日系企業に勤める夫・イチロウと妻・ミナ、長女・ウミは、2018年2月から中国・広州での駐在生活をスタートした。ミナは、コロナ禍による2年間の一時帰国中に長男・リクを出産。現在は、広州に戻り、家族4人で暮らしている。渡航前は大気汚染や反日感情への不安を抱えていたが、実際に中国で生活してみると、そこには温厚な人々と日本とは異なる価値観との出会いがあった。前編では、駐在が決まったときの心境から、広州での生活の立ち上げ、子どもたちの教育環境について聞いた。
(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)
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「駐在先は中国」という不安からのスタート
イチロウの転職にともなって海外駐在の話が持ち上がったのは、赴任のおよそ1年前にあたる2017年のこと。夫は先に駐在先である中国・広州へ渡り、ミナは育休中だったこともあり、実家のある愛知県で準備期間を過ごした。
「子育てをするうえで、海外生活はいい経験になるのではないか。それが最初の感想でした。ただ、赴任先が中国と聞いたときは、正直『中国か……』という気持ちもありました。当時は、中国についてわからないことが多く、不安が一番大きかったですね」(ミナ)
周囲の反応も決して背中を押すものばかりではなかった。ミナの上司からも「本当に行くの?」と念を押されたという。それでも決断できたのは、実際に現地で暮らしている人たちの生の声に触れたからだった。
「当時はまだ数が少なかったのですが、世界各地の駐在家族のための情報サイトを運営されている方がいて、東京にいるうちにコンタクトをとりました。そこから中国で滞在されていた方とも出会うことができ、ポジティブな体験談を聞けたことで不安が小さくなり、広州に行く決心ができました」(ミナ)
学生時代にインドでボランティアをし、アメリカで海外インターンシップも経験していたミナは、もともと海外志向が強かった。「海外暮らしを通して日本では得られない視点を養いたい」——その期待が不安を上回った。一方で、子育て中の母として気がかりだったのは、中国の大気汚染、そして、2010年代の反日感情の高まりも気になっていた。
夜の一人歩きもできるほど安全な環境
2018年2月、ミナは当時1歳だったウミを連れて広州に降り立った。到着したときの記憶としてまず残っているのは、無機質な空港の風景と「これから実際の生活はどうなるのだろう」という不安だったという。頼りの夫も合流してから3日後には出張で数日家を空けることになり、心細いスタートとなった。
暮らしの拠点となったのは、日本人が数十家族のほか、中国人富裕層や各国の外国人も住む、国際色豊かなアパートメント(大規模集合住宅)だった。日本人が多く集まるエリアからは少し離れており、日本人と会う機会は少ない環境だったが、治安については、日本と同等の安心感があったという。
「中国は、とにかく街中に監視カメラがあるんです。だから、女性が夜にひとりで歩けるくらい安全だと感じています。社会全体で悪いことができない仕組みになっているのです。個人的には、監視カメラがあって怖いと感じたことはありません」(ミナ)。
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一方で、中国ならではの緊張を感じる場面がないわけではない。歴史的な記念日など、反日感情が高まりやすい時期には、日本大使館から注意喚起が出されることもある。現在も学校がリモート授業になっている日もあるし、バスの警備も強化されている。
「公共の場で日本語は控えるようにと領事館から連絡がある時もあります。実際に、福島での処理水の海洋放出報道がされていた時、子ども達とカフェにいて、親切な中国人の方から『日本語で大きな声で話さないほうがいい』とそっと注意されたこともあります。ただ、それ以外のときに、日常生活で反日感情を感じることはありません。中国人は、個人として接すると人情味があり親切な人が多いです。個人対個人で向き合えば、印象はずいぶん変わるのだと感じました」(ミナ)
出産翌日に夫が中国へ——コロナ禍による2年間の別居生活
駐在中、家族でよく旅をした。北京では万里の長城に登り、上海では近代的な国際都市を満喫、成都まで足をのばしてパンダを見に行ったりもした。家族で中国のスケールの大きさに圧倒される日々だった。広州は、香港が近いこともメリットで、日本から来る両親との合流地点として、香港で会うこともあったという。しかし、忘れられない出来事として真っ先に挙がったのは、コロナ禍での苦しい時期だった。第2子・リクの出産のためにミナとイチロウが日本へ一時帰国していた矢先、感染症の急拡大で国境の往来が難しくなる。
「私が日本で長男を出産した翌日に中国に戻った夫から、『もしかしたら、しばらく日本との行き来が難しくなるかもしれない』と言われた。そして実際に、そこから約2年間、離れて暮らすことになりました……。コロナ禍の両国のことを考えれば、無理もありませんね」(ミナ)
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日本人学校からインターナショナルスクールへ
2022年2月、家族は再び広州で合流し、2度目の海外生活が始まった。子どもたちの教育環境も中国で少しずつ形を変えていった。ウミの歩みは複雑だ。2018年の駐在スタート時は、現地のローカル幼稚園で過ごした。ローカル幼稚園は中国語が中心ながら英語も取り入れられており、いわば「ローカルインター」のような環境だった。コロナ禍の一時帰国中は日本の幼稚園に2年間通った。再び中国に戻ってからは、しばらく元のローカル幼稚園に通い、小学校に上がるタイミングで日本人学校へ進学。その後、より多様な学びの環境を求めてインターナショナルスクールへの転校を決断する。会社が費用面で柔軟に対応してくれたことも後押しになった。
「広州には日本人学校があるので、『日本人学校の学費のみ負担する』という会社が一般的です。インターは実費負担になることが多いので、そこは会社によって対応が分かれることになります。広州には、4~5校ほどのインターナショナルスクールがあります。アメリカ系、イギリス系など特色もあるなかから、私たちは国際バカロレア(IB)を導入するスクールを選びました」
一方、2026年に6歳になったリクは、現地の日本人学校の小学部に進学することに決めた。それまではローカル幼稚園に通っていたため、日本語中心の環境にきちんと馴染めるか、ミナは入学前に少し心配していたが、なんとか日本人のお友達と上手くやれているようだ。ピアノやサッカーなどの習いごとは続けており、中国語や英語に触れる機会もある。ウミも現在ジャズダンスに打ち込んでおり、これまでに中国語、空手、絵の教室などさまざまな習いごとを経験してきた。空手は、コロナ禍のあいだにイチロウが始めたのをきっかけに、親子で取り組むようになったのだとか。家族のやりとりのなかで、ミナの印象に強く残っている場面がある。リクが、ヒップホップダンスを教わっていた中国人の先生との間で交わした会話だ。
「日本の桜はきれいだよね、という話になったとき、リクが『中国の桜もきれいだよ』と返したそうなんです。それを先生が覚えていてくれて、『この子はちゃんと中国のこともわかっている』と後日わざわざ教えてくれました」(ミナ)
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後編では、3つの言語を行き来しながら育つウミの成長、地域コミュニティとのつながり、そして駐在員パートナーとして歩んできたミナ自身の学びと、これから海外へ向かう家族へのメッセージについて聞きました。(2026年10月13日公開予定)






