海外へのチャンスに手を挙げて、サバイブしてきた10数年  

インドネシアの料理ソトアヤムはターメリックや様々なハーブ、何種類もの生姜を使った鶏のスープ。奈美さんは家での定番料理にするほど好きになったそう
インドネシアの料理ソトアヤムはターメリックや様々なハーブ、何種類もの生姜を使った鶏のスープ。奈美さんは家での定番料理にするほど好きになったそう   

 

—2008年に初めてシンガポールに赴任されるまで、海外経験などはありましたか?  

 

秀夫:いえ、夫婦二人とも旅行以外は特に留学経験などもありませんでした。仕事の内容上、海外に目を向けたいというのは思っていたので、たまたまチャンスが巡ってきた時に英語も何もできないままでしたが、とにかく手を上げました。 

 

奈美:私は当時、毎日終電で帰るようなものすごく忙しい働き方をしていたんです。海外ともやり取りが多いような仕事で、キャリアを中断するのは不安でした。でも、このまま仕事を続けても体が持ちそうにないとも感じていましたので、「よし、この船に乗ってみようか」と仕事を辞めて、同行しました。 

 

—シンガポールに4年駐在されたのち、そのままジャカルタへ異動されたので、日本に戻るまで11年以上になったのですね。どのような心境で過ごしていましたか?  

 

奈美:働き詰めの状態からポンと海外に出て、初めての海外と専業主婦生活に戸惑いました。シンガポールに移ってすぐに妊娠出産となり、4年ほど「キャリアが途絶えたままでいいのか」「私だけ先に日本に帰った方がいいのか」などずっと悶々としていました。今思えば、そのキャリアに拘らなくても、目の前のことを大切にして、他の視点から自分の状況を見ることができたはずなんです。でもその切り替えがずっとできませんでした。  

 

秀夫:奈美が保有していた資格更新のために年に1度日本で講座を受けるために帰国させるなど、なるべくサポートはしていましたが、彼女が納得できない状況は続いていましたね。  

 

奈美:奏大が4歳の時に父が他界したのですが、私自身弟がいてくれたことでとても助けられ、そのありがたさを実感しました。その時に、奏大にも兄弟がいたらいいな、今は育児に専念してここでできることを頑張ろう!と、気持ちが切り替わりました。ジャカルタでの生活は、日本やシンガポールではなかったようなトラブルが度々起きたりと、毎日を無事に過ごすことで精一杯。考えすぎずに済んで良かったように思います。  

 

秀夫:シンガポールで4年が過ぎた頃、僕は「まだ海外で仕事を続けたい」と思ったんです。それを上司に相談し、ジャカルタで会社を立ち上げることにして、下心で駐在を伸ばしたようなところがあります(笑)。ただ、会社が立ち上がるまでにビザ発給が間に合わず、ビザが切れるタイミングでシンガポールとインドネシアを何度も行き来しました。結局会社が完全に立ち上がるまでの3年くらいはサバイバル経験です(笑)。  

 

奈美:その間ずっと一緒に2カ国を行ったり来たり。立ち上げの時に家族が帯同するべきではないのかも、というのはその時にわかりました(笑)。ただ、夫は場数を踏んだせいか、そんな状況でも気分のアップダウンがなくていつも安定していたので、私たち家族もあまり不安を感じずに済みました。  

 

秀夫:苦労も多くありましたが、新しい国で会社の立ち上げを経験できたことは財産です。   

左:奈美さんと友人Lelyさんとは今でも英語とインドネシア語でSNSを通じて連絡を取り合うそう 右:シンガポールの保護猫シェルターでボランティアをしていた奈美さん。インドネシアではローカルの大学で日本語教師のボランティア活動も
左:奈美さんと友人Lelyさんとは今でも英語とインドネシア語でSNSを通じて連絡を取り合うそう
右:シンガポールの保護猫シェルターでボランティアをしていた奈美さん。インドネシアではローカルの大学で日本語教師のボランティア活動も  

 

 

—シンガポール4年、インドネシアに7年半、日本で1年強過ごし、再びシンガポールで3年、そして今回マレーシアへ。  

 

奈美:インドネシアは、85パーセント以上がムスリム教徒で、驚くほど英語が通じない。生活環境の危険度も高く、シンガポールの比ではないほどの異文化感があります。そこで何とか言語(インドネシア語)を習得して相手と理解し合う経験をすることで、本当の多様性というのが体感できました。そうなって初めて、「今までの自分の価値観は何だったんだろう?」と。  

 

秀夫:インドネシア人は幸福度が高いんです。日常の中で楽しみを見出すのがうまいし、くよくよしない。自分にも他人にも甘い(笑)。住んでいると価値観が変わります。  

 

奈美:東南アジアの緩さに慣れてくると、今度は日本に戻ることの方が不安になりました。帰国子女が珍しくないような地域に帰国先を決めました。結果、日本でも周りの方々に恵まれて、子どもたちはどちらもよく順応してくれました。  

 

—10年後はどんなイメージですか?  

 

秀夫:ちょうど60歳なので、もう仕事は辞めているかもしれないですね。夫婦二人と犬や猫とかとゆっくりしたいです。子どもたちが海外にいて、そこに遊びに行けたら楽しそうだなとイメージしています。  

 

奈美:私もそうやって動物に囲まれてゆっくり暮らしたいというのもありますが、もう一つは、これまでお世話になった国に恩返しがしたいと思っています。どういう形でなのかはまだ思案中ですが。でも私、始めると全力で取り組んでしまって他に影響が出るので、時期は考えないといけませんね(笑)。  

 

—人生で大切にしていることは?  

 

秀夫:海外で生活ができているそのチャンスを大切にしています。全て経験としてはプラスになる、基本的には何が起きても大丈夫、何とかなると思うこと。家族が海外で楽しんで生活できるようサポートをすることは常に気をつけています。自分自身は趣味のゴルフが息抜きなので、マレーシアでも続けるのを楽しみにしています。  

 

奈美:まずは飛び込んでみること。先入観を持たないこと。感謝の気持ちを忘れないこと。学校選び、人間関係、全てにおいてそれを心がけています。   

左:シンガポールのローカルマーケットにて、1回目の駐在での奏大さんと、9年後になる2回目の駐在での佳帆さん 右:家族一緒に日本で過ごしたのは1年だけ。四季を感じる貴重な時間だったそう
左:シンガポールのローカルマーケットにて、1回目の駐在での奏大さんと、9年後になる2回目の駐在での佳帆さん
右:家族一緒に日本で過ごしたのは1年だけ。四季を感じる貴重な時間だったそう