Webメディア「The International School Times」編集長として、日本国内のインターナショナルスクールやIB(国際バカロレア)導入校の取材を続ける国際教育評論家の村田学さん。海外駐在員の家庭に生まれ、幼少期をロサンゼルスで過ごした原体験が帰国後も忘れられず、日本の学校で居場所を探した経験が、現在の国内インターナショナルスクールを支援する仕事の原動力になっているという。自称「しくじり帰国子女」の村田さんに、日本のグローバル教育が抱える課題と今後の展望について聞いた。
(取材・執筆:minimal丸茂健一)
テレビ出演をきっかけに国際教育評論家に
——現在のお仕事の内容を教えてください。
現在は、「The International School Times」というWebメディアの編集長を務めながら、国際教育評論家としての活動も行っています。国際教育評論家という肩書きは、テレビ番組に出演した際に、便宜上、名乗ったのが始まりです。評論家というと少し堅い響きがあるかもしれませんが、実際は現場に足を運んで、取材して、感じたことや気づいたことを伝える、いわばジャーナリストのような仕事です。教育関係の知り合いからも「村田さんは、国際教育ジャーナリストなのでは?」とよく言われます。
そんな私が教育に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の頃に、母がすすめてくれた「アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)」のサマースクールに参加したことがきっかけでした。そこには、アメリカの自由な雰囲気がありました。円陣を組んで座り、子どもたちが自由に意見を言う。「ああ、自分はこの空気が落ち着くんだ」と実感しましたね。それ以来、「こういう学校を日本で増やしたい」という思いが心の中にずっと残り、The International School Timesの開設につながっていきます。
そんな父親にある日、こんな質問をしました。「どうしてインターナショナルスクールのホームページは英語のみなのか?」。すると父親から「英語を話す人が通う場所だから、日本語はいらないんだよ」との返事。しかし、私は日本語での情報もあるべきだと考えました。それを父親に伝えると「自分で発信してみれば」と言うので、なんとなく始めたのが、The International School Timesの前身となるブログでした。
私はThe International School Timesの記者として、全国に800あると言われるインターナショナルプリスクールや小学校を取材しました。広告も順調に入るようになり、クライアントであるインターナショナルスクールの園長や理事長とのネットワークも広がりました。大学卒業後、別の仕事をした時期もありましたが、本当に面白いと思えたのは、インターナショナルスクールに携わる仕事でしたね。
1973年、カリフォルニア州トーランス生まれ。幼稚園年長までアメリカで育つ。日本大学商学部卒業後、学校事務などを経て、2012年4月にWebメディア「The International School Times」をスタート。インターナショナルスクール、プリスクール、オンライン・インターナショナルスクールの創立、経営者を経験後、2020年8月セブンシーズキャピタルホールディングスを創立し、国際教育に関する幅広い事業に携わる。