「しくじり帰国子女」だから見える 日本のグローバル教育の課題と展望  国際教育評論家 村田学さん
2025年6月3日

「しくじり帰国子女」だから見える 日本のグローバル教育の課題と展望  国際教育評論家 村田学さん

Webメディア「The International School Times」編集長として、日本国内のインターナショナルスクールやIB(国際バカロレア)導入校の取材を続ける国際教育評論家の村田学さん。海外駐在員の家庭に生まれ、幼少期をロサンゼルスで過ごした原体験が帰国後も忘れられず、日本の学校で居場所を探した経験が、現在の国内インターナショナルスクールを支援する仕事の原動力になっているという。自称「しくじり帰国子女」の村田さんに、日本のグローバル教育が抱える課題と今後の展望について聞いた。

(取材・執筆:minimal丸茂健一)

テレビ出演をきっかけに国際教育評論家に  

——現在のお仕事の内容を教えてください。

 

現在は、「The International School Times」というWebメディアの編集長を務めながら、国際教育評論家としての活動も行っています。国際教育評論家という肩書きは、テレビ番組に出演した際に、便宜上、名乗ったのが始まりです。評論家というと少し堅い響きがあるかもしれませんが、実際は現場に足を運んで、取材して、感じたことや気づいたことを伝える、いわばジャーナリストのような仕事です。教育関係の知り合いからも「村田さんは、国際教育ジャーナリストなのでは?」とよく言われます。  

 

具体的な仕事としては、帰国子女や外国籍の子どもたちの受け入れに力を入れているインターナショナルスクールの取材をして、さまざまなメディアを通じて保護者や教育関係者に情報を届けています。時にはスクール運営のコンサルティングを任されることもあります。また、文部科学省が力を入れるIB(国際バカロレア)導入に関わる学校のサポートも行っていますし、昭和女子大学附属昭和小学校、キャピタル東京インターナショナルスクールで顧問を務めています。    

「しくじり帰国子女」だから見える 日本のグローバル教育の課題と展望  国際教育評論家 村田学さん

——現在の活動を始めたきっかけはありますか?  

 

私自身、帰国子女だったというのが大きな理由です。父親は日系メーカーの社員で、私は駐在先だったカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。4歳年上の兄がいて、彼もアメリカで幼少期を過ごしました。

 

ただ、私は3歳のときに現地の幼稚園を“退園”させられ、6歳で日本に帰国後、すぐに英語を忘れるという「しくじり帰国子女」でした(笑)。千葉県の幼稚園に通い始めたとき、幼いながら大きなカルチャーギャップを感じたのを忘れません。まず、クラスでの座り方が違う。アメリカではフロアの上に円陣を組んで自由に座っていたのに、日本では全員前を向いてキッチリと整列した椅子に座る。そこでは自由な会話は生まれません。「ここは軍隊か!?」と思いましたね。

 

ちなみに、4歳上の兄は、小学校に通い始めたところ、給食で出た鶏肉を見て「オー!チキン」と叫んだところ、ニックネームが「オーチキン」になり、そのまま学校では英語を話さなくなりました。そんな時代でした。

 

帰国後も父親の転勤は多く、私たち兄弟は、千葉、埼玉、東京の公立校を転々としながら暮らしました。小学校・中学校・高校とすべて、入学した学校と卒業した学校が違いました。日本の学校生活では常に“よそ者”感があり、英語はできないのに「帰国子女」として見られ、なんとなく浮いた存在でした。

 

その当時、なぜか不思議と帰国生の友達とは通じ合うことができました。その理由は、「和して同ぜず」の精神を持っていたからだと思います。これは、人と協調することは大切だが、安易に同調せず、主体的に物事と向き合うべしという意味の孔子の言葉です。日本の学校に通っていると自分は違うと思っていても反対意見を口に出しても損をするだけです。だから、兄も私も学校では余計なことは言わなくなった。しかし、帰国生の友達とは、「和して同ぜず」の精神を共有できたのです。

 

そんな私が教育に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の頃に、母がすすめてくれた「アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)」のサマースクールに参加したことがきっかけでした。そこには、アメリカの自由な雰囲気がありました。円陣を組んで座り、子どもたちが自由に意見を言う。「ああ、自分はこの空気が落ち着くんだ」と実感しましたね。それ以来、「こういう学校を日本で増やしたい」という思いが心の中にずっと残り、The International School Timesの開設につながっていきます。

カリフォルニア州ランチョ・パロスバーデスに暮らしていた当時の様子
カリフォルニア州ランチョ・パロスバーデスに暮らしていた当時の様子

なんとなく始めたブログがWebメディアに成長

——The International School Timesを始めたのはいつ頃でしょう?

