轟 修杜さんの母、都さんが「聖者の行進」と呼ぶ絵。
「この画は、修杜が絵描き歌から描く喜びを知り、夢中になって描き始めた2013年に、紙の山の中から主人と私で見つけ、初めて修杜の才能を感じたものです。なんとも言えないユーモアのあるタッチで今にも動き出しそうな数字や文字達。みんなが同じ方向を向いて、楽しそうに行進しているように見えました」
生まれ育ったパリを拠点に活躍する27歳のアーティスト、轟 修杜さん。「アール・ブリュット」(専門的な美術教育を受けていない人が湧き上がる衝動に従い、自分のために制作するアート)の作品が日仏で高く評価されている。発達障害を個性に、独創的な世界観を発信し続ける力はどこから生まれてくるのか。母親の都さんに話を伺った。
「生まれてきて良かった」と思ってほしい。この子を、人としてどう輝かせるか。
.jpg)
修杜さんは、フランスで起業した父、母、妹2人の5人家族の長男としてパリで生まれた。9カ月で歩き出し、1歳になると元気に走り回った。一時帰国した際に受けた1歳半検診で「要観察」となるも、都さんは大して気にしていなかった。日本語とフランス語が交じり合う環境で、発達が多少遅くても仕方がないと思っていた。
しかし、3歳半になった修杜さんを連れて一時帰国している間に会った友人から、それとなく病院に行くことを勧められ、検査を受けると、医師は修杜さんを少し遊ばせただけで、彼と目も合わせず「自閉的傾向の発達障害」と診断。そして、言われた言葉は「一生、治りません」。都さんは「コミュニケーションを取れていないのは先生の方でしょ」と奮い立った。
その後、必死になって療育方法を探した。当時の療育法の主流は「できるまでは立たせない。できたらご褒美をあげる」。都さんは「できないところを補っていくような生き方はしたくない。できるまで待つなんて教えたら、できなかったときにと修杜はどう思う? 障害があっても、『楽しく自信をもって、生まれてきてよかった』と思ってほしい!」と奮い立った。そして、幼稚園は、夫をパリに残し、子どもをしっかり見てくれる日本の幼稚園を選んだ。
「修杜の療育については、いろんな方からたくさんのアドバイスをいただきました。でも「育てるのは自分」だと思ったんです。私は、とにかく修杜に自己肯定感を高く、幸せに生きてほしい。笑っている修杜を見るのが好きでした。彼の可能性を伸ばしてくれる環境を探して、4歳のときに日本の幼稚園に入園したのですが、修杜が自由に動き回るので恐縮していると、園長先生が『普通の子だって大変よ』と笑ってくださったのには、ほっとしました」
卒園後は「家族みんなでいっしょに暮らしたい」という思いが強くなり、パリ日本人学校へ。そこでも、大切な出会いがあった。9歳のときに日本人学校から東京の都立病院を勧められ、一時帰国した際に修杜さんを診てもらったところ、医師から忘れられない言葉を言われる。
「自閉症は未知の世界ですからね」
「この先生すごい!って、思いました。未知の世界ということは、果てしない可能性があるんだ、と。その医師に感謝しています」
そして、伊藤先生との出会い。
.jpg)
原点になった「絵描き歌」、導いてくれた「パリ日本人学校」
.jpg)
.jpg)
修杜さんはパリ日本人学校に入学するが、10歳までは筆圧が弱く、進んで絵を描くようなことはなかった。都さんが、三角の太い鉛筆や4Bの濃い鉛筆を使わせてみたり、ビー玉を握らせて描かせたり、鉛筆に洗濯バサミをつけて持たせてみたりと、いろいろ工夫をしても、修杜さんの気持ちは動かず、鉛筆はほとんど使われなかった。1年生から4年生までの筆箱の中には、同じ鉛筆が入ったままだったそうだ。
そこで、思いついたのが「修杜は歌が大好き。絵描き歌から入ってみたらどうだろう!」。日本人学校で音楽と特別支援を担当されていた伊藤先生に絵描き歌の本とCDを託し、授業で取り入れてもらったのが、いまにつながった。絵描き歌の楽しさを知った修杜さんは、紙にはもちろん、ベッドの壁やシーツなどあらゆるところにたくさんの絵描き歌を描いて行った。一心不乱に描き続ける修杜さん。途中、「失敗」と思うと紙を捨て、新しく描き始めるということを繰り返した。いつの間にか、弱かった筆圧がウソのように強くなった。
「伊藤先生には感謝しています。当時、できるまで何度もやる、という指導を嫌う修杜に対して『一度やったことは絶対に忘れない!』とポジティブに対応してくれました。そして、絵描き歌で広がった彼の世界は、やがてひらがな、カタカナ、アルファベット、数字など、知っている文字を組み合わせて描かれるカラフルな模様へと発展していきました。そして今では、個展で多くの方に作品を見ていただけることが、本人の喜びや創作への意欲につながっているのだと思います。彼にとっての創作の原点は、自分の頭の中に浮かんでいる映像を、そのまま紙に表すことなのだと思いますが、いつ、どんなきっかけやモチベーションで始まるのか――親である私にも分かりません。けれど、ひとつだけ確信しているのは、彼が「幸せな気持ち」で描いているということ。楽しんで描いている、ということです。決して「描かされている」とか「描かなければならない」と思っているのではありません。とても自分に素直な子ですので、描きたいときに描き、描きたくないときには描かない。実際に、まったく描かない時期が2年ほど続いたこともありました。それでも今こうしてまた作品が生まれているのは、やはり彼自身の中から自然に湧き上がってくるものがあるからだと思います」
