こくみん共済COOP賞

小さな世界

ティルブルグ補習授業校(オランダ)
中2 鈴木 あさひ
 

  「これが私達の文化なんだ。」


 そう言って、私の前で彼女はまるで世界を代表するかのように、誇らしげに笑ってみせた。右手にカレーを乗せながら。


 私は今、オランダのインターナショナルスクールへ通っている。約一年前にドイツの日本人学校から、ここへ転校してきた。戸惑うことも多かったが、周囲の温かいサポートのおかげで、比較的すぐに学校になれることができた。まだ英語は完璧とは言えないけれど、できるだけ周りの人とコミュニケーションを取ろうと、日々努力を続けている。


 ある日のこと、私はインド人の友達から誕生日パーティーへ招待された。彼女と私は、毎日同じバスで通学しており、バス停で知り合った仲だ。学年は私の方が一つ上だが、そんな垣根を越えて、私をパーティーへ誘ってくれたことが心から嬉しかった。しかしその反面、胸の奥には小さな不安が広がっていた。パーティーへの参加者の中に、私の知り合いは一人もいないかもしれない。興奮と緊張が入り混じった、そわそわとした感情を抱えたまま、私は彼女の家のインターホンを押した。


 案の定、そこにいたのは知らない顔ばかりだった。主役である彼女は私を、温かく歓迎してくれたが、次から次へと新しい人を紹介されるたび、私の心は圧倒されてしまった。じわじわとにじみ出てくる手のひらの汗を隠すように、私はぎゅっと握りしめた。


 ゲームをして、プレゼントを渡して、ケーキを食べる。時間は思ったよりもあっという間に過ぎていった。それでも、どこかまだ周囲に溶け込めないような、居心地の悪さを心の奥で感じていた。その時だった。彼女のお母さんができたての晩ご飯をテーブルに並べてくれた。もうこんな時間か、気がつけば時計の針は夜の八時を指していた。オランダの夏の夜はまだ明るく、透き通った空の水色が雲の隙間から顔を覗かせていた。


 お皿を受け取ると、そこには見たことのない異国の料理が並んでいた。中でも特に私の目を引いたのがカレーだ。日本のルーとは違う鮮やかな黄色。鼻腔をくすぐる複雑で鋭いスパイスの香りが私の興味を誘った。


 「さあ、食べよう」そう思った瞬間、フォークやスプーンが無いことに気が付いた。取り忘れたのだろうか。不思議に思って周りを見た私は、思わず息を吞んだ。皆料理を「手で直接」食べていたのだ。頭を後ろから殴られたような衝撃だった。インドの人々が手を使って食事をする文化があることは、知識としては知っていた。だが、自分のすぐ目の前で、実際にそれを行っている人を見るのは初めてだった。これぞまさに、文字通りのカルチャーショックだった。


 改めて部屋を見渡すと、このパーティーに集まったゲストの中で、日本人は私一人、それ以外は全員インド人だった。だからこそ、周りの人達にとっては、これが「普段通りの日常」なのだ。誰もが当たり前の様子でスパイスの効いたカレーを、手で口へと運んでいる。その光景を見つめている内に、私の心の中に恐怖と戸惑いがこみ上げてきた。なぜなら私は幼い頃にその文化を知ったときから、「手で食べると手が汚れてしまうし、不衛生ではないか」という偏見を、無意識に抱いて生きてきたからだ。ここで周りに合わせて手で食べるべきか、それともフォークを頼むべきか。初めて直面する異文化の壁の前で、周りをキョロキョロしていると、友達がそれに気付いて私の隣にやって来た。そして、手での食べ方を丁寧に教えてくれたのだ。どうやら、親指、人差し指、中指の三本の指を使い、下からすくうようにして口へ運ぶらしい。しかし、見るとやるとでは大違いで、想像以上に指先のコントロールが難しかった。私が困惑していると、異変を察した周りの人達が次々と集まってきた。「こうやるんだよ」「上手、その調子」。彼らは、手での食べ方が分からなかった私を笑うことなど決してなかった。それどころが、私が上手く食べられるようになるまで、何度も何度も熱心に、そして楽しそうに教えてくれたのだ。悪戦苦闘の末、とうとう手を使ってきれいにカレーを口に運べた時には、皆そろって自分のことのように歓声をあげ、拍手をして喜んでくれた。新しい体験が成功したことも、もちろん嬉しかった。しかしそれ以上に、右も左も分からない私に対して、誰もがこれほど優しく、丁寧に接してくれたことに、私の胸は熱くなった。「文化が違うから分かり合えなくて仕方がない」と境界線を引いて諦めるのではない。自分達のアイデンティティを共有し、分かってもらおうと歩み寄る彼らの姿勢に、私は深く感動していた。


 「これが私達の文化なんだ。」
私に食べ方を教えてくれたゲストの内の一人、インドの鮮やかな民族衣装をまとった七歳の少女が、誇らしげにそう言った。眩しすぎる程の笑顔でそう言った彼女を見て、私は急に恥ずかしさがこみ上げてきた。インドの食文化に対して、勝手な偏見を抱いていた自分自身を強く恥じたのだ。


 生まれ育った国が違えば、文化が違うのは当たり前のことだ。彼女たちは、自分達の文化に誇りを持ち、誰に何を言われようとも堂々としている。その姿が、私にとても格好良く見えた。


 文化を共有し、皆で同じように手を使ってご飯を食べたことで、それまで名前も知らなかった人達との距離も一気に縮まり、仲良くなることができた。私はこのことを通じて、「違い」を単に遠ざけるのではなく、互いに共有し、受けとめることの大切さを改めて実感することができたのだ。


 まだこの世界には、戦争や人種差別と言った悲しい問題が少なからず存在している。そうした大きな国際問題は、賢い大人達の手によって解決されることが多い。しかし、私達小さな子供達の周りにも国境を越えた様々なネットワークが広がっている。文化や人種の違いだけでなく、人間には人の数だけ考え方や思いがある。だからこそ、些細なことでぶつかり合ってしまうことは、これから先もあるだろう。しかし、「互いに分かり合おう」という歩み寄りの気持ちさえ忘れずに人と関わり続けることで、そこには必ず、想像もしなかった新しい発見があるのではないか。


 私はこれまで日本やインドを始め、それぞれの国には国の数だけ違う文化があることを「知っている」つもりでいた。だが、それは単に教科書をなぞった知識であり、本当に心から理解し、受けとめていたわけではなかったのだ。


 常識は、違って当たり前。自分達にとっての「当たり前」を、それが「当たり前ではない」人の視点から捉え直してみる。その時初めて、私達は本当の意味で世界を知ることができるのかもしれない。


 広そうで狭い、そして遠そうで近いこの小さな世界で、私はこれからも様々な世界へ行き、たくさん人と出会い、面白い発見を見つけていきたい。そして今度は、私を温かく迎え入れてくれた彼らのように、私が日本の美しい文化を、堂々と世界へ伝えられる人になりたい。