2026年7月21日
イマドキの海外生活

「家族で一緒に」ブリュッセルとジャカルタへ—小児科医、そして母としての海外生活—

小児科専門医の村上典子さんは、高校生の長女と長男、中学生の次男とともに、現在はインドネシア・ジャカルタに駐在同行中。2015年から2019年にはベルギー・ブリュッセルに夫の駐在に同行していた。日本でのワンオペ生活や海外での育児、小児科医として考えることと母として悩むことについて、話を聞いた。

(取材・執筆:Makiko)  

 

—村上先生は、現在はジャカルタに駐在同行中ですが、ベルギーのブリュッセルにも同行されていたのですね。その前は日本でワンオペ生活をされていたとか。   

 

もともと、中高時代の親友が帰国子女だったので、その影響を受けて「海外で育児をすること」に憧れがありました。ですから、夫が海外で仕事をする可能性があることも承知していましたし、その機会が来れば、同行する心づもりはできていました。

 

夫が初めに駐在になったのは、ロシアのモスクワでした。その時、私は3人目の子どもを妊娠中。ロシアに同行して出産することも検討しましたが、上2人の子どもの世話や言葉の壁などを考えて、日本で出産してから皆を連れて行く計画を立てました。計画を立てながら、3人を保育園に預けてクリニックの外来診療を続けていました。ワンオペは、大変でしたね。末っ子は常に風邪を引いてばかりの状態で……。  

 

そんな中、学年の区切りでモスクワに行こうと準備をしていたら、夫がベルギーのブリュッセルに異動になりました。そこで急遽ブリュッセルの学校について調べて、ようやく家族皆で一緒に住むべく、引っ越しました。  

 

 

—ブリュッセルでの生活はいかがでしたか?

 

まずは、小児科医としての仕事をすべて退職して行ったので、完全に育児に専念できる、貴重でかけがえのない時間になりました。

 

子どもたちは、それぞれ色々とありましたね。

 

特に、小1だった長女は、ブリティッシュ系のインターナショナルスクールに入りましたが、かなり苦労しました。学校が始まった9月から、年が明けても毎朝泣いていました。先生は優しい方ばかりで、すごく温かくハグして迎えてくれましたが、ダメでした。教室の前で扉にしがみついて大泣きし、1日暗い顔をして過ごして。チックのような症状や、手を洗いすぎるような行動も見られました。「溶け込むというのは、こんなに大変なんだ」ということを知りました。 

 

その後、長女は学校で行われたミュージックフェスティバルでピアノを弾き、賞をいただいて、それを全校集会のときに校長先生に褒めていただいたことがきっかけになり、ピタリと泣かなくなりました。みるみる自信を付け、言語も上達していきました。  

日本で続けていたピアノが、現地での自信に繋がった
日本で続けていたピアノが、現地での自信に繋がった

 

年中だった長男はモンテッソーリの幼稚園に通いました。畑で野菜を作ったり、皆でパンを作ったりと、自然が多く素晴らしい園でした。今でも集中力があるのは、このときに培われた力なのかもしれません。 

 

大きな出来事としては、滞在中にちょうど、サッカーのW杯があったんです。日本対ベルギー戦のあと、「日本のサッカーは素晴らしかった」などと声をかけられました。長男はそれをきっかけにサッカーに目覚め、今も続けています。   

サッカーのW杯を市街で観戦(左)。ベルギーではどの公園でも、ボールがあればサッカーが始まるのが日常(右)。長男はブリュッセルで始めたサッカーを、高校生になる今もジャカルタのローカルチームで続けている
サッカーのW杯を市街で観戦(左)。ベルギーではどの公園でも、ボールがあればサッカーが始まるのが日常(右)。長男はブリュッセルで始めたサッカーを、高校生になる今もジャカルタのローカルチームで続けている
「海外で『家庭』に専念できたことは、私にとって本当に素晴らしい体験でした。家族との絆が強まり、他の日本人家庭との深い交流も、貴重な時間です。小児科医として、この子育て経験は、ブランクというより、その後の診療に役立ちました」と村上先生
「海外で『家庭』に専念できたことは、私にとって本当に素晴らしい体験でした。家族との絆が強まり、他の日本人家庭との深い交流も、貴重な時間です。小児科医として、この子育て経験は、ブランクというより、その後の診療に役立ちました」と村上先生

