夫の海外駐在に帯同し、2011年からの5年間をタイで過ごした来海直美(きまちなおみ)さん。帰国後は日本語学校の教師をしながら、公立小学校・中学校で外国籍の子ども達をサポートする仕事に従事している。タイでの生活をきっかけに“失敗しても大丈夫”という価値観を大事にするようになったと語る来海さんに、海外生活を経ての変化と今の仕事への思いを聞いた。
(取材・構成:ミニマル市川茜)
■来海さんの現在の仕事内容について教えてください。
日本語学校の教師と、来日したばかりで日本語が話せない外国籍の子どもをサポートする日本語指導員の仕事をしています。 日本語学校では、アジアをはじめ世界各国からやってきた生徒に日本語の読み書きを教えています。生徒は、日本で働くために日本語能力試験の合格を目指している18歳~30代が多いですね。
小学校・中学校で外国籍の子どもをサポートする日本語指導員・通訳の仕事は、東京都内の自治体や登録する日本語指導派遣会社から依頼があり、派遣される形で都度引き受けています。これまでタイ人の子どもが受けている国語や算数の授業に同席して通訳を担当したほか、外国籍の子ども向けに日本語の個別指導も行ってきました。ひとりの子に対して、通訳では数カ月間、日本語指導では数カ月から2年ほどの間、定期的に学校を訪問してサポートをしています。
■仕事をするうえで、普段から心がけていらっしゃることはありますか?
日本語学校でも小学校・中学校でも、まずは自分が教える生徒と心を通わせることを大事にしています。初対面の子どもなら、たとえばまずはその子が好きな恐竜について話すなど、心を開いてもらえるコミュニケーションを心がけています。
これは日本語学校の先生としてもいえることですが、子どもや生徒たちにとっては、私は身近で頼れる日本人のひとりなんですよね。日本語学校の先生にもいろいろなスタイルがありますが、私はできる限り寄り添ってあげられる人でありたいと思っています。彼ら、彼女らと必要なサポートをつなぐ橋渡しになるためにも、「この先生になら話せる」という存在であることを意識しています。
■どんなときにやりがいを感じますか?
小学校・中学校では、まだ来日して間もない子のサポートにつくことが多く、最初は私や友人にもまだ心を閉ざしているのを感じることが多くあります。そんな子がだんだんとクラスに馴染んでいって、休み時間にニコニコしながら友達と校庭に駆け出していくのを見るとうれしくなりますね。
また日本語学校では、授業だけでなくクラスごとに都内近郊に出かけるイベントがあります。そこで生徒がすごく楽しそうにしてくれるのもうれしい瞬間です。また、卒業式やクラス替えのタイミングで、別れに涙を流して悲しんでくれる生徒もいて、そういった心の交流にやりがいを感じています。
■外国籍の児童や生徒と向き合うなかで、課題に感じていることはありますか。
子どもの通訳や日本語指導といったサポートの時間や期間は、自治体ごとに定められています。学校からの打診で期間が伸びることはあるものの、結果的に区や学校の方針によって子どもたちの境遇が変わってしまう印象です。
過去には、まだまだ通訳や日本語学習が必要な状態なのにサポート期間が終了してしまい、心残りがあるまま別れざるを得なかったケースもあります。必要十分なサポートを提供するためには、規定の時間制限を拡大する必要がありそうです。
また個人的には、教職員の間でもう少し在住外国人に寄り添う姿勢が育まれたらいいなと感じます。たとえば日本には、持ち物に細かいルールが定められている学校も少なくありません。それを知らないタイ人の保護者が子どもにキャラクターものの文房具を持たせてしまい、先生から厳しく注意された、なんてこともありました。日本の文化に不慣れな保護者や子ども向けのフォロー体制があると安心ですよね。
■来海さんが、日本語学校の教師や、小学校・中学校での外国籍の児童・生徒の教育支援という仕事を選んだきっかけをお聞かせください。
私は2011年から2016年までの5年間、タイに滞在していました。そのとき娘は現地の小学校・中学校に通っていて、私も娘もタイ人の方々から温かいサポートを受けました。その恩返しというわけではないですが、今度は私がタイ人の子どもをサポートしたいと、子どもを支援する日本語指導員に応募しました。現地で習得したタイ語を活かしたい気持ちもありました。
日本語学校の教師になったのも、元を辿ればタイへの渡航がきっかけです。というのも、滞在時にはタイ人の友人などから「日本語を教えて」と頼まれることが頻繁にあったんです。最初は自己流で教えていたのですが、もっと本格的に教えられるようになりたいと日本語教育能力検定試験を受験。そして日本語教師の資格を取得し、今に至ります。
■タイでの滞在生活が、今の仕事のきっかけになったのですね。
そうですね。私自身、滞在時にはタイ人の方々に本当に親切にしてもらいました。タイで親しくなった方々との交流を含め、そこで過ごした日々が本当に楽しくて。だからこそ、今日本で教えている外国籍の生徒たちには、日本でいい思い出をたくさん作ってほしいと思っています。その気持ちが、私の仕事の原動力にもなっています。
■駐在時を振り返って、印象に残っていることはありますか?
