ハズムはハズム、僕は僕が大好き!
2025年7月8日

ハズムはハズム、僕は僕が大好き! ウィーン少年合唱団 下田弾さん

 

来日70周年、ウィーン少年合唱団が来日!
団員の下田弾さんにインタビュー   

オーストリアのユネスコ無形文化遺産にも登録されているウィーン少年合唱団、美しいボーイソプラノ「天使の歌声」で世界中の多くの人々を魅了し続けている。合唱団の歴史は古く、発祥は1498年のローマ帝国に遡る。 

 

国籍を問わない小学校4年生から中学校3年生までの100名の子どもたちがアウガルテン宮殿で寮生活を送りながら、「ハイドン組」「モーツァルト組」「シューベルト組」「ブルックナー組」の4グループに分かれて活動している。毎週日曜日、ウィーンの王宮礼拝堂で行われるミサでミサ曲を歌うほか、さまざまな音楽祭やメディアに登場したり、世界各地でコンサートを開催したりと、その活躍は幅広い。  

 

この5月、来日したのは「モーツァルト組」。今回ご紹介するのは、そのメンバーのひとり、下田弾(しもだはずむ)さん。日本人の母とドイツ人の父を持ち、ドイツ・フランクフルトで生まれ育った14歳、サッカーをしたり、甘いお菓子を食べたりするのが大好きという中学校3年生だ。  

 

合唱団に入るまでは、ドイツのフランクフルトに住み、補習授業校に通っていた。小学部5年生だった時には、海外子女教育振興財団が主催する海外子女文芸作品コンクールの詩部門に応募し、ウィーン少年合唱団のオーディションを受けた時のことを書いた『天使の一員』で、「特選」を受賞している(『天使の一員』は本記事の最後で紹介します)。  

 

憧れだったウィーン少年合唱団の一員となり、今回、来日を果たした下田弾さんに、東京でのコンサート終了後にインタビューした。   

ウィーン少年合唱団 モーツァルト組制服は青と白の2種類あり、この青い制服は王宮ミサなどの正式な場で着用される(弾さんは後列左から2人目)。おもにコンサートホールで着用されるのは白い制服になる

 

声は武器になる、ウィーン少年合唱団に入りたい

弾さんは小学校4年生だったときに、自宅でお母さんと観たウィーン少年合唱団の映画『Kleine große Stimme』に魅せられた。

 

時は1955年、主人公は、オーストリア人女性とアメリカ占領軍の黒人兵士との間に生まれた10歳の少年で、父親を知らず、4歳のときに母を亡くしてからは祖父母と暮らしている。人種差別を受けたりするなかで、「世界各地で演奏するウィーン少年合唱団に入団し、父親と再会したい」という夢を持ち、さまざまな抵抗・苦労に遭いながらも、その歌声で、願いを叶えていくというお話だ。  

 

弾さんはその映画を観て、「僕も団員になりたい。寮生活をしてみたい。歌が上手になって、友達をたくさん作りたい」と思ったそうだ。  

 

さっそく、家族に相談。お母さんとお父さんは声楽の専門家で、音楽の厳しさやウィーン少年合唱団の凄さを知っているだけに驚かれ、反対された。じつは、弾さんは5歳の時に地元の大聖堂合唱団に入ったものの、練習が始まると居眠りをしてしまうような子だったそうだ。「簡単なことではない」と、両親に諭されたが、弾さんの意志は固かった。  

 

「僕は、もともと音楽が好きでトランペットをやっていました。両親からいろんな楽器を見せられて、自分の力で音を 出せるところに魅力を感じてトランペットを選んだのですが、あの映画を観て『声は武器になる』と思ったんです」  

 

ウィーン少年合唱団に入るには、「小学校4年生」が応募のリミット。オーディションは、自分の好きな曲を一つ歌い、才能が認められたら体験入学をするという流れだ。 

 

ひとまずお母さんの指導で、発声から練習を始めると、三日坊主になるかと思いきや、1週間、1カ月と続き、歌声が変わってきた。息子の強いやる気を感じて、まずはお母さんが本気モードに。すると、お父さんもヒートアップ。 弾さんはハインリッヒ・ヴェルナー作曲「野ばら」を選曲して、受験することに決めた。  

 

合唱団にオーディションについての質問メールを送ると、次の日に芸術監督から連絡があった。まずオンラインで「野ばら」を歌い、その後、発声練習をしてもらったり、面接を受けたりした。そして、対面でのオーディションを受けに、なるべく早くウィーンへ来るよう言われた。 

 

しかし、ときはコロナ禍。国を超えての移動は並大抵のことではない。国境警備隊から尋問を受けたりもしたそうだが、母が以前、お世話になっていたミュンヘンに住むホストマザーにも協力してもらい、なんとか対面でのオーディションを実現させた。 

