海外赴任を経験した様々な家族のストーリーをご紹介してきた、月刊「海外子女教育」の人気ページ「家族/クロスカルチャー」。
今回は番外編として、ある派遣教師が見つめた双子姉妹のオーストラリアでの日々をお届けする。
子どもの教育のプロである教師であっても、海外赴任者としては慣れない生活に右往左往。子どもたちの学校のことも、学習内容も、わからないことばかり……。
様々な困難を乗り越えつつ頑張る子どもたちを、「ひたすら応援するしかなかった」と、ひとりの父親・友部が当時を振り返る。(名前は仮名)
(取材・執筆:只木良枝)
行ったら何とかなる
双子の娘である冬子と夏子がまだ幼い頃、友部は南アジアの小さな日本人学校で勤務したことがあった。
まもなく21世紀を迎えるという頃、茨城県つくば市で中学校の教師をしていた友部に、在外校勤務の機会が再び巡ってきた。前回は教諭職だったが、今回は教頭職での勤務。仕事の内容も違い、責任もぐんと重くなるはずだ。赴任先はどこだろう。日本人学校はアジアに多いから、そのうちのどこかになる確率が高いだろうと、友部はぼんやり想像していた。
同じ教師をしている妻の春美は友部の最大の理解者であり、再度の在外校勤務も応援してくれている。しかし問題は、高校生になった双子の娘たちだった。赴任先に日本人学校があったとしてもほとんどが中学校まで。受験勉強を頑張って同じ進学校に合格した娘たちは高校生活を満喫しているようだし、連れていくのは難しそうだ。今回は単身赴任することになるかな……そう覚悟を決めつつあった友部のもとに12月はじめに届いた通知には、オーストラリアの地名と「補習授業校校長」の文字があった。
「オーストラリアといえば、留学先としても人気、ワーキングホリデー制度もあって、若者が勉強するのには最高の環境というイメージがありますよね。そんなところに娘たちを連れていったら、どんなに素晴らしい経験になるだろうと」
単身赴任の覚悟などどこかに吹き飛んだ。家族を前に、「みんな一緒に行けたらいいと思うんだが、どうだろうか」と打ち明けた。
「今思うと、もう相談でも説得でもなく、ひたすら『一緒に行こう』と連呼していたような気がしますね」と友部は苦笑する。
言葉の壁があるからふたりとも苦労はするだろうが、それを乗り越えたら素晴らしい力が身につくはずだ、と、友部は熱心に言葉を重ねた。
父親の勢いに顔を見合わせていた娘の冬子と夏子は、「1週間考えさせてほしい」と言った。そして、期日より早く「行く」の返事を出してくれた。
相談した学校の教師や友人たちは、「絶対に行くべき」「留学したい子はいっぱいいるよ」「家族でオーストラリアに住めるなんて羨ましい」と、口々に勧めてくれたそうだ。学校も留学や国際交流に理解があった。家族での渡航が、現実味を帯びてきた。 ただ、妻の春美には気がかりがあった。
「高校生は義務教育じゃないよ? 現地の学校って、簡単に入れてもらえるの?」
当時まだインターネットはまだあまり普及していなかった。海外の情報は、市販の旅行ガイドブックを頼りにするしかなかった。住まいは?暮らしは?…考え始めると不安要素はどんどん出てきた。
でも「行ったらなんとかなる、みんなで何とかしよう」と言いあって、1998年4月、友部家の4人は旅立った。ミレニアム2000年のシドニーオリンピックは現地で迎えることになるね、と言いながら。