共同通信社の政治部記者として、毎日深夜まで働いていた小西一禎さんは、2017年に会社の制度を使って休職し、妻の海外赴任に同行する形で渡米する。肩書きがなくなり、5歳の娘と3歳の息子を育てる父・夫としてスタートしたニューヨーク・マンハッタンの対岸、ニュージャージー州での新生活。ここで、小西さんは、自ら「駐夫(ちゅうおっと)」を名乗り、同じ境遇にいる日本人男性にメッセージを発信した。代表を務める「世界に広がる駐夫・主夫友の会」の活動から見えてきた「駐夫」の現状と今後の課題とは?
(取材・執筆:ミニマル丸茂健一)
日本人「駐夫」のネットワークをつくりたい
——小西さんが、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」の活動を始めたきっかけを教えてください。
私が妻の海外赴任に同行する形で、「駐夫(ちゅうおっと)」になったことがきっかけです。「駐夫」は私がつくった新語で、「駐妻(ちゅうづま)」に対して、駐在員の妻を持つ夫を意味するものです。
2017年12月に渡米し、2018年の秋頃に「世界に広がる駐夫・主夫友の会」をFacebook上に立ち上げました。最初は4人でスタート。クローズドグループとして次第にメンバーを増やし、現在は約200名が参加しています。メンバーは、現役の駐夫のほか、駐夫OB、これから海外に行くプレ駐夫など、立場はさまざまです。主宰する私はアメリカにおける3年3カ月の駐夫生活を経て、現在は帰国した「駐夫OB」となります。
私はもともと共同通信社の政治記者をしていました。毎日スーツを着て、永田町で深夜まで働く生活を続けていました。妻もフルタイムで働いた後、子宝に恵まれた後は時短勤務に転じましたが、家事分担は多く見積もって私が2割、妻が8割という感じだったと思います。
それが急に肩書きを失い、「〇〇ちゃんのパパ」、「〇〇さんのご主人」となり、毎朝妻を送り出した後、四六時中家事と育児をする「駐夫」の生活に突入したわけです。仕事をしていない自分、稼いでいない自分というのを受け入れるのはなかなか難しく、相談する相手もいない……。渡米した直後は、かなり気分が落ち込んで、辛い思いをした時期がありました。
そんな、「負の経験」を通して、「同じ思いや苦悩を抱える日本人男性が世界中にいるのではないか」と思い至ったわけです。アメリカ、ヨーロッパはもちろん、アジアやアフリカにも同志はいるはずです。そんな彼らの救いになればと思って立ち上げたネットワークが、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」でした。
当時、「駐妻」の世界的なネットワークグループは、いくつか探せました。それは主に女性のキャリア支援を目的としたもので、「駐夫」の悩みとは異なるものでした。そこで、自分の経験を発信することで、「同じ境遇の日本人男性がいるんだ」ということを知ってもらい、仲間としてつながれたら心強いと考えたわけです。
「配偶者海外転勤同行休職制度」を利用して海外へ
——「駐夫」になるまでの過程についても教えてください。
もともと製薬会社に勤務していた妻が海外赴任の希望を出していて、それが叶って、私が同行した形になります。「配偶者海外転勤同行休職制度」を利用して、会社に籍を残したまま、「駐夫」になりました。在籍していた共同通信社で、希望していたワシントン支局勤務になれば、妻が同行してくれる約束でした。しかし、人事ローテーションの都合でそれが叶わないことになり、「それならば私が!」と妻が奮起してくれたわけです。
恥ずかしながら、それまでは「家族はオレが背負っている」「稼ぐのはオレだ」というやや古い性別役割分業意識を持っていまして……。自分の長時間労働を正当化して、彼女のキャリアに目を向ける意識は欠けていたと思います。ところが、妻の海外赴任が決まって、主従関係が入れ替わるわけです。決定的だったのは、海外赴任前の壮行会の日時が被ったときでした。それまでは、飲み会といえば、常に自分が優先だったのですが、今回は妻の赴任ということで、「自分は引いて、彼女を優先すべきだ」と思ったんです。そこから徐々に「うちはずっと二人で働いていたんだ」と再認識するようになりました。
——「配偶者海外転勤同行休職制度」について詳しく教えてください。
これは、私が所属していた共同通信社の制度で、今では多数の大手企業に同様の制度があります。多くの場合、夫の海外赴任が決まった際に、共働きの妻が利用する制度として使われていたのが実態です。共同通信社でも男性でこの制度を使ったのは私が初めてでした。
制度としては、会社に籍を残しながら休職できるもので、無給な上、社会保険も休職者が負担することになります。制度は1年更新で、最大3年まで。それでもこの休職制度が私の背中を押してくれたのは間違いありません。こうした制度の創設や活用が進んでいくことを強く望んでいます。
