2025年2月3日
先生・先輩からのメッセージ

学校になじめないでいる君へ

桐光学園中学校・高等学校(神奈川県)
高校3年学年副主任・落語研究部顧問
稲永 亮

私の大好きな芸術家である岡本太郎は『今日の芸術』という本で、「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない」と書きました。例えば私たちはよく、赤い〇にチョンと棒をつけて「リンゴ」、青い八に白でギザギザをつけて「富士山」を描きますが、それは実は芸術ではなく記号(符牒)としてそれらを使用しているのであり、それを「上手だね」と理解しているつもりの私たちはただ単に常識や型に囚われているにすぎない。芸術とはそんな常識を打ち破り、「なんだ、これは!」と人々に思わせるものであるべきだと言うのです。

考えてみると、「なじんでいる」というのも「きれい」で「うまい」状態です。もちろん、ある意味では「心地よい」かもしれませんが、学校という、生徒もみんなそれぞれ違うはずの多様性にあふれた空間に「なじむ」というのは、実は不思議です。そんなこと、できるのでしょうか?無意識にみんなで一緒に「きれい」に「うまく」あろうとするあまり、お互いの個性や長所を抑制していないかな…と教師として私はいつも気になっています。

本当はリンゴを赤で、富士山を青で描かなければいけないきまりなんてないのです。だって、熟す前のリンゴ、夜明けの富士山は、まったく違う色をしています。いつもと違う色でしか表現できない美しさがあります。そのときそのとき皆さんの目にだけ見えたものを、皆さんの手で表現することが、一人ひとりの違いに気づき、面白さや、危うさや、哀しさに目を向けるきっかけになるのではないでしょうか。そういえば、ある生徒が昔、日本の小学校の図工の時間で、顔を描くためのクレヨンが「はだいろ(うすだいだい)」しかなかったことに衝撃を受けたと言っていましたっけ。

学校になじめない、そう思うあなたはもしかしたら、その学校で常識を覆すことのできる《芸術的な》存在なのかもしれません。あなただけが手にしたこれまでの人生経験を活かして、あなたしか持っていない色のクレヨンを使って、まずは「なんだ君は!」と周りを起こすことから、ぜひはじめてみませんか。

人生は《爆発》なのです。