.jpg)
.jpg)
「一言で言うと、彼がパリ日本人学校で学んだのは「優しさ」だと思います。いつの時もお友達、先生方に優しくしてもらい、愛されていたと思います。私は修杜の介添えで、そばで付き添っていたのでよくわかります。子どもたちは素晴らしくて、小学校に入学して、授業中、教室の中を歩き回ってしまう修杜のことも、ひと月ほどで特別視することなく、自然体で接してくれていました。中には「修杜君と結婚したい」と言ってくれた女の子も。親御さんたちも子どもの送り迎えなど、気持ちよく助けてくれました。今でも、連絡を取り合っていますが、ここで得た経験が、彼のアール・ブリュット作家の原点になっていることは、間違いないと思います」
感じる「無限の可能性」
修杜さんの作品は、2000枚に1枚の割合で完成するという。作品に正直な気持ちで向き合っている証拠だろう。そこには、修杜さんだけの「幸せな気持ち」の世界がある。時には、音楽を聴きながら料理を作る都さんを嬉しそうに見たり、「アナと雪の女王」などの好きな音楽を聴きながら絵を描いていることも少なくないそうだ。
「障がいのある子の親となったとき、私がまず強く思ったのは『この親子の縁をハッピーなものにしたい』『この子が生まれてきて良かったと思える人生を送ってほしい』ということでした。そこから、私たち家族のモットーは 「無限の可能性」 になりました。一緒に歩んでいく「人生学校」でのテーマのようなものです。この世に無駄なことはない。無いと思えば無いし、有ると思えばちゃんと有る。昼間のお月さまや、雲に隠れた太陽のように、目に見えなくても確かに存在しているものがある――そう信じています」
修杜さんの活動のシンボルとなっているのが「SHUTOoo」というロゴ。名前の最後につけた「oo」を「∞(無限)」に見立て、「無限の可能性」というモットーをブランド名に込めた。「これは特別な誰かだけでなく、すべての人に言えることだと思っています」と力強く語る都さん。修杜さんは、そんな想いをベースに活動し、個展を開いている。個展には、パリ日本人学校時代の先生方や友達も遠方から来てくれる。
.jpg)
子育てで大切にしていること
都さんには修杜さんを筆頭に、3人の子どもがいる。修杜さんを通して、「教育とは共育」、一方通行ではいけない、共に育つことだと教えてもらったと話す。
「子育てで大切にしてきたのは、自己肯定感の高い子になって欲しかったので、肯定的な言葉遣いを心がけてきました。そして、信念としていたのは、まだ現れていない『無限の可能性』を心の眼で見続けることです。未来が見えず不安に揺れる日々も少なくありませんでしたが、それでも「きっと大丈夫」という、根拠のない自信を持ち続けてきました。親だからこそできることでもあると思います。どんな花が咲くのか分からない種を育てるように、その時々を楽しみながら、子どもの成長を見守り、いまに至っています」
そして、自分自身の時間を持つことも大切だと言う。
「修杜が小学校3・4年のとき、週に3日、現地のアソシエーションに通ったんです。そこは、親の介添えはなしだったので、彼が学校にいる間は自分の時間ができました。フランス人の先生から『カフェに行く時間を作りなさい』と言われたのは忘れられません。自分の時間を作ることで、気持ちに余裕が生まれて「共に育つ」ことができる。子育てにおいて大切なことだと思います」
修杜さんの夢・都さんの夢
修杜さんは、小さい頃から「日本と世界のお役に立ちます!」という言葉をよく口にしていたという。
「人は必ず、それぞれに使命を持って生まれてきていると私は思っています。修杜の夢は、人のために、世界に羽ばたいていくことだと感じています。これまで私は「彼は人に見てもらうために創作しているわけではない」と感じてきました。けれども、毎回の個展で来てくださったお客様に自ら握手をし、ご挨拶するようになった姿を見ていると、アーティストとしての自覚が育ってきているのを感じます。今こうしてお話ししながら、もしかすると修杜は「人のために創作している」のかもしれない――そんな気づきをいただきました」
そして、都さんにも夢がある。
「私自身の夢は、ファッションを学んできた経験や、この親子の縁を活かして、修杜のデザインから皆さまに愛され喜ばれる商品を生み出し、彼の後ろ盾となることです。そしてもうひとつ、私たちの経験を通して、同じように障害のあるお子さんを育てている親御さまの力になれたら――自分自身先輩ママさんの体験談が励みになったので、それも大切な目標のひとつです」
<轟 修杜(とどろき しゅうと>
3歳の頃、言葉でのコミュニケーションが上手くとれず、自閉的傾向の発達障害と診断される。 2017年にはパリで個展を初めて開催し、日本においては2019年に初の個展を東京で開催した。 また同年、適応スポーツ(個々の発達状況や身体の状態に適応させてスポーツ)のリードクライミング(クライマーの安全確保のためにロープを使用して行うクライミング)にも取り組みはじめ、その翌年と2022年にフランス大会で優勝。 現在、独創的な作品をブランド「SHUTOoo」で発信中。世界から注目を集めている。
公式Webサイト https://www.shutooo.com/
.jpg)