ただ、私の場合、この制度の期限である3年のタイミングで、熟慮の末に退社し、無職のままアメリカに残る選択をしました。これにはアクシデント的な要素もありました。当時、アメリカはコロナ禍の真っ只中で、家族をアメリカに残して帰国するという選択肢はあり得ませんでした。これは、ジェンダー平等といったことではなく、何よりも、「家族を守る」という父親の本能のような部分も大きかったと思います。
選択肢は3つでした。①会社を辞めてアメリカに残る、②子ども2人を連れて帰国する、③私だけ帰国する。お伝えした通り、③はないとして、②を検討してみたものの、3年の休職期間を経て、政治部記者に戻って、時短勤務をするというイメージはできませんでした。帰国するならフルスロットルで働きたい。それができないなら①しかないという結論でした。
世界の「駐夫」を紹介するYouTubeもスタート
——「駐夫」として、さまざまな葛藤があったんですね。では、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」の活動を通して、印象に残る出会いはありましたか?
「世界中に同志がいることで励みになるのでは」という思いから始めたグループでしたが、メンバーが200人になるに至り、世界各国でのリアルな交流が生まれています。私がいたニューヨーク付近はもちろん、バンコクやシンガポールでも「駐夫飲み会を行いました」との報告をFacebook上で見ると「立ち上げてよかった」と思いますね。
今では「プレ駐夫」の人が、Facebookに「今度ロンドンに行く〇〇です」と書き込めば、メンバーが「さっそく飲みに行きましょう」と返すようなやりとりも生まれています。これは「プレ駐夫」にとって本当に心強いことだと思います。
メンバーも200人になり、「駐夫」も多様化しています。休職制度を利用する人、会社を辞める人、現地で就労する人や大学院に通う人、趣味に専念する人……実にさまざまです。そこで私は、こうした「駐夫」の皆さんを紹介するYouTubeチャンネルをスタートしました。タイトルは「世界の駐夫から」。最近、海外に出て行く日本人は激減しています。もっともっと海外に出て、活躍してほしいという思いも込めて、動画をつくっています。キャリアを中断することなく、時差こそありますが仕事内容は基本的に変わらない。しかも家族と離れることなく、海外で暮らせるという極めて理想的な選択肢だと思います。
YouTube「世界の駐夫から」
——「駐夫」という新しい立場を普及するにあたり、課題になっていると感じることはありますか?
やはり、男性の「キャリアの多様性」をもっともっと認める社会になってほしいですよね。「男子たるもの単線片道の線路を全速力で走り抜けるべし」という古い価値観から脱する必要があると思います。若い世代は違うかもしれませんが、私も含む40代、50代はまだまだこの価値観が根強い。男性だって、家族の夢を尊重して、自分のキャリアを中断したっていい。包容力をもってそれを受け入れるような社会であってほしいと思います。
また、これは男性・女性問わずですが、駐在先での仕事やボランティア活動、語学研修の経験など、現地でしてきたことを評価するシステムが必要です。「駐妻」も「駐夫」もただ休んでいたわけじゃない。さまざまな経験をして、成長しているわけです。特に最近は、「駐妻」のハイスペック化も加速しています。みんな夫の海外赴任先で働きたい。それでも会社の規則で働けないようなケースも見受けられます。もちろん国によってビザの制限もありますが、現地での配偶者の就業制限は撤廃する必要があるでしょう。
帰国後に入学した大学院で、駐夫を取り上げた修士論文の執筆を通じて分かったこととして、「駐妻」のほうが、「夫のせいで私のキャリアが台なしにされた」などとの思いを抱えているケースが多いことが浮き彫りになりました。周囲から、同行を当然視されるためです。一方の男性は、基本的に自発的な選択によって、「駐夫」になっているので、基本的に前向きです。この背景にも「女性は夫の海外赴任に同行して支えるのが当然」という慣習の名残を感じます。
その後、修士論文を大幅に加筆・修正し『妻に稼がれる夫のジレンマ——共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)として刊行しました。駐夫が抱いた激しい葛藤やキャリア意識の変遷を紹介するとともに、帰国後のキャリア再設計に向けた動きなどを紹介しています。性別を問わず、駐在同行者が抱えざるを得ない問題点のほか、企業側が取り組むべき改善点についても広範に指摘しました。
コロナ後の新しい流れとしては、パートナーの赴任先で、日本の企業に籍を残したまま、フルリモートで働き続けるという人も増えています。キャリアを中断することなく、職も失わない理想的な選択肢だと思います。さらに、夫婦のいずれかに駐在を命じた企業が、パートナーのキャリア教育や復職の支援をするような制度ができるといいですね。
男性も多様なキャリアを選べる世界をつくりたい
——お子さんたちは、「駐夫」のパパのことをどう思っていたと思いますか?