 

2012年に、もともとは、ブログとして書き始めました。当初は、学校の広告が入るWebメディアに成長するとは考えてもいませんでした。いろいろな偶然が重なり、現在の形になったというのが実状です。

 

ブログを書き始めたきっかけは、メーカーに勤務していた父親が突然、東京都内のインターナショナルスクールの事務員に転職したことでした。サラリーが安定していて、営業ノルマがない、さらに休みが多いというのが理由でした。転職後、父親は1カ月くらい休みをとって、中国のシルクロードを旅したりしていました。

 

そんな父親にある日、こんな質問をしました。「どうしてインターナショナルスクールのホームページは英語のみなのか?」。すると父親から「英語を話す人が通う場所だから、日本語はいらないんだよ」との返事。しかし、私は日本語での情報もあるべきだと考えました。それを父親に伝えると「自分で発信してみれば」と言うので、なんとなく始めたのが、The International School Timesの前身となるブログでした。

 

ちょうどその頃、リーマンショックで外資系企業の日本撤退が相次ぎ、そこに東日本大震災も起こり、多くのインターナショナルスクールは経営難に陥ります。そこで、目を向けられたのが、日本人の子どもたち。タイミングよく、インターナショナルスクールを紹介する日本語メディアに注目が集まったのです。

 

私はThe International School Timesの記者として、全国に800あると言われるインターナショナルプリスクールや小学校を取材しました。広告も順調に入るようになり、クライアントであるインターナショナルスクールの園長や理事長とのネットワークも広がりました。大学卒業後、別の仕事をした時期もありましたが、本当に面白いと思えたのは、インターナショナルスクールに携わる仕事でしたね。  

「しくじり帰国子女」だから見える 日本のグローバル教育の課題と展望  国際教育評論家 村田学さん

 

——印象に残るエピソードはありますか? 

 

インターナショナルスクールの園長や理事長と知り合うなかで、「村田さんもスクールを運営してみたら?」という話が持ち上がったことがありました。そこで、東京都内のプリスクールを1円で譲ってもらったのです。ただ、そんなうまい話には裏があるのが世の常で、そのプリスクールをよく調べてみると園児10人に対して教職員が5人もいる。翌月には、毎月100万円の赤字だったこともわかります。そこで、妻に頼み込んで定期預金を解約して、直近の支払いをしのぎ、自分のメディアなども使いながら、サマースクールなどイベントの集客をして、なんとか1年で黒字化しました。  

 

その後、経営統合という形でオンライン英語教育サービスを運営する会社の傘下に入り、Webメディアのライターを続けながら、プリスクール経営に携わっていました。その会社は、さらに拡大路線に踏み出していて、私が新たに担ったのはM&A。つまり、買収できるプリスクールを探してくる担当です。  

 

これがなかなかハードな仕事で、ある学校では、校長先生が仕事をしていないという問題に直面するのですが、詳しく調べていくと、なんと校長室にビールサーバーが……。もちろん、退任していただきましたが、保護者からの誤解を招き、十数人に囲まれながら問い詰められたこともありました。最終的にはストレスで突発性難聴になり、メディア運営と国際教育評論家の仕事に戻ることになります。  

 

ただ、このときの経験で「園児は60人、教職員10人」という規模感が、運営側にも、子どもたちにも、一番良いと実感しました。顔が見えて、名前がわかって、家族みんなが関われる。それが理想のコミュニティなんです。 

地方では依然として帰国生向け教育の選択肢が少ない  

——国際教育評論家として、現在の日本のグローバル教育の課題をどのように見ていますか?  

