帰国生のホンネ “違い”と向き合い続けた私が「誰とでもうまく働ける」と言われるまで
2026年6月2日
特集

“違い”と向き合い続けた私が「誰とでもうまく働ける」と言われるまで

現在、外資系IT企業の東京オフィスで働く小島愛里(えり)さんは、幼少期から中学校卒業までにシンガポール、マレーシア、台湾での海外生活を経験した。日本国内の大学に進学後は、交換留学制度を利用して、フランスの大学で学んだ。アジア、そしてヨーロッパで学んだ経験は、小島さんのパーソナリティにどのような影響を与えたのか。彼女の歩んだ道のりを振り返っていこう。

(取材・執筆:丸茂健一)

 

「No English」から始まったマレーシア生活

「エリは誰とでもうまく働ける。異なるバックグラウンドや価値観を持つ人の意見を受け入れ、チームプレーヤーとして協力することができる。」  

 

勤務先の外資系IT企業の上司は、小島愛里さんのことをそう評価している。その背景に、海外で多様な考えや文化を持つ仲間と一緒に学んできた経験があるのは間違いないだろう。  

 

小島さんが最初に海外生活を経験したのは、1歳のとき。家族のシンガポール駐在に同行する形で、3年間を現地で過ごした。現地の幼稚園に通っていたが、1歳から4歳という時期だけに記憶はほとんどなかった。その後、帰国して、神奈川県の小学校に通い始めた頃、次の海外駐在の話が舞い込んだ。行き先はマレーシア。まだ幼かった小島さんは、インターナショナルスクールに通う道を選んだ。

 

「小学校1年次を神奈川県の小学校で過ごし、2年次からマレーシアのインターナショナルスクールに通い始めました。理由は姉と一緒の学校に通いたかったから。インターと日本人学校の違いもわからないまま、英語オンリーの環境に飛び込みました」

 

最初に英語レベルを測る面談を受けるも判定は「No English」。最初はEAL(English as an Additional Language)クラスからのスタートとなった。最初の数カ月は授業をまったく理解できない状態だったという小島さん。困っていたところ、たまたま同じマンションに住んでいたイギリス人の女の子と友達になり、少しずつ英語を習得していった。

 マレーシアで同じマンションに住んでいたBest Friend Aimee
 マレーシアで同じマンションに住んでいたBest Friend Aimee 

 「クラスメイトと自由に会話ができるわけでもなく、日本人の友達もいない。今振り返ると、あれが人生で最初の“孤独”だったかもしれません。そんなときに現れたイギリス人のお友達には本当に助けられました。勇気を出して『一緒に遊ぼう』と拙い英語で声をかけた日から私の世界は広がっていきました。言葉が完璧でなくても、子ども同士は通じ合える。遊びの中で覚えた英語は、すぐに身体に馴染んでいきました。その後、自宅でも英語の家庭教師をつけてもらい、約1年で通常クラスに合流できるようになりました」 

 

先生と常に対話をしているような授業  

マレーシアのインターナショナルスクールの教育スタイルは、日本の小学校とはずいぶん違っていた。1クラス15人程度の少人数制。教室に個別の机や椅子はなく、子どもたちはカーペットの上に自由に座って、授業を受けていた。子どもたちはどんどん手を挙げて発言し、先生と常に対話をしているような授業だった。特に面白かったのは、「ドラマ」の授業。演劇の役を通して、人前で表現をするコツや楽しさを学んだ。また、「世界史」の授業では、エジプトの歴史をテーマに、ミイラのつくり方、ピラミッド内部の構造などを学んだのをよく覚えているという。

 

「とにかく手を動かして何かをつくったり、発表したりする授業が多かったですね。『ICT(情報)』の授業では、ホームページ作成やスライドを使ったプレゼンテーションにも挑戦しました。私は『クッキーのつくり方』を発表して、でき上がったクッキーをクラスのみんなで食べました。日本の学校ではなかなかできない学習機会だったと思いますね」

 

マレーシアのインターナショナルスクールで、70カ国以上の文化背景を持つ子どもたちと自由な雰囲気で学んだ小島さん。『インターナショナルデイ』などの校内イベントでは、イギリスやアメリカだけでなく、インド、エジプトなどの文化にも触れた。自らも浴衣を着て花笠音頭を踊ったり、おにぎりを振る舞ったりして、日本の文化を紹介する経験もした。この約3年間のマレーシア生活は、小島さんのその後のパーソナリティ形成に大きな影響を与えることになっていく。   

マレーシアのインターナショナルスクール時代。誕生日パーティー
マレーシアのインターナショナルスクール時代。誕生日パーティー

 

台北の日本人学校で「日本式教育」を知る

小学校4年生のタイミングで、家族と一緒に台湾で暮らすことになる。マレーシアの友達との別れはつらかったが、新たな環境にも期待がふくらんでいた。台湾で通ったのは、台北の日本人学校。ここに1年間通い、改めて日本式の教育システムに順応することになる。

 

