海外子女教育振興財団主催の第47回海外子女文芸作品コンクールの審査結果が発表されました。このたび、特別賞受賞作品をご紹介します。 このコンクールは、海外に在住する小・中学生が言語・風習・気候風土・治安など、日本と異なる生活環境の中で感じ、考え、感動したことを日本語で表現する力を育むために、1979年から毎年行われています。
今年の応募作品総数は31,196点(作文=2,057点、詩=2,538点、短歌=6,555点、俳句=20,046点)。日本人学校、補習授業校、私立在外教育施設等の先生方のご指導やご家庭でのサポートをいただき、多くの作品が集まりました。 これらの作品は予備審査を経て9月18日、海外子女教育振興財団(東京都港区)で行われた最終審査会において、文部科学大臣賞をはじめ、海外子女教育振興財団会長賞、後援・協賛者賞、特選、優秀、佳作が決定しました(特選・優秀・佳作・学校賞の審査結果は弊財団の文芸作品コンクールのサイトに掲載しています https://www.joes.or.jp/kojin/bungei )。
海外に暮らすお子さんたちの思いが息づく作品の数々を、どうぞご覧ください。 なお、今年の12月には、作品集『地球に学ぶ 第47回』が刊行される予定です。
文部科学大臣賞 私の名はリーフエンジェル ペンシルベニア州在住
中2 清水 冬和子
夏、木々が生い茂り青々としていた山肌が秋、少しずつ色を変えていく。茶色、黄色、橙色。その鮮やかな葉っぱ達が、時間をかけて地面に落ちる。そして朝の冷気が頬に突き刺さるように感じる頃、ピッツバーグの田舎街は、景色を一変させる。街は落ち葉で埋めつくされ、それはまるで茶色のじゅうたんのようだ。私はそのふかふかとしたじゅうたんの上を、ざくざく音を鳴らして歩くことが、何よりの楽しみだ。
それを父に話したら私に、とっておきのボランティアを探してきてくれた。 その名も「リーフエンジェル」。 落ち葉が積もり困っている方の家に行き、落ち葉かきを引き受けるというものだ。
家族と渡米して三年が経とうとしている。以前からこの地で、何か私にできるボランティアはないだろうかと考えていた。だから、このリーフエンジェルは、落ち葉好きの私にとって最高の作業だと確信した。私は思わず父に 「ありがとう!」 と、リビングの真ん中で叫んだ。それを見ていた母が、 「私も参加しようかしら。」 と、天井を見ながら小さな声でつぶやいた。私達家族は話し合いの結果、リーフエンジェルのボランティア団体に、三人揃って登録をした。
一ケ月後、父の元へメールが届いた。待ちに待ったリーフエンジェルの依頼だ。いよいよ出動する時がやってきたと思い、私のワクワクが一気に高まった。窓の外を見てみた。細く頼りない木から数枚の葉が、ひらひらと回転しながら落ちていた。その落ちた先には、ふかふかの茶色の葉っぱ達が、折り重なるように眠っていた。
ついに作業の日がやってきた。私はこの日のために新調した長靴をはき、道具一式を車につめ依頼者の元へ向かった。到着した私達三人は、ドキドキしながらチャイムを鳴らした。すると中から、歩行器をゆっくり押しながら一人のおばあさんが出迎えてくれた。父がボランティアでやってきたと、簡単に伝えた。しかし、おばあさんは戸惑った様子で動かない。数秒後、小さなメモ用紙に字を書き始め、私達に見せてくれた。自分は耳が全く聞こえないこと。心臓が弱く外に一歩も出られないこと。そのせいで落ち葉を片付けることができないこと。私達の到着をずっと待っていたこと。私は言葉を通じ合わせることの難しさを、この日初めて味わった。私は勇気を出しておばあさんのメモ用紙を借り、力強く大きな字を書いた。 「We are Leaf Angel」 おばあさんの表情が、一気に変わった。頬がゆるみ、私達にとびっきりの笑顔を見せてくれた。父も母もつられて思わず笑顔になった。