今、長女が12歳、長男が10歳になります。ふたりとも現地では日系の幼稚園・小学校のほか、現地校にも通い、貴重な経験ができました。思い出すのは、駐在2年目のとき、小学校から帰ってきた娘が、「どうしてうちだけパパが授業参観に来るの?」と尋ねてきたときのこと。妻と一緒に「ついに来たか」と思い、「ママが働いて、パパが家にいるのは今だけだよ」と教えました。
息子は現地で3歳のときに、幼稚園で「母の日」の参観日があったんです。みんなママにプレゼントを渡しているのに、うちの息子だけパパである私にプレゼントを手渡しました。「かわいそうだったかな」と思い、このときのことを覚えているかと最近聞いてみたところ、「なんとも思ってないよ」と言っていて、少し救われた気分になりました。
子どもたちにとって、幼少期の海外経験は大きな財産になると思っています。海外で暮らしたことで、日本と海外を相対化して見る視点が身についたはずです。日本だけでなく、世界における日本人として、広い視野を持ち、さまざまな価値観や多様性を許容できる子になってほしいですね。
——最後に「世界に広がる駐夫・主夫友の会」の代表として、今後叶えたい目標や夢はありますか?
「駐夫」の知名度をもっともっと高めていきたいと思いますが、その目的はむしろ「男性のキャリアの柔軟化」に向いています。パートナーや家族の夢のために、自分のキャリアを中断する男性は今後増えていくと思います。「駐夫」は、単線片道だった男性のキャリアを複線化するロールモデルになり得ると考えています。
日本人男性の家事分担比率は、まだまだ低く、世界ワーストとのデータがあります。今こそ、男性も多様なキャリアを選べる世界をつくらなければ、日本は世界からさらに遅れをとるでしょう。「駐夫」は性別役割分業意識の転換にも貢献できると思っています。そのためにも迷える「プレ駐夫」の皆さんには、ぜひ海外での新たなキャリアを踏み出してほしいですね。お子さんがいるなら、彼らにとってもかけがえのない時間になると断言できます。
帰国後の再就職などを考えて、不安になることもあるでしょう。そんなときは、「世界に広がる駐夫・主夫友の会」のFacebookを見れば、多様な再就職を実現した先輩たちのロールモデルを探せます。不安を乗り越えて、海外に行く決断をした際には、ぜひ「世界に広がる駐夫・主夫友の会」までご連絡ください。
「世界に広がる駐夫・主夫友の会」公式Facebook(会員制)
【プロフィール】 |
小西 一禎(こにし かずよし)さん |
1972年、埼玉県出身。慶應義塾大学商学部卒業後、共同通信社に入社。2005年より政治部で首相官邸や自民党、外務省、国会、選挙などを担当。2度の政権交代をはじめ、政治シーンを最前線で取材、政治記者として多忙な生活を送る。2017年、妻のアメリカ赴任に伴い、会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を男性で初めて活用。妻・二児とともに、東海岸のニュージャージー州に移住。駐在員の夫=「駐夫(ちゅうおっと)」を新語として生み出し、自らをブランディング、米国経験を記したコラム・エッセイを各メディアに数多く寄稿する。在米中は研究活動にも取り組み、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員を務める。2021年春に帰国。在米中に立ち上げた「世界に広がる駐夫・主夫友の会」(メンバー約200人)代表。法政大学大学院で修士号(政策学)取得、駐夫を取り上げた修士論文を執筆。著書に『妻に稼がれる夫のジレンマ——共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)など。 |