「授業中に飲み物を飲んではいけない、忘れ物をすると忘れ物を記録して管理される……といったインター時代にとは違うカルチャーに戸惑いました。マレーシアにいた頃は、教室で自由に飲み物を飲めたし、カフェに行けばスナックも食べられた。また、男女別の五十音順で名前が並んでいるのも不思議でしたね。それでも在籍する子どもたちの多くが海外経験を持っていたので、比較的馴染みやすい環境だったと思います」  

 

当時、特に苦戦したのが「漢字」のテスト。100点満点のテストで5点を取り、衝撃を受けたこともあった。それでも母親と一緒に漢字の猛特訓をして、挽回していく。これが、日本帰国後の学校生活に活かされていった。

 

「えりちゃんって、ぶりっ子だね」

激動の転校生活が続く小島さん。小学校5年生になると今度は台湾から日本に帰国し、神奈川県の公立小学校に通うことになる。転入したクラスは、海外に行ったことがある児童がひとりもいないような環境……。海外からの転校生は珍しく、「英語しゃべってよ!」と無茶振りをされることもあった。

 

「お気に入りのピンクの服とデニムスカートで学校に行ったら、『えりちゃんって、ぶりっ子だね』と言われたのは衝撃でした。日本の学校では、目立たないように周囲に合わせるほうがいいということを学びましたね」

 

割り切ってしまえば、日本の学校カルチャーに合わせるのに時間はかからなかった。小学校卒業後に通った公立中学校では、女子バスケットボール部に入部し、県大会出場レベルの厳しい環境で練習をした。日本の公立中学校らしく、先輩後輩の関係は厳しい。1年生は、先輩たちが来る前にコートの準備をして、練習が終わったら片付けと掃除をする……。心の中では、「1歳しか違わないのに、なんか変だな」と思っていた。ただ、ここでの経験が日本社会で良好な人間関係を構築していくヒントになっていく。  

 

高校受験を想定し2度目の台湾でも日本人学校へ  

女子バスケットボール部の厳しい練習環境に慣れた頃、またしても海外赴任の話が舞い込む。行き先は前回と同じく台湾。インターナショナルスクールに通う選択肢もあったが、日本での高校受験を想定して、台北の日本人学校に通うことにした。

 

「小学校5年生から中学校1年生まで日本の公立校で過ごし、中学校2~3年生を台北の日本人学校で過ごしました。住んでいたのは、天母(テンム)地区という日本人駐在員がたくさん住んでいる場所で、日本人向けの高校受験塾に通いながら楽しく過ごしました。一緒に受験に向けて頑張る友達がいて、その子たちとは今も連絡を取り合っています。また、台北の日本人学校で基礎的な中国語(北京語)を学ぶ機会があり、これがその後の留学生活や今の仕事で大いに役立っています」

台湾の国立故宮博物院にて
台湾の国立故宮博物院にて

 

帰国子女枠の3科目受験で第1志望の高校へ

中学校卒業後は、日本に帰国すると決めていた。高校進学にあたり、さまざまな選択肢があった。例えば、ICUHS(国際基督教大学高等学校)や慶應SFC(慶應義塾湘南藤沢高等部)に通えば、帰国生の友達がたくさんできるかもしれない。5つ上の姉も慶應SFCに通っていた……迷った末に小島さんが受験先に選んだのは、東京学芸大学附属高校。こちらも帰国生が多い学校として知られるが、人数としては1学年20名程度。ICUHSや慶應SFCと比べればかなり少ない。それでも姉とは違う新たな環境を求めて、東京学芸大学附属高校への進学を決めた。

 

「帰国子女枠の3科目受験で合格したものの、入学後は周囲の学力レベルの高さに驚きました。台北の日本人学校では常に上位だった成績が、最下位から数えたほうが早いレベルに……。わかってはいたものの大きな挫折感を味わいました。それでも帰国生でなければ、ここで学ぶ機会はなかったかも!と奮起し、大学受験に向けて猛勉強しましたね」 

 

勉強では苦労したものの英語の成績は常にトップレベルだった小島さん。大学受験でも英語の成績がアドバンテージとなり、現役で慶應義塾大学経済学部に合格することができた。“長すぎる”英語長文読解で有名な同大学の英語科試験を攻略できたのは、海外生活のおかげだと振り返っている。

 

国際学生会議など独自の活動に注力した大学時代

高校、大学と受験をしてきた小島さんにとって、やっと訪れた青春! 大学生活を謳歌するはずが、ここで意外な壁にぶつかることになる。入学後、興味があったスポーツ系サークルに所属したものの歓迎会や合宿など大人数の集団行動がどうしても性に合わない。大型バスを使って、200人規模で集団行動をする合宿生活に耐えきれず、途中で帰ってきてしまったこともあったという。

 

「ここで改めて自分を見つめ直したのですが、高校時代から『マイペースだよね』『自由人だよね』と周りから言われていたことを思い出しました。なので、周囲に合わせず、自分が興味あることに力を入れようと決めました」

 

