アメリカ・ロサンゼルスの公立高校で数学教師をしている久良木麻椰さん。日系3世の父と日本人の母の元にアメリカで生まれ、現地校とあさひ学園(ロサンゼルス補習授業校)での学習を両立し、UCLAに進学、同大学院を卒業した。現在は公立高校に勤める傍ら、あさひ学園の非常勤講師と、通訳の仕事も行う。日米のバックグラウンドを持ちながら育ってきた歩みや、現在の生活について、話を聞いた。
(取材・執筆:Makiko)
補習授業校で友達と遊ぶうちに、伸びた日本語
—麻椰さんは日英のバイリンガルですが、どのような言語環境で育ったのですか?
父が日系3世で母が日本育ちの日本人なので、家では幼い時から父とは英語、母とは日本語でした。第一言語は英語です。幼少期は日本語を話す相手が母しかいなかったので英語の方が優位でしたが、あさひ学園に入ってから日本語で話せる友達ができ、日本語の割合が増えていきました。
小学生の間は日本のテレビが好きでよく見ていましたね。バラエティや歌番組が好きで、「正座して安室ちゃんに見入っていた」と母から聞きました(笑)。
読書は母が読み聞かせをしてくれていたおかげか、今も日本語の本が好きで、ミステリーや刑事物を電子書籍で読んでいます。
—平日は現地校、土曜日はあさひ学園に通われていたのですよね。両立はいかがでしたか?
小さい頃から平日は現地校、土曜日はあさひ、という生活が定着していたので、両立というよりはそれが自分にとっての日常でした。とにかく「友達に会えるのが嬉しい」という土曜日でしたね。宿題はついでにやるという気持ちで(笑)。
小さい頃は金曜日の夜のお泊まり会に参加できないことを残念に思ったこともありましたが、そのうちに現地校の友達も「マヤは土曜日は学校だよね」と理解してくれて、皆で遊ぶ日は日曜日や平日の夕方になっていきました。
現在の生活も英語に偏りがちですが、あさひ時代の友達に会う時は積極的に日本語で話しています。あさひで出会った仲間は本当に仲が良くて、今でもよく会っていますね。
UCLAからハイスクール数学教師へ、時々通訳も
—大学はUCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)に進まれたのですね。
大学に入る時点では日本への就職も視野に入れていたので、日本に行きやすいロサンゼルスの大学がいいかなと探しました。得意な理数系はAP(上級科目)を取り、国語や社会は一般の授業を取ることで良い成績を残すようにしました。入学の選考では部活や課外活動も評価されるので、5歳から高校を卒業するまで続けていたフラダンスや、高校でのマーチングバンド、あさひ学園に通っていたことなど、色々と経験してきたことが良かったのかもしれません。
—UCLA大学院卒業後、公立高校の数学教師になられましたが、どのように進路を選びましたか?
小さい頃から軽い気持ちで先生になりたいとは思っていましたが、実際にはそんなに高尚な動機があったというよりは、まずは免許を取っておいて、就職も考えようかと思っていました。もともと日本のテレビや音楽がとても好きだったので、日本のエンタメ業界に興味があったんです。L’Arc~en~Cielとか、オレンジレンジとかを聴いて育ってきたので(笑)。ただ、就職活動の頃にコロナが流行し、就職よりまずは教員になることにしました。
—現在は教師の仕事の傍ら、補習授業校の代行教員や、通訳もされているそうですね。
大学時代に日本のメディアでインターンをしていたので、今もそこからお声をかけてもらい、通訳のお手伝いをしています。日本から訪米してきたアーティストや企業の方へのインタビューやミーティングでの通訳です。
—三足の草鞋ですが、タイムマネジメントは大変ですか?
平日は8時半始業で、3時半に終業します。4時には帰りますね。授業の準備は全部学校で済ませるようにしています。日本の先生方と比べると、就業時間は短いでしょうね。退勤後はご飯を食べに行ったり、ジムに行ったり、散歩したり。週末は補習校や通訳の仕事が入ることがあります。
高校時代は現地校の勉強、マーチングバンド、あさひ学園、ボランティアとたくさんのことを両立していたので、そこでタイムマネジメントを学んだように思います。大学時代も数学の勉強はかなり大変でしたが、高校時代の経験からスケジュールを自分で組み立てられたので、大学院まで進むことができたのだと思います。
日米の区別はつけながら、いつも両国とともに
—日系4世ということで、アイデンティティで悩むことはありましたか?
私は日本人でもあり、アメリカ人でもあります。小さい頃は、どちらでも「ない」と感じることもありました。でも、周りにも同じようなバックグラウンドを持つ人がたくさんいる中で育ってきたので、結局は両方だよね、どちらでも「ある」んだよね、と、大人になった友人たちと話しています。日本で電車に乗るときにマナーを把握していない「アメリカ人である自分」を発見し、アメリカで周囲の些細な仕草が気になると、「日本人である自分」を発見するといった感じです。
無理に馴染もうとしたり、同じルールを当てはめようとしたりせず、「日本は日本」で「アメリカはアメリカ」という区別をつけられると、気持ちの整理がつきやすいかと思います。私の場合はその切り分けができたのは高校生くらいの時。自分の立ち位置や気持ちの整理をすることは、時間がかかるものだと思います。その過程で、自分と似た環境の友人に出会えるのが理想なのではないでしょうか。
—自身の軸としていることは?
大学時代に寮に入り日本語に全く触れなくなった時に、考え事を英語でし始めた自分に気がついて、それからは意識的に日本語に触れるようにしています。現地校の教師の仕事だけだと日本語に全然触れなくなってしまうので、通訳や補習授業校教員の仕事で触れられるようにしています。あさひ時代の友達ともあえて日本語で話すようにもしていますね。せっかく学んだものなので、大切にしたいです。音楽を聴くことも、欠かせませんね。
—数学を教える仕事と音楽に関わる仕事。どちらも、言語や文化を超えるものだというのが面白いと感じました。
数学は答えが1つしかないのが好きで、得意なんです。数学も、趣味である音楽も、世界共通でわかり合えるものです。
日本とアメリカでは分数を読む順序が違いますよね。捉え方の違いなのだと思います。四捨五入は漢字表記があることで日本語だと理解しやすいなど、そんな違いを見つけると面白いと感じます。日本の先生が白板で基礎を教える形の算数がわかりやすいと思いながら育ってきたので、現地校では白板を使わない先生もいますが、私は白板で教える方法が気に入っています。
音楽を聴くときは、英語でも日本語でも歌詞を楽しめる喜びを感じます。
バイリンガルであるデメリットは、聞きたくない会話も聞けてしまうということくらいかな? (笑)
どちらの言語も文化も、学んでこられたことをありがたく大切に思っています。