私達はあいさつを終え、すぐに作業にとりかかる。おばあさんの家は平屋で、真っ白い壁が特徴的なかわいらしいお家だ。その白いお家を囲むように、無数の落ち葉がひしめき合っている。まるで私達を出迎えているようだ。父と母は背丈ほどのアメリカンレーキの柄を握り、先端の葉を地面に下ろした。腕を出来るだけ前方に伸ばし、体の方に引き寄せる。するとひしめき合って落ちていた葉が、一気に足元へ集合した。二人は少し腰を落としながら、その作業を何度も繰り返す。そしてあっという間に、落ち葉の大きな固まりが誕生した。
ここからが私の出番だ。両ひざを地面につけ左手で大きく袋の口を開ける。そして右手でごそっと、落ち葉をつかみ入れていく。ズボン越しに地面の冷たさが伝わってきて、体がぶるっと震えた。少しずつ落ち葉が、袋の中にたまっていく。しかしある程度たまったら、落ち葉はふわっと持ち上がり袋の下まで下がらない。袋の中は空気ばかりで、入れても入れても押し戻される。私は袋の空気を少しずつ抜きながら、つかんだ落ち葉をすかさずねじこめる。なんだかそれは、私と落ち葉のだまし合いのように感じ、くすっと笑いそうになった。しかし、楽しいと思えたのは束の間だった。同じ作業を繰り返しているうちに、腰がじんわり重くなってきた。肩も少しずつ固まっていくように感じる。そして腕は悲鳴を上げ、ぱんぱんになった。
私達三人は、おしゃべりをすることもなく黙々と作業をした。ゴールが見えない気がして不安になり始めた頃、少しずつ落ち葉が周りから少なくなり、点々と芝生の色が見え始めた。石畳の一部が顔を出す。花壇の境界線も、確認できるようになってきた。そして最後に母が、家近くの道際をきれいに掃いた。私達三人は休むことなく三時間落ち葉と格闘し、作業は無事終了した。落ち葉がぎっしり詰め込まれた袋は、なんと三十個にもなっていた。その茶色の袋達はまるで巨大なミートボールのようだった。
私はスマートフォンで袋を撮影し、家の中で待つおばあさんに見てもらった。おばあさんは、大きく息を吸い目を丸くして、何度もまばたきをした。そしてまた、小さなメモ用紙に字を書き始めた。 「Did you do it?」 私は、コクリとうなずいた。するとおばあさんは、私の手をぎゅっと握りしめてくれた。私はうれしいのに、照れくさくなり思わず笑いながら目線を下にした。そして胸の奥がじわっと熱くなり、今にも泣きそうになった。言葉で思いを伝え合う難しさを、おばあさんの手のぬくもりが一気に消してくれた。父と母は少し離れた場所から、ただにこにこと笑っていた。それはとても温かい時間だった。
荷物をまとめ、私達は車に乗り込む。そして車が走り出した時、車のワイパーに一枚の枯れ葉が挟まっていた。父が速度を上げ始めると、枯れ葉はぱたぱたと動き出し空高く飛んで行った。
私はその夜、ボランティアについて考えた。世界中には数えきれないほどのボランティアが存在する。私がした落ち葉拾いのボランティアは、世界から見たら小さなものかもしれない。しかしそれが、今の私にできる最大の作業だった。私はこれから、少しずつ大人になっていく。興味のあるもの、夢中になれることも変わってくるだろう。時が経ち、いつかこの国を離れる時もやってくる。だがたとえ、どんな国に住みどんな大人になっても私らしく生きてみたい。決して無理はせず、その時自分ができる最大のことに取り組もうと思った。そしてその小さな取り組みの積み重ねが、やがて月日が流れ大きなボランティアにつながるのではないか。そう思えたのはきっと、あの静かで優しいおばあさんに出会えたからだろう。
私の部屋の窓から、小高い山が見える。その山は今、濃い緑の葉が生い茂りまるで大きく呼吸しているようだ。その山の葉が全て枯れ落ち、街中が落ち葉に包まれる頃、私の出番がまたやって来る。このピッツバーグの地で見つけた、私の大切なボランティア。その名も 「リーフエンジェル!」
海外子女教育振興財団会長賞 フットボールスタジアムで見たけしき ダービーシャー補習授業校(イギリス)
小2 坂本 啓太