 

「野ばら」を歌い、発声練習と面接、予告なしでミサ曲を歌わされ、トランペットも一曲披露することに。  

 

「先生は優しかったです。『コロナ禍なのに、よく来てくれたね。自分の頑張りをほめるんだよ』と言ってもらえたのは本当に嬉しかったです」  

 

その後、ウィーン少年合唱団の4週間のサマーキャンプに参加して、集団活動を体験。この間で、本当に団員としてやっていけるのか、歌の能力から共同生活する力まで厳しく審査されるのだ。 

 

弾さんは「天使の歌声」に圧倒され、ホームシックにかかってしまう。2週間目には「入団は難しい」との通達。 

 

しかし、弾さんはあきらめず、サマーキャンプを最後まで頑張った。 

 

その努力や志を見た先生たちは「団員になれるとは約束できないが、ここでもう一度小学校4年生をやりながら練習を重ねてみてはどうか」と打診。弾さんは、「フランクフルトに戻っておいで」という両親の提案をきっぱり断り、ウィーンに残る道を選んだ。 

 

最終的には、「ハズムならやっていける」と認められ、正式に団員となれたのだ。  

 

「ドイツは小4が卒業する年になります。両親は、僕がフランクフルトに戻ってきたときのために、進学先の学校を探しておいてくれていたんです。僕は、面倒がりで、あきらめが早い方なので、留年してでもウィーンに残ると言ったとき、家族はすごく驚いていました。でも、僕の気持ちを大切に、尊重してくれました」  

 

いま、家族全員が弾さんの活躍を誇りに思い、心から応援している。

アメリカ・ニューヨークのカーネギーホールでのコンサート終了後、数時間の外出が認められたのでクリスマススペクタキュラ—を観に、ラジオシティ・ミュージックホールを訪れた。左は姉の愛花さん。愛花さんは第40回海外子女文芸作品コンクールの俳句部門で佳作を受賞している

 

 ウィーン少年合唱団は、天国

寮では、朝6時45分に起床、7時半までに朝食。授業は7時半から始まる。11時からは合唱の練習、13時に昼食、午後は通常の授業と個人レッスン。その後、宿題をして、18時に夕食、トランペットやピアノの個人レッスンを受け、シャワーを浴びて、21時半に就寝。

 

コンサートや練習で休みはほとんどなく、終日フリーという日は一カ月に数日あるかないかくらいだという。  

 

また、ウィーン少年合唱団は高校を付属するギムナジウム(日本でいう小学校5年生から高校3年生に相当する子どもたちが大学進学を目指して通うドイツやヨーロッパの学校)でもあるため、一般科目の学習にも厳しい。

 

「寮での生活は、最初からワクワクでした。自由な時間は外でサッカーをしたりしています。夜8時から1時間だけ、携帯を返してもらえるので、家族に連絡して、あとはゲーム! 休みの日は、先生に連れだされてサイクリングをしたり、サッカーをしたりしています。楽しいけど、自分の時間もほしいし、本当はずっとゴロゴロしていたい(笑)」

 

寮生活を送りながら、合唱に、勉強にと忙しい生活を送っている弾さんだが、ウィーン少年合唱団は「天国」だと話す。

 

「ルームメイトには韓国人や中国人の子もいてドイツ語で会話しています。思春期の友人たちと過ごす時間は楽  しいです。ゲームの話をしたり、明日何をしようかと話したり。それに、コンサートで、これまでドイツやアメリカ、日本を訪ねることができました。今回、オーストリアナショナルデーである523日の大阪万博でのコンサートでは紀子様の前で歌いました。529日のコンサートには天皇陛下と愛子様がいらしていました。紀子様にも、天皇陛下や愛子様にもお会いできて、愛子様からはお言葉もいただきました。これって、団員になれたからこそですよね。合唱団には感謝の気持ちでいっぱいです。楽しいですね、まさに天国です」

兵庫でのコンサートを終えて、これからクラスメイトとちょっと息抜き
兵庫でのコンサートを終えて、これからクラスメイトとちょっと息抜き 日本では通訳を頼まれることも

弾さんは、「モーツアルト組」で最年長。いまや年下の子どもたちに慕われる良きお兄さんのような存在だ。

 

いろいろな国から多感な時期の子どもたちが集まっている合唱団、「天国」とはいっても、これまで辞めたいと思ったこともあったに違いない。

 

実際、弾さんの行動が誤解を生んで、注意を受けたことがあったそうだ。よく話し合い、誤解は解け、その後はお互いが尊重し合える良好な関係が続いているとはいうが、当時は辛かったのでは……。  

 

