欧州で日本語を第一言語とする生徒を支援 ブリュッセルインターナショナルスクール IB DP Japanese A教師 石田まり子さん
2024年12月24日

欧州で日本語を第一言語とする生徒を支援 ブリュッセルインターナショナルスクール IB DP Japanese A教師 石田まり子さん

ベルギーのブリュッセルインターナショナルスクール(The International School of Brussels)で勤務する石田まり子先生。異国の地ベルギーで、英語もままならない状態でインターナショナルスクールの高校教師となり、いつの間にか20余年が過ぎた。現在は学校の枠を超え、ヨーロッパ各地で学ぶ日本人の家庭から教育に関する相談を受ける教育コンサルタントの役割も担う。そんな石田先生が見ている海外における日本語での教育の現状と課題とは? 

 

ヨーロッパの日本人家庭への相談員としての役割を担う  

ベルギーの首都ブリュッセルで教師として勤務する石田まり子先生には、実にさまざまな肩書きがある。まず、所属するブリュッセルインターナショナルスクールで、IB DP(国際バカロレアディプロマプログラム)のJapanese A(文学や言語)や進路指導を担当。さらに、学外でもIB DPのSSSTコースの生徒に文学を教え、欧州教育コンサルタント、多文化間精神保健専門アドバイザーという役割も担っている。

 

「ブリュッセルのインターナショナルスクールに所属しながら、オンラインでイギリス、オランダなどヨーロッパ各地の日本人の児童・生徒に日本語で文学を教えています。ヨーロッパでは、日本語で教える教員は限られているので、自然とこのような形になりました。日本語での授業に限らず、教育に関するさまざまな相談にも対応しています。多文化間精神医学会という学会に所属し、近年は、保健士や心理士と一緒に子どもの問題と向き合う機会も増えています。語学面、学力面、メンタル面など、さまざまな理由で問題を抱える児童・生徒・保護者が、海外にいながら日本語で相談できる環境は重要です。そこで、日系企業ネットワークなどの紹介で、悩みを抱える子どもたちのカウンセリングを行っています」 

 

文学を通して、文学セオリーや分析手法を考える

石田先生の主な仕事としては、所属するブリュッセルインターナショナル校での日本語の授業が挙げられる。担当するIB DPのJapanese Aは、日本語を学ぶだけの授業ではない。高校生が、日本文学や世界文学などさまざまな“日本語”のテクストを通して、文学の理論や比較分析の手法を学ぶというレベルの高い授業になっている。

 

授業では夏目漱石や森鷗外といった日本文学の代名詞ともいえる文豪たちの作品を取り上げるが、日本文学作品と並行して、スタインベックやジョイス、クッツェーなどの作品も日本語で読み込み、比較分析を行う。

 

「最近はトランスランゲージングと呼ばれる教育手法も取り入れています。この手法は国際バカロレア教育の多言語主義にもつながるものです。日本語と英語で作品の同じ場面を読み込み、それぞれの言語を通して理解を深めるようなことをしています。例えば、カズオ・イシグロの作品を学んだとき、本文中の‘家’という日本語が原作では‘cottage’となっている箇所を生徒が見つけたんです。なぜ、‘house’ではなく‘cottage’なのか。この理由について生徒たちと作品の社会背景や文化背景にまで議論の幅を広げ、当時の街並みが撮影された資料館の映像も見て、生徒たちは簡易住宅という言葉を知りました。このように日本語と英語を使って、マルチモーダル(音声、画像などテキスト以外の要素)も駆使して、作品の理解を深めていくのです。生徒の気づきにこちらも補足しながら授業をしているので、とても新鮮です」

HS・IBDP のG12(⾼校3年)のクラス国際バカロレア教育のコミュニケーションスキル、リサーチスキルなどのATL を意識してのグループワーク

 