ぼくは、三さいのときに日本からイギリスにひっこしてきました。イギリスにきてからたくさんフットボールのしあいを見に行くようになり、フットボールが大すきになりました。とくにぼくが一ばんすきだったしあいは、ことしの春にかぞくみんなで見にいった、イギリスたい日本のしんぜんじあいです。
ぼくは、どっちのくにをおうえんしようかとてもなやみました。なぜかというと、ぼくは日本人だけれどいつもイギリスのチームをおうえんしているからです。ぼくは考えました。そして、おとうさんが、 「どこのせきのチケットをかったらいいかな?」 と聞いてきたとき、ぼくは、 「日本がわのせきにしようかな。だって日本人だもん。」 とこたえました。でもほんとうは、ちょっとだけ、よくわからないへんな気もちがありました。
しんぜんじあいの日、ぼくはかぞくと日本がわのかんきゃくせきにすわりました。ぼくのまわりでは、ほとんどの人が早いじかんからせきにすわっていました。おかあさんに、 「どうして日本がわのせきは、こんなに早くせきがうまっているの?イギリスがわは、まだそんなにうまっていないのに。」 と聞くと、おかあさんは、 「日本には、五ふんまえこうどうということばがあるのよ。だからきっとみんな早めにくるのよ。」 と、おしえてくれました。ぼくは、このとき五ふんまえこうどうということばをはじめて聞きました。そこで、 「五ふんまえこうどうってなに?」 としつもんしたら、 「五ふんまえには、つぎのよういができているようにしておくことよ。」 と、せつめいしてくれました。だからみんな早めにきているのだなと、なっとくしました。
しあいは、三とません手がてんをとり、ゼロたい一で日本がかちました。日本がイギリスにはじめてかったと聞いて、ぼくはとてもこうふんして、となりの日本人のおにいさんとハイタッチしてとてもよろこびました。いつのまにか、よくわからないへんな気もちもなくなっていました。
そのときぼくは、日本のおうえんせきが青色一しょくになっていることに気づきました。目をぱっちりあけてよく見ると、それは青いビニールぶくろでした。 「なんで、日本のおうえんだんは、みんな青いビニールぶくろでおうえんしているの?」 ぼくがおとうさんにしつもんすると、 「しあいのあとにごみひろいをするのかな?」 と、こたえました。それを聞いて、ぼくはふしぎな気もちになりました。スタジアムでかんきゃくがそうじをするところを見たことがなかったからです。
いえにかえるとおかあさんが日本のかんきゃくのしゃしんがのっている、きじをぼくに見せてくれました。きじには、しあいのあと、日本のかんきゃくがごみひろいをしているしゃしんがはってあり、おかあさんが、そうじをするかんきゃくのようすを読んでくれました。ぼくは、しあいのあとスタジアムをきれいにしてかえるなんてすごい気もちがいいなと思いました。
ぼくは、日本のおうえんせきにすわって、二つ新しいことを知ることができました。一つは、五ふんまえこうどう。もう一つは、つかったばしょをきれいにしてかえることです。ぼくは、これができている日本の人たちを見ならいたいなと思いました。
ぼくは、あさげんち校にとう校するとき、よくおくれそうになるので、これからは、五ふんまえじゅんびをしてみます。そして、フットボールかんせんでイギリスせきにすわっても、じぶんのごみはかたづけてかえろうと思います。大すきなフットボールから、新しいことを知ることができてうれしい気もちになりました。
日本放送協会賞 ドイツの日曜日 デュッセルドルフ補習授業校(ドイツ) 小5 椙田 侑和
日曜日におかし作りをしようとしたらさとうが足りず、スーパーに買いに行こうと思いましたが、休みだと気づいてあきらめました。
私はドイツで生まれ育ちました。だから、日曜日にお店がしまっていることは、ずっと当たり前のことでした。でも、ふと「なんで日曜日はお店がしまっているんだろう。」と思いました。その理由を今まで一度も考えたことがありませんでした。
