日本の宮廷伝統音楽「雅楽」の魅力を世界中に届けたい! 宮内庁式部職楽部 楽長補 豊剛秋さん
2026年8月5日

日本の宮廷伝統音楽「雅楽」の魅力を世界中に届けたい! 宮内庁式部職楽部 楽長補 豊剛秋さん

 宮内庁に所属する楽師として、日本の宮廷で受け継がれてきた最古の伝統音楽「雅楽」を後世に伝える活動を行う豊剛秋さん。宮中音楽の演奏を担う楽家(がっけ)の子孫として生まれた豊さんは、15歳から宮内庁楽部楽生課程に通い、雅楽の道を志した。その決断の直前にあたる中学2~3年時には、父親の海外赴任に同行して中東トルコのアンカラで過ごし、日本人学校に通った経験があるという。東西の文化が融合する「文明の十字路」で過ごした2年間は、楽師としての人生にどのような影響を与えたのか? 海外経験と現在の仕事の接点について詳しく聞いた。

(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)

雅楽器だけでなく、日本古代歌謡や舞楽も担う

——現在の「楽師」という仕事について、教えてください。  

 

私は、宮内庁の式部職楽部に所属する楽師として、我が国でも最も歴史のある伝統音楽「雅楽」を正統な形で修得し、後世に着実に引き継ぐという精神の下に研鑽を積んでおります。日々の仕事には、基本的に3つの柱があります。一つは宮中儀式での演奏、二つ目は年に数回行う公演活動、三つ目は楽生への指導、つまり後進の育成です。    

ほかにも宮中の午餐会、晩餐会では、オーケストラの一員として洋楽器を演奏することもあります。西洋音楽ですので当然ながら装束ではなく(笑)燕尾服に着替えて、ヴァイオリンを演奏するのも楽師の仕事なのです。宮内庁式部職楽部の定員はおよそ25人程度と非常に限られています。そのためオーケストラを編成する際は、必要に応じて外部のプロ演奏家の方にも加わっていただくのですが、私はそこで長年コンサートマスターを務めております。

笙には欠かせないリード(音を出す為の大元になる銅合金)を、自分自身の息の強さの程度に合わせて制作するのも必須の仕事。非常に緻密さが要求される作業である。 また、リード制作が完成したらそれで終わりではなく、(火鉢で楽器を温めながらの)調律も自身で行わなくてはならない
笙には欠かせないリード(音を出す為の大元になる銅合金)を、自分自身の息の強さの程度に合わせて制作するのも必須の仕事。非常に緻密さが要求される作業である。 また、リード制作が完成したらそれで終わりではなく、(火鉢で楽器を温めながらの)調律も自身で行わなくてはならない

勤務体系としては、朝9時から夕方5時まで宮内庁に出勤するスタイルです。楽部庁舎の中には、(一人一部屋)個室があり、そこで楽器の練習をしたり、楽生の指導を行ったり、数人で集まり本番に向けての打ち合わせ(合奏)をしたりして、まさに音楽三昧の一日を過ごしております。 

最も重要な宮中祭祀のひとつ「御神楽」での務め
最も重要な宮中祭祀のひとつ「御神楽」での務め

演奏する雅楽器の種類としては、笙(しょう)を中心に、琵琶(びわ)や鼓(つづみ)。さらに、日本古代歌謡の歌唱や舞楽も行います。それが雅楽の楽師の本分であり、ユニークな面だと私は思っています。さらに洋楽器ではヴァイオリンやピアノも演奏します。「そんなにたくさん楽器を演奏するの?」と驚かれますが、私はむしろ、一つだけに絞らないことに意味があると思っています。いろいろな楽器を経験すると同じ音楽でも様々な方向から捉えることができます。こうした柔軟な視点を持てるようになったのは、中学生という多感な時期に、文化融合の妙というものを、トルコでの生活を通して、たくさん経験することができた影響が大きいのかもしれません。

東京 紀尾井ホールでのコンサートにおいて舞楽を披露
東京 紀尾井ホールでのコンサートにおいて舞楽を披露

——雅楽との出会い、そして雅楽の魅力について、教えてください。  

 

私が音楽に対し興味を持ち、特別な感情を抱いたのは幼い頃でした。5歳でピアノを始め、8歳からヴァイオリンを習いました。一方で、雅楽との出会いは、やはり家系によるところが大きかったですね。

 

家系図が家に残されていたのですが、小学生時にそれを目にし、ああ自分の家は平安時代から雅楽を継いできたんだな、と漠然とながらも認識したのが、今考えると出会いの一つだったのかなと……(笑)。ほとんどの楽家の子息の方々は生まれながらにして、雅楽の環境が与えられているのですが、私の場合は父、祖父と全く異なった職業であったことも起因し、幼少時においては、雅楽と言われても感覚的にピンとこなかったというのが正直なところです。

