家族が「自分らしさ」を見つけた4年間のテキサス生活【前編】
2026年7月13日
家族/クロスカルチャー

家族が「自分らしさ」を見つけた4年間のテキサス生活【前編】

日系メーカーに勤務する父・てつおと母・けいこは、長女・めいこ、次女・えいこと共にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで2018年6月から2022年3月まで4年間の駐在生活を経験した。コロナ禍を挟んで、世界が大きく変化した時期を家族4人で楽しみながら乗り越えた。ふたりの娘は近隣の現地校に通い、地域コミュニティとの交流を通して、日本では得られない多くの経験を重ねた。海外生活で得たもの、子どもたちの成長、帰国後の変化について聞いた。

テキサス州ダラスってどんな街?

日系メーカーに勤務するてつおがアメリカ・テキサス州にある支社への赴任を知らされたのは、2017年末のこと。夫から海外駐在を告げられたとき、けいこは「行きたい!」と即答した。子どもたちに海外生活を経験させてあげられること、英語を使う環境に身を置けること、そして異文化に触れられることは、何にも代え難い貴重な機会だと思ったからだ。

 

「ところが、当時小学3年生だっためいこは、友達と離れることをとても嫌がっていました。英語にもまったく興味がなくて、ABCを教えようとしても気持ちが向かない状態でした。『本当にこのまま行って大丈夫だろうか』という不安はありました」(けいこ)

 

「赴任先がテキサス州ダラスと聞いたとき、最初はどんな場所なのかあまりイメージがありませんでした。シカゴのような大都市なら楽しそうと思いましたが、ダラスについてはよく知らなかったので、『少し田舎なのかな』くらいに思っていました。しかし、実際に行ってみると、想像以上に住みやすく、結果的に大好きになりました」(てつお)  

 

けいこが期待したのは、やはり子どもたちに異文化体験をさせてあげられることだった。英語だけでなく、考え方や生活習慣の違いに触れることは、将来きっと大きな力になると考えた。一方で、心配だったのは、小学生だった長女が英語に対して前向きではなかったこと。英語でうまく気持ちを表現できないことでつらい思いをするのではないかという不安が残った。

完全な車社会とルーズな時間感覚

2018年3月にてつおが先に渡米し、3カ月ほど1人で生活の準備を行った。最初は生活面でも仕事面でも知らないことばかりだったが、前任者と2週間ほど重なる期間があり、現地生活にはわりとスムーズに馴染むことができたという。ただ、土地が広く、車で移動することが前提の生活で、「日本とはまったく違うところに来たな」と強く感じたという。そして、2018年6月に無事、家族全員でのアメリカ生活がスタートする。

 

「最初に印象的だったのは、暑さです。家族が到着したのが6月だったのですが、スーパーの駐車場からお店に入るまでの短い距離でも、日差しが痛いように感じました。ここで本当に暮らせるのかな……と不安に思うほどでした。もうひとつは、車社会に慣れることでした。私は歩くことが好きだったので、健康のために最初はよく近所を歩いていたのです。すると翌日、近所の人から『昨日、家族みんなで○○を歩いていたでしょう』と珍しがられました。それくらい歩いて移動する人がほとんどいない街でした」(けいこ)  

 

そこはアメリカ。日本のようにコンビニが近所にいくつもある環境ではない。親としては、近隣での水分補給やトイレ環境も頭に入れておく必要があった。しかし、通りでは、歩行者もスーパーに自転車で買い物に行く人もほとんど見かけない。治安が悪いということではなく、そもそも生活の設計が車中心なのだ。そこに慣れることが、家族にとって最初の大きなハードルだった。また、生活する中で大きなカルチャーギャップを感じることもあった。それは、さまざまな修理やサービスを頼んだ際の時間感覚のズレだった。

 

「住んでいた借家のエアコンやシャワーが壊れることがありました。そのたびに業者を呼ぶのですが、約束の時間にはまず来ない。日本では『何時に行きます』と言われれば、その時間に来るのが当たり前ですが、アメリカでは『午後1時から3時の間』といった幅のある指定になります。それでも遅れたり、来なかったりする……。最初は驚きましたが、だんだん『そういうものだ』と受け入れられるようになりました(笑)」(てつお)

 

「最終的には、日本のようにいろんなことが予定通り、時間通りに行われるのはすごく特別なことだったのだなと感じるようにもなりました。アメリカ流のおおらかさを少し身につけられたような気がしました。」(けいこ)