進む方向が決まれば、海外生活仕込みの「行動力」が生きてくる。まず、参加したのは国際学生会議(The Harvard College Project for Asian and International Relations)の活動。単身でフィリピンでの国際会議に参加した。米国大使館のリーダーシップ派遣プログラム(TOMODACHI MetLife Women’s Leadership Program)に応募し、こちらも単身でアメリカに2週間滞在し、さまざまな議論に参加した。他にもシンガポールのスタートアップ企業でインターンシップを経験するなど、英語力とフットワークを活かして、自ら世界を広げていった。  

 

そして、気がつくと周りにいたのは、同じような海外生活を経験した境遇を持つ、帰国生の仲間たち。集団行動のサークル活動とは異なる、学生の主体的な活動に惹かれる特有の“波長”のようなものを共有している感覚があったという。

大学2年生時、ハーバード大学運営の国際学生会議に参加した際のチーム
大学2年生時、ハーバード大学運営の国際学生会議に参加した際のチーム

交換留学で未踏の地ヨーロッパへ!  

そして、小島さんは大学3年次に新たな挑戦をする。それが、フランスの大学への交換留学。前年の2年次には叶わなかった学内選考をパスして、ついに未踏の地であったヨーロッパへの切符を手にした。

 

「アジア特有のフレンドリーな“ゆるさ”とは違い、フランス人が持つ言語やカルチャーに対するプライドを感じました。また、ヨーロッパ特有の歴史の重みも心地いいものでした。一方で、社会インフラの面では日本のすごさを実感しました。フランスは大雪やデモですぐに交通機関が止まるし、トイレなどもすぐに壊れて衛生面の不安もありました。これは現地で生活してみないとわからないことですね」

 

現地ではビジネススクールの授業を受け、世界各国から集まった留学生と一緒にビジネスに関するケーススタディや議論を繰り返した。フランス人はもちろん、スペイン人、ドイツ人などヨーロッパ各国の学生だけでなく、中国、韓国などアジア系の学生もいた。中国語を少し話せたことがきっかけとなり、中国人の留学生と仲よくなり、一緒にモロッコ旅行を楽しんだりもした。

 

「長距離バスを使って、ヨーロッパを回っていたときに、バスが2~3時間遅れるなんて当たり前なことに驚きました。イライラしているのは日本人だけ。フランス人たちは、ただ黙々と待っている。日本の公共交通機関の正確な運行は、世界的に見たら珍しいことだと再確認する一方で、バスの遅延にイライラする自分もまた日本人なんだなぁと妙に納得してしまいました」

フランス留学中に訪れたモンサンミッシェル
フランス留学中に訪れたモンサンミッシェル

 

「社内はグローバル、社外はジャパン」  

フランスから帰国後、就職活動に臨むと、国際学生会議の活動やフランス留学の経験が高く評価された。自分で選んだ活動が、面接で興味深いエピソードとして受け入れられたのは、学生生活を肯定されたようでうれしかった。そして、さまざまな企業の面接を受けた末、憧れだった現在の外資系IT企業の内定を獲得した。

 

現在勤務する企業の社内公用語は英語。入社後に上司となった4人のマネージャーのうち3人が外国人という多様性に富んだ環境で働いている。職場での評価は冒頭の通り。

 

「エリは誰とでもうまく働ける。異なるバックグラウンドや価値観を持つ人の意見を受け入れ、チームプレーヤーとして協力することができる。」

 

このグローバル感覚は、マレーシアのインターナショナルスクール時代に、国籍のサラダボウル状態の環境で学んだ経験がルーツにあると小島さんは語る。一方で、日本でビジネスをするからには、クライアントは日本企業が中心となる。ここでは、敬語を使い分けたり、年長者を敬ったりする日本的慣習も取り入れる。「社内はグローバル、社外はジャパン」という特殊なシチュエーションにおいても国内外の多様な環境で学んだ経験が活かされている。

 

「上司が帰国生の日本人だったときに面白い経験をしました。お互いに英語だと上司ともフレンドリーに話せるのですが、日本語の敬語になるとちょっとした緊張感が生まれます。英語と日本語で人格が変わる現象まで、互いに認め合えるのはいいですね」 

 

社会人になりタイ出張へ。チームアクティビティで自分の生い立ちを発表
社会人になりタイ出張へ。チームアクティビティで自分の生い立ちを発表

自分の子どもにも海外経験をさせてあげたい  

現在は、国内勤務だが、いずれは海外で働きたいという希望も持っている。そして、いずれ子どもが生まれたら、自分の両親が与えてくれたような海外生活を体験させてあげたいと思っている。ほぼ3年に1度、学ぶ場所が国ごとに変わるようなめまぐるしい環境で、苦労もあったのは間違いない。文化や慣習の「違い」に戸惑い、傷つき、時に合わせてきた。それでも「この経験があって今がある」と言い切れるポジティブさが小島さんの強さなのだろう。

 

「海外生活や日本帰国後の順応に不安を感じているお子さんも多いでしょう。それでも海外生活は恵まれた体験であり、そこで得た言語運用能力や多様性を受け入れる能力は将来必ず自分の世界を広げる糧になります。少しくらいツライことがあっても時間が経てば必ず慣れ、気の合う友達や好きなことを見つけられます。海外ならではの『違い』を受け入れながら、目の前の日々を大切に過ごしてほしいと思います」