イマドキの海外生活 バランス感覚を持ち、ハングリーに世界の舞台を切り拓く
2024年8月19日
イマドキの海外生活

バランス感覚を持ち、ハングリーに世界の舞台を切り拓く

イタリア企業La Bottegaのアジア圏CEOとして活躍する岸陽一郎さん(写真右端)。大学院入学を機にイギリスに渡ってから、シンガポールで就職。一度退職し世界一周バックパック旅行を経て再び就職した後、スペインでMBAを取得、フランス企業のシンガポール支社を立ち上げる。その後現在の会社からオファーを受け、アジア4カ所にある子会社を統括する今の生活に至る。世界中を飛び回る生活、これまでのエピソードや趣味、家庭生活などについて語ってもらった。

(取材・執筆:Makiko)

 

「違和感」と自分を信じて

—現在はシンガポールに拠点を置きながら、4カ所にある子会社に数日から数週間ずつ滞在し、ヨーロッパへの出張もこなしていらっしゃるとのこと。大変さはありますか?

 

勤める会社の本社はイタリアですが、アジア地区の本社があるシンガポールを中心に住んでいます。東京、香港、バンコクそれぞれのオフィスに月に1度は足を運び、その合間にヨーロッパや、他の国に出張をしています。ほぼ常に移動しています(笑)。 

 

30代まではこういった生活を楽しんでいたのですが、今は家庭があって2歳の子どももいるのでどうにかしないと、とは感じています。そうは思いつつ、仕事上どうにもできないなというところでもあります。 

 

もう20年近くアジアを毎週のように飛び回っているので、感覚やネットワークがすでにあり、この辺りの国はどこに行っても違和感がなく日常の一部と感じられますね。

イマドキの海外生活 上海、バンコクのオフィスと、シンガポールオフィス周辺の雰囲気
上海、バンコクのオフィスと、シンガポールオフィス周辺の雰囲気

 

  —東京出身で、大学は日本で卒業されているのですね。大学院で海外を目指した経緯は?  

 

高校生の頃から海外の大学に憧れてはいましたが、「大学くらいは日本で出てからにしろ」と親に止められていたんです(笑)。実は親戚は医者と弁護士どちらかというような家だったので、法学部を選んだのも、空気を読んだ結果でした。日本で大学を卒業した後、スポーツが好きだったので、国際的なスポーツの代理人になれたら面白そうだなと思い、イギリスの大学院に進むことにしました。 

 

小さい頃から「決まったレールを行く」ということに違和感があり、「周りと一緒でなければならない」とも思えませんでした。色んな可能性や機会のある世界を見たいという好奇心をずっと持っていました。

 

海外に、居続ける 

—2003年に大学院でイギリスに渡られてから、ほとんど日本に戻っていないのですね。初めての海外生活となったイギリスから、世界を舞台に活躍される現在に至るまでの流れを聞かせてください。  

 

大学院卒業後はスポーツ業界で仕事をしたかったのですが、周りの人は3、4カ国語話せるのが当然というヨーロッパで、自分は英語も不十分。インターンをしましたが採用に繋がらず、ビザも下りずに仕事をすぐには見つけられませんでした。でも僕はもう日本には戻りたくないと思っていました。どうにかして海外に居続けようと世界中で就職先を探していたところ、シンガポールで縁があり、2006年に最初の会社に入ることになりました。トラベルリテイルという業種でスポーツとは無関係でしたが、チャレンジしました。この頃から「自分で決めたことなら後悔はしないし、やらないよりやって後悔した方がいい」と思いながら来ています。 

イマドキの海外生活 今「ハマっている」という、障害物レース「スパルタンレース」に出場する陽一郎さん。直近でも世界各国で開催されるレースに仕事の合間を縫って出場、入賞を重ねている。他にも、ヨーロッパで盛んな競技「パデル」のスポーツクラブを作るなど、幅広くスポーツと関わりを続けている
今「ハマっている」という、障害物レース「スパルタンレース」に出場する陽一郎さん。直近でも世界各国で開催されるレースに仕事の合間を縫って出場、入賞を重ねている。他にも、ヨーロッパで盛んな競技「パデル」のスポーツクラブを作るなど、幅広くスポーツと関わりを続けている

 

—1社目の後に世界一周バックパック旅行をされたのですね。  

 

1社目でしばらく働いた後、少し日本に戻って仕事をしてみました。それがかなり合わなかったですね。もっと自分から色んなことがしたかったのですが、自分の主張が許されないような環境でした。それまで海外で日本人が自分しかいないようなところで頑張っていたので、日本人に囲まれて仕事をするのにも違和感を覚えました。それで、次はどうしようかと考えた時に、一度仕事を辞めて2008年からバックパック旅行に出ることにしました。まだ20代だったので何も考えず、次の仕事も特に決めずに(笑)。ハワイでコナ珈琲農園を手伝ったり、アラスカで鮭の一本釣りをしてスモークサーモンにしたり。1年半ほどかけて一周しました。 

 

