを持って行って、みんなの前で一生けんめい読んだ。言葉につまってしまうと、先生も手伝ってくれた。
 

 学校では日本語で話さず英語だけ話すようになっていく私に、日本に住むおばあちゃんが「日本語の美しさと日本のきせつの行事も忘れないようにね。」といつもきれいなカードを送ってくれた。日本語のきれいな文字のお手紙も入っている。桜の花やおひな様のきれいなカードを発表の時に見せたら、みんな、わぁっと感動していた。
 

 キンダーガーデン最後のShow and Tellの日。私は初めてお母さんのメモを見ず、自分の言葉で発表した。クラスで一番元気な男の子、リードがおどろいた顔をして急に立ち上がって「すごい!初めて何も見ないで言えた!!」と大よろこびして飛びはねながら大きな拍手をしてくれた。他の生徒も次々と立ち上がって拍手してくれた。先生のミス・マイカスコルも、「本当によくがんばったね、Ⅰ am so proud of you!!!」とたくさんほめてくれた。そして、ミス・マイカスコルは「お友達のことを自分のことのようによろこべるこのクラスもとってもすてきですよ。」とみんなのこともほめた。私は、うれしくて家に帰ってすぐにお母さんに話した。
 

 私はもうすぐ十才、アメリカに来て丸四年。ジムナスティック、サッカー、水泳、バレエ、ジャズダンス、ギター、ミュージカル、ガールスカウト、何でもやってみている。昔の私はとてもはずかしがり屋だったけれど、今では大きなステージでダンスをするのも好き。ちょっと勇気を出せば何だって出来る気がする。最近は仲良し八人組で毎日休み時間にジムナスティックごっこをする。その中には、私の初めての友達サクセンと大親友のオードリーもいる。ランチの時間、私は友達と話して笑いころげている。
 

 ここまで一人で何でも出来るようになったわけじゃない。困った時には、先生、友達、家族がたくさん助けてくれた。アメリカのフレンドリーで笑顔で助けてくれる文化が私は好き。これからポツンと一人でいる子がいたら、ニコッと笑いかけて話しかけてみよう。困っている子がいたら、やさしく声をかけて助けてあげよう。人のすてきなところは「すごいね!」とたくさんほめてあげよう。私がみんなからたくさんそうしてもらってきたように。