2024年4月8日
家族/クロスカルチャー

家族と向き合う時間をくれた2度の海外駐在生活【前編】

日系メーカーに勤務する父・史郎(しろう)は、2007年にアメリカ・シカゴ赴任の辞令を受ける。そこから母・美江(よしえ)と長男・慶(けい)、次男・瞬(しゅん)を伴ってのアメリカ生活がスタート。その後、約5年間の帰国期間をはさんで、4人家族は再び南米チリでの海外赴任生活を選択する。家族一丸となって、さまざまな土地で多様な文化を経験した約12年間の軌跡をたどる。(仮名) 

(取材・文 丸茂健一)

ソルトレイクシティってどこ?

2007年9月、日系メーカーに勤務する父・史郎のアメリカ赴任が決まった。史郎は、まず仕事に集中するため、まず半年間単身赴任でシカゴへ。その後、長男・慶の卒園を待ち、年明けの2008年3月から家族4人でのアメリカ駐在生活がスタートした。駐在先は、ユタ州ソルトレイクシティ。辞令が出た当初からシカゴからソルトレイクシティの拠点への異動は決まっていた。

 

 駐在生活スタートに、どこか胸躍るものを感じていた母・美江だったが、問題はソルトレイクシティの情報がまったくないこと。日本人コミュニティも見当たらず、途方に暮れた。 

 

「2008年当時、流行っていたSNSのmixiで現地在住の日本人ママを探して、現地校やキンダー(幼稚園)の情報交換をしました」(美江) 

ソルトレイクシティの家のベランダから

ソルトレイクシティの家は、五輪も開催された美しいスキー場から車で約30分の好立地。日本人家族はまだ少なく、日本語補習校をつくる話が出ているようなタイミングだった。美江の心配事はなんといっても子どもたちの学校だ。本来は小学校1年生の慶だが、現地での情報を収集した結果、学年を1年遅らせて、現地公立校のキンダーへ。 

4歳だった瞬は、2008年8月から現地のプリスクールに通わせることにした。

 

「現地のキンダーに通うことになった長男の慶は、いきなり言葉が通じない世界に放り込まれて、ちょっとパニックになっていたかもしれません」(美江)

 

「現状をまったく理解できてなくて、とりあえず言われるがままに行動していましたね。何が『正しい』のかわからないし、日本との比較もできないし……という感じでした」(慶)

慶が通っていたキンダー

そんな家族の様子を「多少英語がわからなくてもなんとかなる!」と見守っていた史郎だったが、子どもが学校から持ち帰ったプリントに日本のテストには出ないような単語を見つけて、海外生活の洗礼を受けたと振り返る。

 

「oink(ブタの鳴き声)なんて単語は、そこで初めて知りました。日本語にない表現なども多く、ここは海外なんだと実感しましたね」(史郎) 

ソルトレイクシティのスキー場

 

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