その後の就職活動では日系企業ではなくグローバル企業だけ探していたのもあって、半年以上職探しをすることになりました。ちょうどリーマンショックの時で、内定取り消しもあって大変でしたが、最終的にはイギリスの化粧品ブランド会社に縁があり、そのシンガポールのポジションに決まりました。 

 

 

—その後スペインでMBAを取得されます。  

 

周りを見ながらやはりMBAが要るな、と思ってはいたので、3年働いたところで2012年からスペインの大学に行きました。自費だったので、コストを抑えつつランキングが高いところを調べて、学校を選びました。学校に通っている間に、以前の同僚がフランスでしている仕事をコンサルのような形で手伝い始め、卒論のプロジェクト費用をその会社に出してもらいながら企業内起業のような形で2014年にシンガポールで会社を立ち上げました。その後、現在の会社からオファーを受け、入ることになりました。   

イマドキの海外生活 スペインMBA時代。写真左「クラスメイトでフラットメイトでもあった、フランス人、ドイツ人、インド人の仲間たちとの暮らしは色々あって、結構大変でした(笑)」写真右「このメンバーでグループワークに励んだので、思い入れのある一枚です」と、陽一郎さん
スペインMBA時代。写真左「クラスメイトでフラットメイトでもあった、フランス人、ドイツ人、インド人の仲間たちとの暮らしは色々あって、結構大変でした(笑)」写真右「このメンバーでグループワークに励んだので、思い入れのある一枚です」と、陽一郎さん

 

—当時のアジア本社が上海だったために2018年から上海に4年半住んだのですね。その後、アジア本社がシンガポールに移ることになり、2022年から再びシンガポールに戻られたと。  

 

正直なところ、以前は中国にはあまり良いイメージがなかったんです。でも住んでみて、上海は真の意味でグローバルだと感じました。シンガポールのようにローカルと外国人が分かれるということがなく、知れば知るほど上海が好きになり、今でも戻りたいくらいです。そこで知り合った中国人の妻と結婚しました。妻と自分の異なっている部分を知っていくのが面白いんですよ。  

イマドキの海外生活  シンガポールの家に帰るたびに成長して変化しているという長男との家族の時間。海外にいるからこ「日本の心」をしっかり伝えていきたいと、考えているそう
シンガポールの家に帰るたびに成長して変化しているという長男との家族の時間。海外にいるからこそ「日本の心」をしっかり伝えていきたいと、考えているそう

空気を読める、という強み  

—並大抵でない行動力がありながら、穏やかで柔らかな語り口が印象的です。お話を伺っていて、陽一郎さんのような方が育つなら、日本の教育も良いなと感じました(笑)。

 

会社というのは、チームですよね。バランスが必要です。日本人はバランス感覚に優れている人が多いと思います。10数カ国のチームをまとめる時に、「空気を読めば良い」だけではありませんが、それが重要になる場面もあります。国によって文化やコミュニケーションの違いがもちろんありますから、そのお国柄に合わせて振る舞うということが、日本人は上手にできる気がします。 

 

また、日本人だからこそ細かさや、空気感という面で価値を生み出せていることがあります。 

 

初めにイギリスに留学したときに、周りの自己主張に気圧されて無理をしていた時期もありましたが、積極的だから全てが良いというわけではありません。仕事では色んな立ち位置があるし、その立場に合ったことをちゃんとやっていれば良いのかなと僕は思っています。  

 

—英語と中国語を始め、スペイン語やイタリア語もお使いになるかと思いますが、語学はもともと得意なのですか?  

1カ国語できると、他の言葉も習得するコツがわかる気がします。日常生活で使う語彙は限られていますから、自分がそれを使う環境に身を置くということですね。 

 

英語でストレスがなくなったのは、当時の仕事で日本から撤退し、突然インドやモルジブを担当することになった時からですね。「日本人枠」という枠組みを外れたその頃からすっかり英語で仕事をするようになっていきました。 

 

中国では、タクシーでホテルに帰ろうとして「マリオット」と言っても通じない。これは大変だなと感じてすぐに会社に2週間休みをもらい、みっちり勉強しました。それで基礎を作ってから、仕事以外は中国語を喋るような環境に身を置いて、半年くらいで話せるようになりました。今は妻との会話はほぼ中国語です。 

 

英語、中国語、日本語以外は「できる」というほどではありませんが、上司や部下がそれぞれの言語で話しているのをよく聞いているので、内容を理解できる程度にはなっています。  

 

—10年後のビジョンを教えてください。  

 

例えば5年後だと今の会社でもう少し色々していたいですが、10年後だと、どうでしょう。日本に帰っているイメージはないですね。もう羽田よりシンガポールの方が、家に戻ってきたなという感覚になりますから(笑)。 

 

子どもの教育もあるので他の国もいいなとか、夢みたいな話ですけど、50代でフルタイムの仕事はリタイアして、いわゆる好きな仕事だけをしながら何カ所かに拠点があって、1年のうちの数カ月ずつを違う土地に住むとかも考えています。そういうことをしている先輩方を見ると、羨ましいなあと感じますね。

 

 いつも後悔がないように自分を信じて、何事も機会を与えていただいたら、あまり色々考えずチャレンジしたいと思っています。  

 

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