ドイツでは日曜日になるとスーパーや衣料品店、ドラッグストアなどほとんど店がしまります。でも全部というわけではなく、パン屋やカフェ、レストランは開いているところもあります。ドイツには朝食をしっかり食べる文化があって、パン屋は日曜日も特別に開けても良いことになっています。他にもガソリンスタンドや中央駅、空港のスーパーも開いています。旅行中の人や急いでいる人のために特別に許可されているからです。そのほか年に数回だけverkaufsoffener sonntagという日があって、この日は特別にふだんしまっている店も開けることができます。クリスマスや地域のお祭りなどに合わせて決められることが多く、日曜日なのに街がにぎやかになって、この日はなんだか少しうれしい気持ちになります。
おかし作りをあきらめた次の日、学校で友達に聞いてみました。 「なんでドイツは日曜日にお店がしまっているの。」 すると友だちは少し考えてから、 「神様が七日間で世界を創ったとき、七日目に休んだから人間も休む日なんだよ。」 と教えてくれました。キリスト教の聖書には、神は六日間で世界を創り七日目に休んだと書かれていて、この七日目が安息日とよばれています。この考え方はヨーロッパ全体に何百年もかけて広まり、ドイツでは閉店法という法律になっています。だから日曜日や祝日は許可がなければお店を開けてはいけないのです。それに、お店がずっと開いていたら、日曜日にも働く人が必要になります。ドイツではみんなが同じ日に休めることがとても大切にされていて、お店をしめることは働く人を守ることにもつながっているのです。友達の話を聞いて、ずっと当たり前だと思っていたことに、こんな深い理由があったのだと初めて知りました。
ドイツでは日曜日にお店がしまっているからといって、みんなが家でつまらなそうにしているわけではありません。家族で映画を見たりゲームをしたり、本を読んだり昼ねをしたり、何もしなくていい日としてゆっくりと過ごします。そして森や公園を散歩する文化もあるので、天気のいい日は家族や犬と一緒に公園に行ったり、カフェやレストランで家族や友達とゆっくり食事やおしゃべりを楽しむ人がたくさんいて、街は静かでもみんな楽しそうです。日本のように「にぎやかで楽しい」とはちがう「ゆっくりした幸せ」という感じがドイツの日曜日です。
日本の日曜日は全くちがいます。コンビニは二十四時間三百六十五日開いていて、元旦でも多くの店が営業しています。スーパーも日曜日はふだんよりこんでいるくらいです。いつでも何でも買える便利さは、世界でも特別なレベルだと思います。でも、どうして日本は日曜日もお店が開いているのか。それは安息日という考え方が日本にはなかったからです。江戸時代まで休みといえば盆と正月や地域のお祭りくらいで、日曜日は休むという習慣がそもそもありませんでした。明治時代に西洋と交流が始まってから、初めて日曜日は休みという考えが役所などに取り入れられました。でも商店には広まらず、開けていた方がもうかるという考え方が根付いていったようです。最近は元旦などに休むお店もふえてきたようで長い間当たり前だったことが少しずつ変わり始めているのかもしれません。
さとうが買えなくて、おかし作りをあきらめた日、本当に不便だと思いました。でも、その日は家族と一緒に別のことをして過ごしました。たいしたことではないけど、なんだか楽しかったです。予定通りにいかないことがちがった楽しい時間を生むこともあるのだと気づきました。そう思うと日曜日にお店がしまっていることは、ただの不便ではないような気がしてきました。
日曜日というたった一日の中に宗教、歴史、法律、家族の文化その国の考え方がぎゅっとつまっているのです。ドイツと日本、どちらが正しいということはないけれど、理由を知るとどちらもなるほどと思えておもしろいです。さとうが買えなかった日曜日がなければ、私はきっとこんなことを考えなかったと思います。当たり前の中にこそ、その国のことがかくれています。これからも、身近な「なんで。」を大切にしていきたいと思います。
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