ちなみに、父は鉱物学者。そして祖父は高校の漢文の教師でした。

アンカラでのヴァイオリンレッスン。ハンガリー人のイシュテュバン・ネーメ先生に師事
アンカラでのヴァイオリンレッスン。ハンガリー人のイシュテュバン・ネーメ先生に師事

今思い返しますと、私が中学最終学年に進級をしたくらいのタイミングで、両親に強力に促され、楽師の道へと導かれたような気がしております。家族より一足先にアンカラより帰国をして宮内庁楽部楽師養成課程を受験し合格しました。システムとしては7年間のカリキュラムで、7年目に実施される卒業試験をパスしますと、晴れて楽師に昇格することができます。入部試験に合格をしたその年の春からは、楽部において雅楽・洋楽のマンツーマンの指導を受けながら、同時に都立高校に通い、さらには大学にも進学をいたしました。まさに二足(三足?)の草鞋とも言える、かなりハードな生活でした! 10代にして自分の将来が決められてしまうということに対し、正直、最初は抵抗もありましたが、新たな楽器に触れる好奇心が勝って、気が付いたら雅楽にのめり込んでいましたね。

雅楽は「純粋な日本の音楽」と思われがちですが、1,600年ほど前に、ペルシャやインド、中国、ベトナム、朝鮮など大陸から伝わった音楽と、神楽歌といった日本古来の音楽(国風歌舞)を総称したものを指します。さらに、伝えられてから400年ほどかけて、日本人の感性に合うように変化していき、平安時代頃に現在の雅楽が完成されます。私にとって雅楽は、どこか異国的な響きに感じられるという点で、非常にエキゾチックなイメージがあります。同時にダイナミックであり、かつ品も兼ね備えている音楽。さらに、まるで源氏物語の世界からそのまま抜け出てきたような豪華絢爛な装束を身に着け、音だけでなく視覚的にも楽しめる。それが雅楽の大きな魅力の一つだと思っています。

 

トルコ・アンカラの日本人学校で学んだ2年間

——中学校時代の海外生活について、詳しく教えてください。  

異国の地での2年間は、まるで夢を見ているかのような時間でした。アンカラは、赤い屋根とポプラ並木が印象的な美しい街で、トルコの首都でもあります。夕方になると、街のモスクから流れてくるコーランの情緒あふれる調べが、昨日のことのように蘇ります。

 

盆地ということもあり、夏、冬の寒暖差が非常に大きい。ただ、湿気がほとんどなく乾燥をしているので、夏の季節は日陰に入ると大変気持ちが良いのです。また、海抜が約1,000mに位置しているということもあり、日本で山登りをしていると鑑賞ができる高山植物を、普通に街中で見かけることができ、とても興味深かった記憶があります。

トルコ時代に家族ぐるみでお世話になった隣人(ジェバットさん)一家
トルコ時代に家族ぐるみでお世話になった隣人(ジェバットさん)一家

日本人学校の修学旅行で、イスタンブールのアヤソフィア大聖堂を訪れたときのことが強烈に印象に残っております。もともとは東ローマ帝国のキリスト教の大聖堂だった建物が、オスマン帝国の侵略によってイスラム教のモスクになった場所で、内部には、大聖堂であった名残として聖母マリアや、イエスキリストのモザイク画が残っているという……。教科書の中に登場をする、壮大な人類の歴史を目の前で見ているような感動がありましたね。

 

トルコではウードやサズといった伝統楽器の入った民族音楽にも触れました。中東音楽にはヨーロッパのクラシック音楽以上に、非常に細かい音階、複雑な音程が存在いたします。当時は知識不足ということもあり、専門的なことはよく分かりませんでしたが、今振り返ってみますと、異国の伝統音楽を目の当たりにしたあの経験が、現在の自身の音楽家としての血肉の一部になっているような気がします。             

 

——トルコではどのような学校生活に送っていましたか?

アンカラ日本人学校時代、恩師や友人と。中学生はわずか5人
アンカラ日本人学校時代、恩師や友人と。中学生はわずか5人

トルコ時代は、アンカラ日本人学校に通っていました。小学生・中学生合わせて、最も多い時期でも24人しかいない小さな学校で、全員が家族のような雰囲気でしたね。アットホームな学校でしたが、残念ながら現在は、廃校になっております。私は在学中2年を通して最年長で、全校生をまとめる役割を担っていました。そんな環境で、リーダーシップのようなものが育まれた気がいたします。

 

 

——海外で暮らしたことで、得たものはありますか?