 

アメリカの広さを実感したロードトリップ

テキサス駐在中、印象に残っているのは、家族で初めてロードトリップに行ったときのこと。ダラスからサン・アントニオ方面へ車で向かったときに、ナビに「100マイル(約160km)直進」と出たのには家族で大笑いした。「アメリカは本当に広い」と改めて実感したという。

 

「ロードトリップの道中で買える食べ物はピザやハンバーガーが中心で、最初はいいのですが、すぐに飽きてくる……。旅行慣れしてきてからは、だんだん対策を考えるようになりました。知り合いの日本人のなかには、炊飯器を持ってロードトリップに行く人もいましたよ」(けいこ)

 

「アメリカの広さを体感したことは、家族にとって大きな経験でした。車で何時間も移動することが普通で、距離の感覚が日本とはまったく違います。そういう未知の体験を家族で共有できたことは、今振り返ってもよかったと思います」(てつお)

 

「アメリカでは、家族で車に乗っていろいろなところへ行ったことが楽しかったです。日本とは違う景色がたくさんありました。そのスケールに圧倒されることが多かったです。アメリカにいると、広大な自然の中の一部に人間は生きているのだと実感しました」(けいこ)

 

ふたりの娘は完全英語環境の現地校へ

子どもたちは地域の現地校に週5日通い、週1日(土曜日)は日本語の補習校にも通った。選んだ現地校はESL(English as a Second Language)の教室があり、日本人駐在員の中でも評判が良かった。  

楽しいデコレーションいっぱいだった小学校1年生の教室
楽しいデコレーションいっぱいだった小学校1年生の教室

「学区や学校のスコア(教育水準や成果を数値化したもの)、ESLの充実度などをインターネットで調べて決めました。めいこは小学4年生から、えいこはプリスクール(幼稚園)から現地校に通いました。アメリカの学校は、日本とは教育のスタイルがかなり違いました。教室にソファやテントのようなものがあって、子どもがリラックスして学べる環境がありました」(けいこ)

 

「理科の時間に、小学校のかなり早いタイミングから太陽系など宇宙のしくみのような内容を学んでいたことに驚きました。毎年同じ内容を反復しながら、少しずつ知識を深めていく、いわゆるスパイラル教育ですね。アートの授業でも、絵の技法を細かく教えてくれるなど、日本とは違うアプローチが印象的でしたね」(てつお)

 

現地校の教育で特に印象的だったのは、子どもの個性を受け入れる幅が広いこと。日本的な環境では「落ち着きがない」「おしゃべりが多い」と見られるような子どもでも、アメリカでは「この子は話したい子なんだ」と受け止めて、話す時間をつくってくれるような場面を見かけた。けいこは、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージを学校全体から受けたように感じたという。その点は、子どもたちも感じていたようだ。    

小学校でのランチ風景
小学校でのランチ風景

「アメリカの学校では、自分のペースで勉強を進めることが多かったです。日本に帰ってきてからは、みんなで同じことを一緒に進める感じが強いと思いました。どちらにもいいところがありますが、アメリカの学校は自由な感じがありました」(えいこ)

1年も経たないうちに英語で日常会話ができるように

日本語の環境から英語オンリーの現地校へ編入した子どもたち。親としては、もちろん英語環境への順応が気になるところだ。実際、めいこは最初、英語で少し苦労したという。

 

「英語の本を読むことも嫌がっていましたし、友達から何か嫌なことを言われても、英語で言い返せないもどかしさがありました。あるとき、一緒に遊んでいたお友達から片付けを自分だけに押し付けられ、家に帰ってから感情が爆発したことがありました。『日本語だったら言い返せるのに』と悔しそうにしていました。その後、先生が間に入ってくれて解決しましたが、本人にとってはつらい時期もあったと思います。それでも、1年も経たないうちに、英語で日常会話はできるようになりました。子どもはすぐに環境に適応していくのだと驚きました」(けいこ)

 

「最初は英語がわからなくて大変でした。でも、幼稚園で友達ができたり、先生が教えてくれたりして、だんだんわかるようになりました。イベントも多かったので、楽しいことをしながら慣れていった感じです」(えいこ)   

えいこの小学校学年最初の登校日、先生が楽しい仮装でお出迎え
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後編では、突然訪れたコロナ禍での生活、子どもたちの帰国後の変化について聞きました。(2026年8月10日公開予定)