ーブリュッセル生活の後半はすごく楽しめたのですね。そうなると、帰国の際にお子さんたちはどのような反応だったのでしょうか。 

 

長女は行く時も大変でしたが、小5で帰国した際も、やはり苦労しました。公立小学校に入りましたが、漢字も難しいし、女子の中に馴染めなくて。でも、同じクラスにシンガポールからの帰国生がいて、その子と分かりあえたようで助かりました。  

 

小3だった長男はベルギーでサッカーばかりしていたので、言語的には日本語が強いままだったこともあり、帰国した際はスッと戻れました。集中力があることも幸いして、漢字もすぐに追いつきました。次男は年長でしたが、彼は入園した時からみんなと一緒にいたような顔をして(笑)、すぐに馴染んでいきました。  

 

 

—5年間を日本で過ごし、今度はジャカルタへ赴任。長女は高校生、長男は中学生という年齢で、どのように受け止めましたか?

 

長女がとっても喜んだんです。「パパ、ありがとう。私一緒に行くわ」って(笑)。 帰国後、長女は日本にいながらも英語力はずっと伸ばしていました。でも、数学や他の教科はいつまで経っても周りに追いつかないという状況が続いていました。「海外で育った帰国生が日本の学校で頑張るというのは本当に大変なことなんだ」と、私はこの時も改めて思いました。素敵な学校でしたが、進学への意識の高さが、長女にとっては窮屈だったのでしょう。「羽ばたきたい」という気持ちが募っていたようです。「インターナショナルスクールに通って、海外の大学を目指したい」と、即決でした。夫は誰も来てくれないのではないか、と思っていたそうなので、本当に嬉しそうでしたね。  

 

長男は、中学2年生。心も体も不安定な時期でした。父と姉が行くことにショックを受けて、「本当に行かなきゃいけないの?」という反応でした。実家で日本に残る道もあることを示した上で、母親として、長女が海外の大学を希望している今、家族で一緒にいられる残りの時間を「ジャカルタで家族一緒に過ごしたい」という思いを伝えました。 結局、空港まで来てくれた友達に見送られながら、長男は泣く泣く、ジャカルタ行きの飛行機に乗り込みました。  

 

 

—先生ご自身は、クリニックの院長をされていた時ですね。  

 

そうなんです。長男の気持ちもわかりましたし、自分の仕事もありましたが、それでも、「家族皆で行きたい」という気持ちは強かったです。それは、夫がモスクワに単身赴任した時期、彼が子どもたちの成長を見逃してしまったことが、ずっと気になっていたからです。後任を探して引き継ぎをして、大変ではありましたが、家族が離れるということはなるべく避けたいと思っていました。  

 

 

—ジャカルタ2年目の今、悩みはありますか?  

 

ジャカルタでは、3人ともインターナショナルスクールに入りました。現在、長男がインターナショナルスクールの高校1年生になったところで、ジャカルタでは中学校までは日本人学校や塾などがありますが、高校段階になると途端にそういった「日本に繋がる手段」がなくなってしまいます。怖いのは、高校の途中で夫が本帰国になることです。日本の高校への途中編入は限られています。そうなると、会社の後ろ盾がないまま母子で残ることになるのでしょうか。ビザもなくなりますし、心細いですね。日本に帰国して、編入できなかったら、高校中退、高卒認定とか……「家族で一緒にいたい」と私が選択した結果、長男の経歴をそんな風にしてしまったら……。それが今、困っていることです。  

 

 

—小児科医として、海外で子育てされている方々にメッセージはありますか?  

 

子どもは本当に適応力が高いです。ただ、その分ストレスが体に出やすい。だからこそ、小さなサインを見逃さないでほしいと思います。 

 

それから……、実は私としては、子どもよりも親御さんのほうが心配になります。言葉の壁や医療への不安もあるでしょう。今は海外からも日本語で受けられるオンライン診療があるので、そういったツールをぜひ利用して、心身ともに不安を取り除いていくとよいと思います。    

今後について「帰国したら、以前勤めていたクリニックでまた働きたいです。将来的には自然災害の少ない暖かいところに移住して、その地域で求められるならば、仕事はずっと続けたいです」と、村上先生
今後について「帰国したら、以前勤めていたクリニックでまた働きたいです。将来的には自然災害の少ない暖かいところに移住して、その地域で求められるならば、仕事はずっと続けたいです」と、村上先生