母語支援教師という新たな仕事もスタート

さらに石田先生は最近、母語支援という新たなカリキュラムにも関わっている。ブリュッセルインターナショナルスクールの小学生が対象で、今年は日本語・ヘブライ語などの5カ国語に絞られてはいるが、週に1回、日本語による授業を行い、母語をしっかり築くためのサポートをしている。ヨーロッパ各国のインターナショナルスクールに通う子どもたちは、学校では英語で学びながら、普段の生活ではフランス語やオランダ語、ドイツ語などホスト国の言葉にも触れる。多言語の生活を送る中で、状況によっては、自分の母語認識が揺らぐこともあるという。石田先生は、20年以上のヨーロッパでの教師経験のなかで、日本語が第一言語の生徒の基盤となる日本語力をしっかり築くことで、英語力も向上した事例を数多く見てきた。

 

「例えば、小学校6年生向けの母語支援の授業では、『子どもの権利条約(Declaration of the Rights of the Child)』に関する記事を日本語と英語で読みます。人権とは何かについて、日本語で考えた上で、英語で使われる単語も理解していく。海外滞在年数が長い生徒はこの逆のパターンで理解することもあります。それは別に問題ではありません。なぜそのような言葉を使うのかという点にまで目を向けられるようになるには時間がかかります。家庭での親との対話によって母語の語彙を蓄積しながら、子どもたちは世界を理解していきます。この流れが大切なのです。教え子でイギリスの大学に通った学生が大学の授業や日常のやりとりで、『あなたの国はどうなの?』と聞かれる機会が多かったそうです。そんな場面で、日本語の文献で日本の文化や慣習について調べて、まわりの友達が知らないような情報をシェアできれば、信頼を得ることができますし、より深い議論ができます。その生徒は『もっと日本のことを知るべきだとイギリスで思い知った』と言っていました。」

⽣徒の分析をとおして⽂学作品を学ぶクラス
⽣徒の分析をとおして⽂学作品を学ぶクラス

知り合いの紹介でインターナショナルのIBDP教師に

石田先生がベルギーで教師としての生活を始めたきっかけは、知り合いの教師からの推薦だった。その知人から、現在の勤務校でIBDP日本語科目の教師を募集していると伝えられ、推薦したと言われたことが起点となった。指定された日に学校に行き、たどたどしい英語で面接を受けた。そして、Japanese Aを教えることになり、そこから20余年にわたる海外での教師生活が現在も続くことになる。

 

「日本では大学の教育学部を出てから、公立小学校、私立中学校、私立高校と10年ほど勤務しました。高校で大学受験対策の指導をしていたような時期もあります。それと並行して、大学院の博士課程に通いながら、労働社会学の研究もしました。ベルギーの労働法は他のヨーロッパ諸国と少し違うことを知り、この国に興味を持ちました。ベルギーに来てから、ブリュッセル自由大学やルーベン大学で労働法や労働社会学などに関する授業を受け、積極的に、教授に質問をして知識を増やしていきました」

 

こんなエピソードもある。

「ベルギーでの20年以上の教師生活のなかで、さまざまな生徒と出会いました。学校に着任したばかりの頃、意見がぶつかった生徒に対して、『嫌なら出て行ってもいいよ』と言ったら、本当に出て行かれてしまったこともあります。幸い保護者の理解があり、『本人もしまったと思っている』と生徒の本心を聞かされ、『私もよくなかった』と無事和解できました。教師としても人間としても未熟でした」

ES G6 ホームランゲージクラス。⽇本語でプレゼンテーションするために、不確かな⾔葉を調べています。緊張の連続
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ニーズが増える「多文化言語間精神アドバイザー」の仕事

当然ながら、ヨーロッパのインターナショナルスクールにも感受性の強い子どもはいる。しかし、海外には「保健室登校」のような習慣はないため、「放課後少しだけ学校に来てほしい」、「行けると思った日だけでもいいから登校してほしい」と細かく目標設定をして、不登校の生徒と向き合ったこともある。

 

