このような生活の中で、ご両親から「勉強しなさい」という言葉を聞いたことがなく、何かをpushされたこともなく、今から思うと自主性に任せられていて、好きなことをさせてもらっていたなぁと懐古します。同時に、補習校に通うということは、日本的な厳しさを備えながらも、アメリカ的な大らかさも持つ「ハイブリッド感」はとてもよかったとも振り返りました。日本に帰国したときに強く実感したそうです。
 また、太紀さんの在米生活での楽しみは、日曜日に家族で出かける小旅行だったそうです。「行先は?」と尋ねると、主に博物館や美術館、しかも、それらはスミソニアンだったり、ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)だったり、あるいはケネディー宇宙センターだったりなど、一流どころばかりです。太紀さんの宇宙への好奇心はますます高まり、航空宇宙学を専攻することに迷いはありませんでした。当時は、東京大学かアラバマ州の大学にしか学部がなく、両大学に合格したときには、学費負担を考えて東京大学を選ばれたそうです。 ここまで聞くと、太紀さんのご両親にもお話をうかがいたくなりました。
 お父さまに当時のことをお話いただく機会を作っていただき、当時の子育てについてお聞きしました。

太紀さんのお父さま

 開口一番におっしゃったこと、お父さまの心の中にあったのは、ウィンザーの現地校に入って間もないころ、泣いて帰ってきた太紀さんのことでした。外国への駐在は、単身で行くと覚悟を決めていたお父さまに、「家族で行くのが当たり前でしょう」と言ってくれた奥様(太紀さんのお母さま)に勇気づけられたものの、太紀さんの涙には心が痛くなりました。
 ただ、太紀さんが泣いて帰ってきたのは、2~3日くらいだったとのこと。言葉が通じない世界で心細かったのだろうと思いながらも、子どもは親が思っているより逞しく、すぐに笑顔で通学したことに安堵しました。太紀さんの明るい性格もあるのでしょう。
 しかし、お父さまは、その時から太紀さんが楽しんで暮らせること、学べることを目指し、日曜の小旅行には、「世界の超一流を見せてあげる」と決心。子どもの興味をいち早くつかみ、それが航空関連ということがわかると大いにサポートしました。
 しかし、それは「子どものため」という大義名分で、「実は、僕がとても楽しんでいたんですよ」と太紀さんと同じ笑顔でお話しくださいました。「行ったところは、造幣局だったり、国会議事堂だったり……僕自身が行きたいところも多かったですよ」と。そして、「ミュージカルも観せましたが、僕は寝ちゃいました」と、呵々大笑。
 太紀さんの妹は自然科学や環境に興味があり、彼女のために「アメリカのダイナミックな景観を誇る国立公園にももちろん連れていきましたよ」と、優しい父親の笑顔に戻りました。
 自主性を育てることについて尋ねると、「自主性という名の放任ですよ」と、またまた明るい笑顔。それは謙遜ですよね、と食い下がってみると、「確かに、とても考えながら育児をしていたと思います」と、ニコリとされました。
 「我が子を親の付属ではなく、一人の人間として尊重し、今の生活が子どもの将来につながることを信じ、興味や個性を伸ばすことを自然に考えていました」と、笑顔の中に強い信念を表されました。ご自身を振り返って、「人は興味のないものは学ばないですよ」とおっしゃったことは、私自身も納得と共感しかありませんでした。
 お父さまのお話では、海外駐在前には、海外子女教育振興財団のような支援団体で教育相談を受けられ、日本に帰国されてからしばらくの期間、太紀さんたちは民間の英語保持教室に通われたそうです。太紀さんご自身には、一時英語力が落ちたという実感がありましたが、大学に入って必要に迫られるとブラッシュアップされ、起業した今は、完全なるバイカルチャー、バイリテラシーで、日英両語を不自由なくビジネスツールにしています。

小学生の頃の太紀さんとお母さま 

 太紀さんは現在1歳のお子さんがいます。太紀さんに、お子さんにはどんなふうに育ってほしいですかと尋ねると、やはり日本に居ながらでも「バイリンガルとして育ってほしい」という願いがあるとのことです。奥様も帰国子女なので、いつかは家族で海外に住むことも考えているとのこと。ご自身の成育歴を振り返りながら、次世代のリーダーを育てられることでしょう。
 海外に駐在するということは、大変貴重な機会であり、同時に子どもの教育にとっても、またとない好機です。今後、生成AIが席捲する世の中では、国を超えるという意味だけのグローバルではなく、産業や業種を超えて活躍できるよう、個人の持つ特性と素養を磨き上げる教育が求められることは間違いありません。学校だけが教育の場ではなく、豊かな人格を形成するには、家庭が最も大切な教育の場であることを太紀さんとお父さまの笑顔が示唆していました。
 

 

岩井英津子(いわいえつこ)
国際教育アドバイザー。アメリカロサンゼルス在住40余年。商社の女性駐在員として渡米。退社後、永住権取得。補習校の教員として小学校中学校の指導歴20年、学校管理職10年および専務理事として補習校経営10年、在外子女教育に従事。2024年夏よりJOESの国際広報を担当。