早稲田アカデミー賞

たったひとつは選べない、見た目は小学生、頭脳も小学生、その名も大見咲楽

オタワ補習授業校(カナダ)
小5 大見 咲楽
 

 「五年生のアジア人ってわたしと咲楽だけだよねー。」
ある時、わたしの友達ロリが言った。
「えっ、ロリってアジア人なの?」
わたしはびっくりしてそう聞いた。わたしたちの会話に今までアジアという言葉が出てきたことがなかったし、わたしは何人かなんて気にしたことがなかった。
 

 ロリは続けていった。
「だってわたしのお父さんのお母さんがベトナム人で、お母さんのお母さんが中国人だもん。咲楽は、お母さんが日本人でしょ?」
わたしはまたびっくりした。それまで、ロリにアジア人の血が入っているなんて話したこともなかったし、考えたこともなかった。そしてわたしは頭の中で、
「えっ、じゃお父さんのお母さんがベトナム人でもアジア人なの?そもそもアジア人って何?わたしって何人?」
学校が終わるまで、頭の中でこんな考えがぐるぐる回っていた。
 

 家に帰って、お母さんを見ると、すぐさまかけつけて聞いてみた。
「ねえ、わたしって何人?カナダで生まれたのに、日本人なの?それともブルガリア人なの?それとも一〇〇%カナダ人?アジア人?」
お母さんは笑いながら答えに困っていた。
 

 わたしは、お母さんが日本人で、お父さんがブルガリア人、そしてカナダのケベック州で生まれた。お母さんと日本語、お父さんとはブルガリア語で話して、兄弟とはブルガリア語でケンカして、そして食卓では日本食を食べながら絶対日本語で会話するルールが決められている。学校ではもちろんフランス語。フランス語と言っても、ケベックで話されるケベコワで友達とおしゃべりしまくる。友達で英語を話す子も多いし、とにかくわたしは、生まれた時から四つの言葉に囲まれていた。だから、二歳から行ったデイケアでは全く話さず泣いてばかりで、みんなにすごく心配された。四つの言葉を同時に話せるようになるのは二歳の子供には難しすぎたのだ。でも、二歳半になった時、わたしはとうとう脳みそが整理できて、一気に三つの言葉を話す少しおしゃべりな子になった。五歳の時には相手の顔を見て言語を選んで使うのが当たり前になっていた。


 こんなわけで、お母さんは答えに困りながら、
「だからね…なんだろうね?咲楽は日本人で、ブルガリア人で、カナダ人でケベコワで、アジア人で、欧米人じゃない?」と言った。
わたしは質問によく答えてもらえなくて少しもやもやして、結局何人かわからなかった。


 わたしは、日本に行けば、カナダ人と言われて、ブルガリアに行くと、日本人とカナダ人と言われる。カナダの学校では友達からは日本人と言われることがあるけれど、それはアニメ「ナルト」に出てくるサクラと同じ名前だからで、多分みんな、わたしが何人かなんて気にしていない。名前は、日本では漢字四文字の名前だけど、カナダでフルネームを書く時は、ミドルネームと二つのファミリーネームが入って長くなるから、名前を書く時は線から名前がはみ出してしまう。ブルガリアでは、その名前がさらにキリル文字になって、名前も一つではない。


 わたしの体も、いろんなセクションで分かれている。顔はけっこうお父さん似で、舌は日本食好み。でもカナダのプティンやお父さんのブルガリア料理もたまには美味しい。カナダ生まれだけど体は寒がりで、カナダの冬は肌に合わない。スキーはけっこうやるけど、ほんとは暑い中で水遊びをするのが好き。こんなわたしを何人と一つに決めるのはとても難しい。


 結局わたしは、何人でもない大見咲楽。地球に生まれた人間で、毎日みんなと同じように学校に行くただの小学生。そう思うようにしたら、頭がスッキリした。