 

アンカラ日本人学校には流暢な英語を話す子がたくさんいました。そんな仲間と一緒にいるなかで、英語を話す機会が増え、海外の人と積極的にコミュニケーションを取る度胸がついた気がしております。これは海外生活で培われた財産だと思っています。

また、こういった度胸が延いては後に身を置くことになる伝統世界において、自分自身の意見、立場を堂々と主張できる習慣に繋がったのかな、ということを感じております。

 

 

「ブラックレモン」というアカウント名で笙のオリジナル曲を発信!

——今後やってみたい活動はありますか?

ライブコンサートでのステージ
ライブコンサートでのステージ

 

日本の伝統音楽である雅楽を世界中の多くの人々に紹介していきたいと思っています。そのため本職のA面的活動とは別に、B面的活動にも同じように力を入れています。もしかしたら、今の若い子達にA面、B面という概念は通じないかもしれません(笑)。

 

私自身、ソウル・R&B・ファンク・ジャズといった黒人音楽に目がなく、レコードも何千枚と所有しています。そんな音楽的背景を活かして、現在は「雅楽演奏家ブラックレモン」という名で、オリジナル・アレンジ曲を制作し、YouTubeで公開しています。DTMを駆使しての打ち込み、ミックス、録音、生演奏まですべて私一人でこなしております。こういった作品を聴いてくださった方々が、これをきっかけに雅楽に触れていってくだされば嬉しいですね。さらに今後は海外において、雅楽の演奏活動の場を切り開いていきたいです。ニューヨークのライブハウス、あるいはアメリカ南部の黒人教会でゴスペル聖歌隊と一緒に演奏できたら最高ですね。 

 

また、これは別のレベルの話になりますが、現在の不穏な世界情勢を鑑み、自分の作り出す音楽で少しでも世界平和に貢献できたらなと、考えてます。  

 

>豊剛秋さんのYouTube

https://www.youtube.com/@豊剛秋

 

 

——豊さんにとって、人生のモットーや大切にしている言葉はありますか?  

 

私が生涯のモットーにしようと思っているのは、「自由であること」。そして、「好きを貫くこと」です。自由に生き、好きなことを貫くのは、簡単ではありません。ただ、現実世界で困難あるいは、障害があっても自分の心の中だけは、誰にも侵すことはできません。心の中の自由、そして好きをどこまで持ち続けられるかが、人間にとって非常に重要なのではないでしょうか。自由には責任も伴います。それでも私は楽師としての職務を全うしながら、自分の好きな音楽や目指す音楽を、私なりの形で粘り強く探求し続けていきたいと思っています。    

——最後に、海外で暮らす子どもたちにメッセージを! 

海外生活を経験したことで、日本人はもっと自分たちの文化を知るべきだと考えるようになりました。海外にいると、日本の伝統文化について自分より詳しい外国人に会う機会が、いくらでもあります。雅楽の世界におきましても、日本語を流暢に操り、古文書を読み、その歴史的背景を研究している外国人研究者が一定数おります。40年近く雅楽に携わってきた私が恥ずかしくなるくらい博学な方も中にはいらっしゃいます。だからこそ、日本人である私達が我が国の文化をもっと詳しく知り、伝えていかなければいけないと思うのです。そういう意味で、海外で生活をおくられている子達には、日本の文化や歴史について、人前で堂々と伝えられるように是非知識を深めていってほしいなと思います。勿論世界各国には魅力的な文化が溢れていますが、同じように我が国にも茶道、華道や日本舞踊、能、歌舞伎、雅楽など、数え切れぬほどの多くの世界に誇れる芸術、文化が存在をします。

私自身が、もっとも日本的な伝統世界で仕事をしておりますので、余計にそうした想いが強くなるのだと思いますが……

プロフィール
豊剛秋(ぶんのたけあき)
1,000年来、代々雅楽の笙を生業とする京都方の楽家(がっけ)に生まれる。現在、宮内庁式部職楽部楽長補。早稲田大学社会科学部卒業。15歳で雅楽の世界に入門。宮内庁楽部楽師養成課程(7年間)を修了。笙(しょう)を中心に琵琶、鼓などの雅楽器、日本古代歌謡、舞などを学ぶ。21歳で楽師を拝命。国内外での公演多数。宮中午餐、晩餐会では、ヴァイオリン演奏も行う。また、古典演奏の他、自身のもっとも敬愛する黒人音楽(ジャズ&ファンク)と雅楽の融合を図ったアレンジ、オリジナル曲を発表するなど、笙を含む雅楽の可能性を追求する活動にも意欲的に取り組んでいる。 重要無形文化財(雅楽)保持者。
 公式X: @kashifvesta039  ブラックレモン