日本に帰国することが決まった際、家事などをお願いしていたお手伝いさんが出身地の村でフェアウェルパーティを開いてくれました。パーティでは、お手伝いさんの親戚だけでなくその日に初めて会ったような村人みんなが集まって、ご馳走を準備してくれて驚きました。
そのお手伝いさんは、結婚式にも私たち家族を招待してくださいました。結婚式には、何度かタイを訪れていた私の父も含めて呼んでくれました。もう家族ぐるみのお付き合いをしていましたね(笑)。そんな温かい交流の時間は、ずっと忘れられない大切な思い出です。
■逆に、タイで過ごした5年間で大変だったことはありますか?
タイのマンションに入居してすぐに、自宅の色々なところに欠陥が見つかったんです。今となっては笑い話ですが、エアコンから雨漏りがしたり、水漏れが止まらなかったり……。タイ語で修理を依頼するのにも一苦労で、最初は本当に大変でした。渡航したばかりの頃はタイ語が全くわからなかったので、数カ月間は日常生活を送るだけで精一杯でした。
現地の語学学校に通ったり、家庭教師の先生に教わったりしてコミュニケーションが取れるようになってからは、一気に楽しくなりましたね。当初は、こんなにいい思い出になるとは思ってもみませんでした。
■海外生活での経験を通して、得たものについて教えてください。
タイ語には「マイペンライ」という言葉があります。これは「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」という意味の言葉で、タイ人の価値観をよく表していると感じています。 日本で過ごしていると、「ちゃんとしなきゃ」とつい自分に厳しくしてしまう風潮が少なからずあるように感じます。それに対して、タイでは自分にも他人にも優しく、助け合いながら「マイペンライ」と切り替えていく人々の姿が印象的でした。完璧じゃなくていい。失敗しても、それを糧に次につなげていけばいい。そんなマインドを学びました。
■現在の生活で、「マイペンライ」の精神が活きていると感じる場面はありますか?
タイ駐在の前後で、人との向き合い方が変わりましたね。娘への接し方もそうです。それまでは「忘れ物をしてはダメ」というように、間違いや失敗をしないような声かけをすることが多かったんです。でもタイに渡航してからは、最初からルールや注意点を叩き込むのではなく、失敗をして学ぶことも重要だと気づきました。娘もタイでの5年間を通して、のびのびできたんじゃないかと思います。
この気づきは、今の仕事にも通じています。日本語学校の生徒や小・中学生に教えるときにも「今すぐにできるようになる必要はないから、たくさん失敗することが大事だよ」と伝えています。
■来海さんがこれから挑戦したいことをお聞かせください。
これまで日本語学校の生徒、そして来日したばかりの子どもや保護者から質問や相談を受けるなかで、在日外国人の相談先が少ないことを痛感してきました。日常生活の相談もそうですが、メンタル面の悩みを話せる相手や場所はさらに限られてきます。だからこそ、そういった方々の心のケアができる場所を増やせたらと思っています。
私は大学時代、心理学部に在籍していて、心理カウンセラーといった仕事に憧れを抱いていました。外国人学生と向き合う仕事をしている今、心理カウンセラーや公認心理士の資格を取得したいなと、改めて思うようになりました。そして日本語を教える先生の延長として、精神的なサポートができる存在になることが直近の目標です。
【プロフィール】 日本語教師 来海直美さん 東京都出身。2011年から5年間をタイで過ごし、現地のタイ語スクールや大学(社会人向けクラス)に通いながらタイ語を習得する。帰国後は日本語教師として日本語学校で勤務しながら、来日した外国籍児童生徒のサポート業務を行なっている。