 

最近、コロナ禍が落ち着いた2022年に海外に出て行った駐在員の子どもたちが日本に戻ってくるケースが増えています。それに伴って、帰国生の受け入れ体制の強化がますます重要になるでしょう。これまではインターナショナルスクールと私立学校のカリキュラムは分断されていましたが、IBやAP(Advanced Placement)と呼ばれるアメリカ式カリキュラムを導入する私立校が増えたことで、両者の接点が生まれています。さらに、文科省がかつて掲げた「IB200校構想」の成果が、ようやく実を結び始め、帰国生や外国籍の子どもたちにとって、学びやすい環境が少しずつ整ってきているように思います。

 

また、日本国内でも英語力の高い小・中学生が年々増加していて、今後は国際コースやバイリンガル教育の需要が高まると見られます。その背景には、幼児期からプリスクールに通い、英語塾などを経て、国際系の中高一貫校を目指す流れが定着しつつあることがあります。ただし、こうした傾向はまだ首都圏や大阪・神戸といった都市部に偏っていて、地方では依然として教育環境の選択肢が少ないのが現状です。

 

英語を話せる子どもがいたとしても、その能力を表に出しづらい環境が今も依然としてあります。周囲に理解されない、馴染めない、という感覚ですね。英語力があるがゆえに孤立してしまう子もいます。「学校に行きたくない」となってしまったときに、実は小中学生にはN高のような通信制の選択肢がほとんどないんです。義務教育の枠組みでは、まだまだ受け皿が整っていない。これは非常に深刻な課題だと思います。

 

 

——そうした子どもたちには、どういった支援が必要だとお考えですか?  

 

「同じような経験をした子たちと出会える場所」、つまりサードプレイスが大切だと思います。私自身、小学生のときにアメリカのサマースクールに参加した経験が、自分を取り戻すきっかけになりました。今でも、サマースクールや短期留学のような場で“同じ匂い”を持つ子たちが自然に集まるのを見て、「やっぱり共感って大きいな」と感じます。帰国生同士のネットワークは、大人になってからも仕事につながったりしますからね。

イギリス・エプソムカレッジを訪問した際、Mark Lascelles学園長と
イギリス・エプソムカレッジを訪問した際、Mark Lascelles学園長と

60人規模のプリスクールをもう一度立ち上げたい  

——村田さんご自身の、今後のビジョンを教えてください。  

 

教育現場に戻りたいです。60人規模のプリスクールをもう一度立ち上げて、園児・保護者・教職員が一緒になって子どもの成長を喜べるような、顔が見えるコミュニティをつくりたい。そして、国際教育の中で“どこにも当てはまらない子”が安心して学べる場所を広げていきたい。それが国際教育評論家として、そして実践者としての、私の役割だと思っています。  

 

 

——最後に海外子女や帰国子女、その家族に向けてのメッセージを。

 

帰国子女の皆さんは、海外での経験によって苦しむ場面もあると思います。「まわりから浮いてしまう」「カルチャーギャップがつらい」。でも、それはきっと将来必ずあなたの“強み”になります。私自身、かつては帰国子女なのに英語もできず、日本社会にも馴染めないことを恥じていました。しかし、今は違います。言語や文化の違いに苦しんだ経験をしたからこそ、相手の立場に立って考えられるようになった。それは自分にとって、何よりの財産なのです。

 

だからこそ、帰国子女や海外子女の皆さんには、「自分の経験に誇りを持って」と言いたいですね。そして保護者の皆さんには、「セカンドオピニオンを持つことの大切さ」を伝えたいです。学校や塾だけでなく、外から冷静に話を聞いてくれる第三者がいると、心がとても軽くなります。

 

最後に、帰国子女の中には大きく成功した人がいる一方で、日本社会に馴染めないまま苦しんでいる人もいます。そのためにも私は、「しくじり帰国子女」として、いいことも悪いことも隠さずに情報発信を続けています。それが誰かの“希望”につながれば、何よりもうれしいですね。

 

   【プロフィール】 
 村田学さん(むらたまなぶ)
 村田学さん(むらたまなぶ)
The International School Times編集長
国際教育評論家
1973年、カリフォルニア州トーランス生まれ。幼稚園年長までアメリカで育つ。日本大学商学部卒業後、学校事務などを経て、2012年4月にWebメディア「The International School Times」をスタート。インターナショナルスクール、プリスクール、オンライン・インターナショナルスクールの創立、経営者を経験後、2020年8月セブンシーズキャピタルホールディングスを創立し、国際教育に関する幅広い事業に携わる。
The International School Times :https://istimes.net/