早稲田アカデミー賞

み来をつくるのはぼくたちだから

デュッセルドルフ補習授業校(ドイツ)

小4 河尾 有灯

        

 「やめて。」

ぼくは必死でエイメンの体をおさえてさけんだ。ぼくの親友エイメンが、クラスで一番体が大きいエイレンと、けったりたたいたりするけんかをしていたからだ。さい初はヘンリーとエイレンが始めたけんかだった。みんなで休み時間におにごっこをしていたとき、エイレンがにげながら、おにだったヘンリーを悪い言葉でからかった。それから、他の友達もみんなヘンリーの味方になって、大きなけんかになった。ぼう力を使う友達もいて、まるで戦争みたいだった。

 ドイツの小学校は四年制で、一年生から四年生まで、クラスの友達もたんにんの先生もかわらない。でも、ぼくたちのクラスには、きょ年とかわったことが二つある。

 一つは、人数が少なくなったことだ。お父さんやお母さんの国へ帰ったり、他の国や州に引っこしたりした友達がいる。ウクライナから来たザビーナとアナスターズィアも、もういない。さい初、二人はドイツ語が分からなかった。でも、お父さんがロシア出身のアティオムが助けてあげていたら、だんだん分かるようになって、ぼくたちは一しょに勉強したり遊んだりするようになった。二人はもうウクライナに帰ってしまったけれど、まだ戦争は終わっていない。ザビーナはぼくたちに一度手紙をくれて、そこには「元気です。」と書いてあった。ぼくは、ザビーナたちがウクライナでも、ドイツにいたときみたいに勉強したり遊んだりしているといいな、と思う。

 二つ目は、ぼくとマリーナがクラスリーダーになったことだ。クラスリーダーになるには、自分がクラスのために何ができるかをみんなの前でスピーチして、たくさんの友達から選んでもらわないといけない。みんながぼくを選んでくれて、ぼくはうれしかったし、なかのいいクラスにできるといいな、と思った。クラスリーダーの仕事の一つは、クラスでのけんかをかい決することだ。でも、けんかはほとんど毎日起きるし、なか直りさせることはむずかしい。何が起きたのか一人ずつ聞いても、本当のことを言わなかったり、人のせいにしたりする友達もいる。けんかは、みんな一人一人ちがうから起きるのかな、とぼくは思う。ぼくのクラスの友達は、それぞれ信じている神様もちがうし、食べてはいけない物があったり、家族が育った国の食べ物を朝ご飯に持ってきたりするし、家族の国の考えを聞いたり教わったりしている。家族がイラクやシリアからドイツに来た友達は、家族から聞いて、きらいになった国やこわくなった国がある。お母さんや兄弟がなくなってしまった友達もいる。ぼくのクラスの友達は、見た目も、頭や心の中も、みんなちがう。ぼくは、そういう色々な国とかん係のある友達が集まっている、地球ぎみたいなクラスを自まんに思っているし、大すきだ。そしてぼくは、そのぼくの大すきなクラスでけんかが起きると、どうしよう、という気持ちになる。ぼくは、けんかが起きたその日に二人をなか直りさせられないと落ちこむし、次の日には心配な気持ちのまま、学校へ行く。でも学校へ行くと、ぼくの心配は全くむだで、けんかなんて何もなかったみたいに、けんかをした二人は教室でとなりにすわって楽しそうに朝ご飯を食べていたり、休み時間に一しょにサッカーをしていたりする。さい初に書いたヘンリーとエイレンも、次の日にはなかよくまたおにごっこをしていた。

 今、世界では、おそろしい戦争が起きていたり、起こりそうになっていたりする。ぼくはクラスのけんかもうまくかい決できなくてなやんでいるのに、どうしたら大人の戦争を止められるのか分からない。でも、ぼくたちのクラスのけんかは、まるで戦争みたいに大さわぎでも、いつも次の日には終わっているし、けんかをかい決するクラスリーダーの仕事も、いやなことばかりではない。けんかをした友達に話を聞くと正直に話してくれたり、前の日にもけんかをした友達が、またけんかが起こりそうになったとき、

「今日はもういいよ。もうけんかはやめよう。」

と言ったりすると、ぼくは安心したようなうれしいような気持ちになる。ぼくたちはやっぱり、けんかをしているときより、なかよくしているときの方がもっといい気持ちなんだ。そして、ぼくたちは友達だから、その友達とかん係のある国がすきになっている。だから、今きらいな国やこわい国がある友達も、その国の子がぼくたちのクラスに入ってきたら、その子と友達になれると思う。友達とはけんかもする。でも友達は大切だから、けんかをしてもなか直りできる。今世界で起きている戦争を止めるには、今のぼくたちには勉強も力も足りないけれど、地球ぎみたいなぼくたちのクラスの友達を大切に思う心は、み来の世界の争いをなくせるかもしれない。