「僕は、辛かったという思い出ではないですね。そういうのは全部、忘れちゃうから。それに、ケンカした方が仲良くなれるじゃないですか。年齢関係なく意見をぶつけあって、相手を知って、仲良くなる。だから、友達とも先生とも意見を言い合います。分かり合えれば、最高です。辞めたいなんて、思ったことは一度もないですよ」

 

 

日本が大好き

弾さんは日本が大好きだ。新幹線で移動するのも「速くてイイ」、だからいろんなところに行ける。

 

今回、日本でやりたいことがあった。古い都市や市街地を訪れること。ツアーの訪問地に合わせて、東京の浅草、広島の原爆ドーム、奈良公園、富士山など、いろいろな観光地を巡った。  

 

 

「奈良の東大寺の大仏にはびっくりしました。昔、こんなに大きなものを作れたなんて、スゲーって思いました。柱の鼻の穴にもぐることができたのは良い思い出になりました」

 

 

「ゴロゴロするのが好き」と言いつつ、やりたいことにはとてもエネルギッシュだ。忙しいスケジュールの空き時間を見つけて、温泉や日本食も堪能。醤油ラーメンがお気に入り。合唱団のメンバーに美味しいお菓子を聞かれ、明太子風味のスナック菓子を勧めたところ、大好評だったそうだ。

 

 

日本にいると、日本語ができて良かったと思う。

家では、母親と話すときは日本語というルールがある。家族で会話を成り立たせるのに日本語は大切だ。日本にいる祖父母と日本語で会話ができるのはとても嬉しい。

 

 

「母には『日本語だけは忘れさせたくない』という思いがあったようです。フランクフルト補習授業校に5年生まで 通ったのは、日本語の基礎をつくるうえで良かったと思います。5年生のときに、文芸作品コンクールで賞をもら えたときは、それまで頑張ってきたご褒美のように感じました。補習校の先生や友だちは、今でも僕のことをすごく応援してくれています。その後は、まあまあ順調にきているかな……日本語も順調に忘れてきているけれど(大爆笑)」

 

 

そんな冗談を飛ばす弾さんだが、日本語の力を伸ばすために、小学校2年生のときには愛知県の小学校に体験入学をした経験もある。その際、仲良くなった友達とはいまだに繋がっていて、今回、名古屋でのコンサートに来てくれたそうだ。

 

 

「中学3年で、受験の準備で忙しいはずなのに来てくれて、ものすごく嬉しかったです。来日した日がちょうど彼の誕生日だったので、『おめでとう』コールをしました。今回、いっしょにご飯を食べに行って、ブラブラしたり、アイスをご馳走してもらったりして、楽しかったです」

 

 

「友達をつくるのが大好き」という弾さんには、世界中にたくさんの友人がいる。

小学校2年生のときの体験入学で仲良くなった友達と、名古屋公演で再会
小学校2年生のときの体験入学で仲良くなった友達と、名古屋公演で再会

アイデンティティなんて、悩んだことがない

母親が日本人で、父親がドイツ人。2歳上のお姉さんは「自分はナニ人だろう」とアイデンティティについて考えた時期があり、弾さんと意見交換していたらしい。当の弾さんは笑顔で胸を張る。

 

 

「僕はアイデンティティなんて、悩んだことがないです。だって、ハズムはハズムだから。僕は、僕が大好きです」 

 

 

ウィーン少年合唱団のメンバーであることに誇りを持ち、コンサートで歌うときは、「その一瞬一瞬を楽しみ、間違えないで歌うこと」を心がけているそうだ。  

 

 

ちなみに、「弾」という名前は母方の祖父がつけてくれた。「弓や弾が的を射るように夢に向かって人生を歩んでほしい」という願いが込められている。「ハズム」と読むことで、リズム感もあって、ワクワクする感じがいい、と。いまの弾さんは、その名の通り元気にはずんでいる。 

 

 

正面にウィーン少年合唱団とドイツ語で書かれた制帽をかぶり、「国の代表」を意味するオーストリアの紋章が輝く制服に身を包んだ姿が誇らしげだった。 

第42回海外子女文芸作品コンクール 

詩部門 「特選」受賞作品

 
「天使の一員」
 

フランクフルト補習授業校(ドイツ) 

小5 下田 弾

 
ウィーン少年合唱団 
それはぼくのあこがれだった
テレビや映画を観てあこがれた
天使の声にあこがれた 
 
コロナに負けず
ロックダウンにめげず 
来たぞウィーン  
 
オーディションが始まった 
きんちょうの連続だった 
ぼくは全てを出し切った 
 
自分のがんばりをほめるんだよ 
先生の言葉 
うれしさ半ぱじゃないのに
 ぼく放心状態 
 
ウィーン少年合唱団
あこがれから現実に
ぼくも天使の一員に