「高校時代、不登校だった生徒も今では元気に大学に通ったり、社会人として働いたりしています。『あのときは苦しかったけど、どうにかなることを学んだ』とも話してくれました。また、海外の学校では、言語の違いによって、どうしてもボタンの掛け違いが起きやすいんです。例えば、日本人は『It’s challenging(チャレンジングだね)』と聞くと、もっと頑張れというようなニュアンスで受け取りがちですが、英語では『かなり大変だよ』という意味になります。言い出すと切りがありませんが、こうした日常のコミュニケーションや文化の違いで生じる誤解を解決するのも多文化間精神保健アドバイザーの仕事なのです。今後ますますこの役割へのニーズは増えるでしょう。最近は、心理検査士という資格も取得して、WISK4と呼ばれるテストを日本語で行い、学校心理士との連携で生徒に対応しています」

 

母語第一言語の土台がなければ第二言語は伸びない

石田先生のモットーは、「学問は日進月歩」。教師も常に学んで行くべきで、学びを止めたら成長はないと考えている。教育研究を行いながら、常にチャレンジも続けている。ベルギーに来てから、労働社会学研究の一環として、ベルギーにおける日系企業の経営システムに関する論文も発表した。最近は、文学の授業をきっかけに、近代文学研究会、新フェミニズム研究会に所属し、『現代女性文学論』という論文集の執筆にも参加したという。

 

さらに、前述の「トランスランゲージング」と呼ばれる教育手法についても、海外で日本語で教育に関わる立場から現場の情報を発信したいと考えている。現在は、母語・継承語・バイリンガル教育(MHB)学会で発表を行うための論文を準備しているという。

 

「先ほど紹介したイギリスの大学に通う教え子が、『英語を流暢に話すことが大切なのではなくて、英語で何を話すかが大切だ』と言っていたのが印象的です。これが意味するのは、第一言語でしっかり文献を読んで、思考して、発信する訓練をすることの大切さだと思うのです。海外での駐在生活において、家庭でも英語で過ごすような選択をするのではなく、英語は学校に任せて、家庭では日本語で話してほしいと伝えています。もちろん異論はあると思います。しかし、第一言語としての母語の土台がなければ、第二言語は伸びません。日本語で主旨の通った論文がしっかり書けてくると、英語での論文も論理的・多角的に書けるようになった生徒を現場でたくさん見てきました。今後の私の夢は、海外における経験をもとに、教師としての研究成果を教育現場に発信することです」   

 

【プロフィール】 
ブリュッセルインターナショナルスクール IB DP(国際バカロレアディプロマプログラム)Japanese A教師 欧州教育コンサルタント/多文化間精神保健アドバイザー/ホームランゲージ支援教師
石田まり子 
ブリュッセルインターナショナルスクール IB DP(国際バカロレアディプロマプログラム)Japanese A教師 欧州教育コンサルタント/多文化間精神保健アドバイザー/ホームランゲージ支援教師
神戸大学教育学部卒業、同大学大学院人文学研究科博士課程修了、博士(学術)。公立小学校、私立中学校、私立高校の教諭勤務後、現在ブリュッセルインターナショナルスクール勤務。IBDP Japanese A、SSSTの教師。欧州教育カウンセラー、多文化間精神アドバイザー、心理検査士。多文化間精神医学会、近代文學研究会、新フェミニズム研究会、労働社会学会、国際バカロレア学会、母語・継承語・バイリンガル教育(MHB)学会、世界文学学会、福永武彦研究会に所属。共著『現代女性文学論』、共著『「探究」と「概念」で学びが変わる! 中学校・高等学校国語科 国際バカロレアの授業づくり』(明治図書)、共著『国際バカロレアにおける「言語と文学」「文学」の授業から国語科のあり方を考え直す;公開講座ブックレット(12)』(全国大学国語教育学会)、論文「ベルギー日系製造業経営システムの事例研究」(『労働社会学研究』4)、論文「福永武彦と時間:「河」における象徴に焦点を当てて」(『福永武彦研究』18)がある。連絡先:mariko.ishida.eu[AT」gmail.com