2018年から2年半をドイツ・デュッセルドルフで、2023年から2025年をアメリカ・オハイオ州で過ごした諸石ファミリー。夫婦ともに剣道高段者で、ドイツでもアメリカでも剣道クラブに所属し、貢献してきた。海外2カ国駐在を経験した大揮さんが感じたこと、元小学校教員の智里さんが海外の教育に関して気がついたことなどについて、話を聞いた。
(取材・執筆 Makiko)
剣道クラブから海外生活を立ち上げる
—大揮さんと智里さんはお二人とも剣道の高段者で、ドイツとアメリカでも剣道クラブで指導されていたと聞きました。
大揮:「海外に行くことになったらまず剣道クラブを探す」というのが我が家の基盤作りの術です(笑)。
智里:初めての海外生活となったドイツで長男と長女を出産しましたが、剣道クラブを始めとする日本人コミュニティに本当に助けられました。その経験があったので、アメリカ行きが決まったときにも、きっと私たちが飛び込んでいけるコミュニティがあるだろうと信じて行けました。
大揮:「勝って驕らず、負けて腐らず」という剣道の言葉を大切にしています。海外で予期しないことが起こってもなるべくポジティブにいられるのは、剣道のこういった精神があるからかもしれません。
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元教員として、もどかしさと、発見と
—智里さんは幼稚園、小・中学校、高校の教員免許をお持ちで、赴任帯同前は小学校の教員をされていたのですね。
智里:教員という仕事に就いた後はきっと海外に行けなくなるだろうと覚悟をして、学生の頃にはたくさん海外を旅行していました。それが、小学校に4年勤務したところでドイツに同行できることになりました。その時は休職して行きましたが、帰国後2年でアメリカ行きが決まったときには、再び同行するために退職を選びました。職をなくす不安はありましたが、それよりも家族の在り方や、皆で英語を学ぶいいきっかけになるという面を重視しました。ドイツに住んだことで、「家族第一」という価値観を学んだからかもしれません。
—補習授業校の教員を検討されたとのこと。
智里:アメリカに来て、日本の教育を求めている子どもたちがたくさんいることを知りました。ただ、夫の会社は配偶者が海外勤務に扶養家族として同行している場合は就業が禁止なので、補習授業校の教員はできませんでした。教えたいという思いはあったので、これについてはもどかしい、切ない思いはあります。
—アメリカでは長男の大弦くんは小学校に、長女の吏津ちゃんはプリスクールに通いましたが、アメリカの教育について発見はありましたか?
智里:教室がカラフルだし、座るところが自由で、どんな姿勢で本を読んでもいいということに驚きましたが、いいなと思いました。アメリカ人の寛大さはこういうところから来ているのか、と。
大揮:大弦は友達との交流を自ら図って遊ぶ子なのですが、アメリカに来てからは、英語が話せないために本人らしいキャラクターを発揮しにくいようには見えました。でも、喋れなくても誰かが遊んでいる側に行き、子どもなりに努力しているのですよね。ある日、珍しく「みんなと一緒に遊んでもらうにはなんて言ったらいいのかな?」と僕に聞いてきました。その時に学校の先生に連絡をすると、細かくコミュニケーションを取ってもらえました。アメリカ生活で色んなシーンを経験するうちに、だんだんと彼の顔つきがしっかりしていくのがわかりました。
新しさを取り入れてきた、3カ国での生活
—ご結婚されてからほぼ2年おきにドイツ、日本、アメリカと引っ越されていますが、今後はどのようにイメージしていますか?
大揮: 今後も海外行きのチャンスがあれば手を挙げると思います。ただ、ドイツでもアメリカでも、最初は生活の立ち上げには苦労しました。例えば、日本で当たり前に手に入る薄切り肉や生卵、生食用の海鮮食品など日本食に必要な食材がなかなか見つからなくて困りました。でも、そんな時に、日本人コミュニティの方々にそういった肉の買い方や注文方法、売っているお店などを教えてもらいました。そうして助けてもらった経験からは、まるで昔の「ムラ」みたいな人とのつながりを感じられて、すごく面白かったですね(笑)。アメリカでは残業が日本ほど多くないので、平日でも料理をしたり家族と一緒に夕飯を食べたりと、家族との時間を多く過ごせたのが本当に良かったです。
智里:日本より海外にいた方が夫が家族に時間を使えるので、それもあって、海外で出産や育児をするにあたり不安はありませんでした。こちらでの友達家族とも、実家に頼ることができない境遇が同じということもあり、濃い関係性で助け合うことができました。日本にいる時よりも人とのつながりに温かみを感じられます。夫は海外の方がイキイキしていますし、私は新しいことを自分の中に取り入れたいという思いが強いので、海外生活に向いているのかもしれません。
—お子さん達は小さいながらに3カ国での暮らしを体験しました。
智里: 長男も長女も、日本でも比較的人前に出て自己主張するタイプでした。アメリカに来て感じたのは、自分の考えをはっきり伝えることが日常の一部として根付いていて、それが特別に目立つことではないという点です。だからこそ、アメリカでは、彼らも自分の色をしっかり出せて、意見も伝えられるようになり、たくましく育っているなと感じています。
大揮:僕は入社してから初めて海外に目を向けたので、子ども達にはこれを機にもっと早いうちから世界を見て飛び出していって欲しいですね。
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