貴教(たかのり)、真紀(まき)、そして11歳の裕哉(ゆうや)、9歳の達哉(たつや)の一家はオランダ・アムステルダムで新しい生活をスタートさせた。
家族が接するオランダ人は皆優しく4人に気を配ってくれた。けれども、インターナショナルスクールでの日々は、裕哉にとって辛いものだった。そしてそれは真紀の子どもの頃の経験とも重なった。
オランダで子どもたちが一番輝いたのは野球チームで活躍した日々だった。(名前は仮名)
(取材・執筆:高田和子)
真紀のリベンジ
真紀は、裕哉と達哉の通うインターナショナルスクールで、保護者の活動に積極的に参加した。それは、子どもの頃アメリカで頑張れなかった自分への負い目があって、「今度は逃げない」と思ったからだ。
二人がインターナショナルスクールに通い始めて一週間くらい経ったころ、裕哉の学年の卒業パーティーのボランティアを募る保護者の会があった。残念なことに参加した日本人の保護者達は無関心だった。
「日本人の中で皆と違うことをやるのはどうかと思いましたけど、『ここは頑張ろう』と、手を挙げました。友だちをたくさん作って母親たちに自分のことを知ってもらったほうが、子どもたちに何か問題があった時『真紀んとこの子ね。真紀はいい人だし、わざとじゃないよ』と言ってもらえるかもしれないと思いました」
真紀はPTAの活動にも積極的に参加した。各国の代表が学校の改善点について話合うミーティングにも日本人コミュニティの代表として参加し、会で話し合われたことを日本人コミュニティに伝えたり、何か学校に伝えたいことがあれば、その窓口になったりなどという役割を果たした。Let's Cookという各国の料理を教えあうイベントのコーディネートも行った。
その結果、多くの国の人たちと友達になれただけでなく、日本人の保護者とも仲良くなり英語で困っている人の通訳もした。
真紀のアムステルダム生活
オランダと言えば「花」だが、真紀はオランダ式の活け花「ダッチフラワー」をオランダ人の先生の家に習いに行った。
「オランダの花材やアレンジメントの形を知ることができて、とても楽しかったです。色の取り合わせが独特で、例えば紫とオレンジの花の取り合わせなど毎回新しい発見がありました」
先生の家もとてもセンスが良く、インテリアを見たり、毎回のレッスンでのお茶やお茶菓子でのもてなし方だけでなく年に何度か行われる軽食の会でのお料理の出し方なども知ることができた。
テニスもやった。台湾人、アメリカ人、中国人、真紀の4人でコーチをつけて、近所の大きな室内テニス場で、週に2回ほど習っていた。コーチは日本人のクライアントをたくさん抱えるオランダ人の男性だった。
2年ほどレッスンを続けてから、台湾人の友達とダブルスを組んで、初心者レベルの大会にも出るようになった。
「対戦相手はいつもオランダ人のおばあちゃまたちでした。80歳過ぎのおばあちゃまに負けるはずがない、と思うのですが、彼女たちはテニス歴が長く、いつも負けてばかりでした。その大会では勝ったペアが負けたペアにお茶をごちそうする、というルールがあり、試合後に初めて出会ったおばあちゃまたちとお茶をするのは楽しかったです」
80歳近い人は英語が話せない人も多かった。彼女たちはオランダ語でゆっくり話してくれて真紀たちのカタコトのオランダ語も一生懸命聞いてくれた。
「このほか、お料理も習っていました。オランダの食材の使い方を学べたことは、日常生活で大変役に立ちました。現地のお料理教室に行くことを強くおすすめします」とのことだ。